〇閑話:皇帝と妃とお姫様 ――――――


 1回戦が終わった後の、とある休日。


「………」

 ミュースィルはバルコニーに用意された椅子に腰かけ、テーブルに乗せていた試合で使った木杖を軽く持ち上げると、しげしげと眺める。


「失礼致します姫様、お茶をお持ち致しました」

 そう言ってメイドがティーカップとお茶請けのケーキを準備し、空いたテーブルの上へと並べはじめた。

 それに対してミュースィルがありがとう、などと言う事はない。それが普通である。

 その給仕はメイドにとっての当然の仕事であり、雇用している主がイチイチ礼を述べるのは、過ぎた行為であり不自然。客などの部外者がいる場ではありうるが、少なくともあるじ1人しかいない場での給仕に対する感謝などあり得ない。


 なのでよくデキた老練なるメイド長あたりになると、一声かける事すらせずに主の状況を察して適宜、最良のタイミングで無言のままにお茶を用意しお出しする。そして出された側も無言のままにそれをいただくのが、彼ら・・の常識である。


 その例からすれば、このメイドはまだ少し未熟と言えるだろう。それでも王侯貴族の方々の世界における自分達の在り方というものをよく理解しているし、当然姫であるミュースィルも幼き頃より培ってきた生活の中の常識であるがゆえに、よく承知している事である。


 ところが、この日は少し違った。


「……ありがとうございます、いただきますね」

「?! みゅ、ミュースィル姫様??」

 まさかの感謝の言葉。

 そもそも皇帝直子の姫とおいそれと言葉を交わす事自体、おそれ多い事だと多くの従僕達は思っている。

 声をかけられる―――それだけで勿体なく恐縮してしまうことなのだ。


 仮にかけられるとしても通常は、“ ご苦労 ” などのねぎらいの言葉であって、感謝の意を述べられるというのは異常事態に等しい。

 なので彼女達が最初に抱く感情は驚きであり、直後には心配がこみ上げてすらくる。


「どこか御具合が優れないのですか?? すぐに侍医をお呼びして―――」

 オロオロするメイド。

 下々の者に何の変哲もない事で “ 謝意 ” を示すのは、公の場合を除けばありえない事であり、それがあるとすれば体調不良や、そこからくる気持ちの弱りなどが懸念された。


 メイドがそこまでの反応を示したことでようやく、ミュースィルは自分がおかしな事を・・・・・・無意識のうちにのたまっていたという事に気付いた。


「…あ、大丈夫ですよ。ただ…クスっ、そうですね。久しぶりの帰城・・に、心ここにあらずだったかのかもしれません。ですから心配は無用ですわ」




 そう、ここはルクシャード皇国の長、皇帝の居城たる城。

 天に向かって伸びた複数の塔のうち、外側にある1棟の5階―――――ミュースィル=シン=ルクシャード姫の私室、そのバルコニーだ。


 この国で最もやんごとなき高貴で尊い場所の一つである。


 寮に入っているミュースィルだが、今回は休日を利用しての実家帰省…および学園の戦技大会への出場と1回戦を突破した事を親に報告する目的で、彼女は帰ってきていた。



 …とはいえ、事前に報告は行っている。なのでミュースィルが報告する内容は、皇帝皇正妃も既知の情報。


 それでも本人の口から報告するのがならわし・・・・である。無駄な二度手間となろうとも、常識・マナーとして強要される所が王侯貴族社会の煩わしい部分である。大抵は、当事者の言と報告内容にズレがないかの事実確認が、その主な理由である。



 だがルクシャード皇家に関しては、その理由は少し違っていた。






――――――ルクシャード皇国。皇城、謁見の間。

 荘厳な両開きの大扉が番兵の手によって開かれていく。ゆっくりと粗相そそうなきように恭しく、しかして手慣れた様子で。

 彼らは左右で僅かなズレもなく完璧に己の仕事をこなす。


 大扉は取っ手が人間の背丈では届かない位置にあり、専用の二又の槍を用いてのみ開ける事が出来る。イザという時、攻め寄せた敵が簡単に開けられないようにするための工夫である。


 なので謁見の間にて皇帝にお目通りするだけでも割と面倒。重い大扉が一度開くのに1分とかかるからだ。


「(………)」

 その間、学園と違って姫たる装束と身だしなみを整えたミュースィルは、侍女を脇に4人ともなった状態で待つ。

 侍女たちのさらに横には護衛兵が左右に1名ずつ…部屋から1歩出ればこの体勢が即座になされ、彼女がどこに行くにしても彼らは付いてくる。

 慣れはしても窮屈に感じる。そして嫌でも姫という自分の立場を思い知らされる。



「おまたせ致しました、姫様。どうぞお通りくださいませ」

 番兵に促されて両目を開けて軽く天を仰いでいた頭を下げると、謁見の間の奥に正対するようにピシッと姿勢を整え直し、1歩、1歩…ゆっくりと前進。


 だがそんな彼女に、侍女と護衛兵達は大きく遅れてから追従しはじめた。


 それはこの後の展開を予想しているからであり、邪魔をしないようにするためだ。本来ならば、護衛の意味を持つ彼らがミュースィルより大きく離れる事は許されない彼らも、距離をあける理由は――――



「おおおぉぉぉおおぉぉぉぉーーーーー、我が愛しい娘よぉーーーーー! よく帰ってきてくれたっ、久しぶりのパパだぞぉーーぅっ!!」

 謁見の間。

 どっしりと座りて威厳ある姿勢を保ったままで入室者を迎えるべき者の姿が、その玉座にない。

 その遥か手前、扉を通り抜けて4、5歩のところでこの国で最も高貴なる男が、ミュースィルに向かって大手を広げて飛びついてきた。


「お、御父様……またそのように…。キチンと御座り待たれておりませんと、皆様に示しがつきませんよ??」

 だがもう遅い。あちらこちらで微笑ましいモノを見たといった感じで、苦笑する声が聞こえてくる。


 黙って構えていれば、年齢不相応にしっかりとした身体つきと相応の威厳を持つ、10は若々しく見え、いまだ衰えなき力強さを感じさせる偉大なる皇帝。

 しかしてその実態は、超がつく家族ラバー。特に娘には甘々な、壮年の父親であった。


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「うむ、事前の報告どおりである。ご苦労」

 なんだかんだで父をなだめ終え、場にいる全員が今更感を感じている中、謁見のていを取り繕い直した上で報告を終える。


 家族とはいえ、姫と皇帝にもキチンと身分差がある。


 公の場においてはミュースィルも、皇帝の一家臣も同じであり、相応に礼を尽くさねばならない。

 もっと厳格な国もあるだろう。これでもルクシャード皇国はその辺は甘い方である。


「しかしだ、驚いたぞ我が娘よ」

 今更それっぽい言い回しをしてみても、ちょっと滑稽だと誰もが感じてはいるが、もちろん口にも表情にも出さない。

 皇帝陛下が玉座に肩肘をつくようにして膝をついているミュースィルを見下ろしている恰好。

 心の中ではきっと “もっと近くで色々お話がしたーい!” とか思ってるに違いないであろう父親の驚きとはズバリ、娘が戦技大会へと参加した事だろう。


「戦いごとは苦手であったと記憶しているが、参加のみならず1回戦の突破、それも大将を務めるとは……この父も鼻が高いというものだ」

 威厳ある口調を心掛けようとしているのが丸わかりで、控えている側用人の何人かが笑いを堪えていた。

 そのうち控えている臣下の誰かが、“もういいじゃないですか、父娘おやこなのですからそう取り繕わずに楽に会話なさっても?” と言い出すんじゃないだろうか?


 ルクシャード皇国の皇帝周辺は、とても家族ライクだ。

 もちろん執政の場ではキチンとすべしだが、こと皇帝への親近感の高さは、他でもない皇帝自身の威厳を一皮むけば顔を出す、その寛容で大らかな性格にるもの。


「(御父様は相変わらずですね…)」

 肩の力が抜ける。それはそれでいい事なのだろう。


 皇帝は家族を重んじる。そしてそれは、彼らの生活圏に近しい従僕達にも影響している。

 

 彼はもとより家族想いな人間であった。だが、皇帝が即位する以前よりの親友…その大事な家族が不幸に見舞われた際、まるで我が事のように悲しみを共有した事件が、その昔あったという。


 以後は、より一層に家族想いに拍車がかかった。

 その親友の力にならんと兼ねてより兵や臣下を動かしているし、自分の子供達にはこれでもかと目をかけ、大事にしている。


 その家族愛の深さは理解できるものの、だからこその窮屈さと、ますますもって姫でなくてはならないプレッシャーを、ミュースィルは幼き頃より感じていた。

 

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「ウフフフ、あの人は…それはもう貴女あなたが帰ってくるのを心待ちにしていたのですよミュースィルちゃん」

 謁見の後、ミュースィルは母の部屋を訪れていた。これも一応はならわしの一環であり、父への報告と同じように母にも報告を終えた後、共にお茶を嗜んで一息つく。


 シンシア=ルクシャード


 ルクシャード皇国の皇正妃であり、ミュースィルの実母である。皇帝よりも10も年若いが、その夫婦仲は城中が認める超おしどり夫婦。

 事実、皇帝の寵愛を一身に受けており、現在四子いる皇帝の子供達のうち、ミュースィルを含めた3子を、彼女が産んでいる。


 並みならぬバストの持ち主であるミュースィルすら超えるバストの持ち主でありながら、その重量に負けぬ姿勢の良さと気品を常に維持し、それでいて愛嬌と若干のお茶目さを有した、安らぎある母性を湛えた女性であり、他の妃達からもよくうやまわれている。

 ミュースィルに輪をかけてたおやかであり、その自然な笑顔は見る者を癒すため、臣下や兵士達にもこのルクシャード皇国そのものの母であると慕われているほど。


「(お母様には一生かなわない気がしますね…)」

 幼い頃からのお手本であり、理想像であり、永遠に到達できそうにない目標。

 涼しい顔をしながらも、カップを口にするミュースィルは、ほんのりと羨望による悔しさを抱いた。


「それそれで、ミュースィルちゃん。気になる男の子はいるのかしら? 先ほどのお話に出てきたシオウ君は、とっても良い感じのようですけれど??」

 気品がふわりと風船を付けられて浮かび上がる。しばらくそこで滞空しててくださいと言わんばかりに、豹変してガールズトークを望む母。

 こういう一面を見るとなるほど、あの父にこの母は確かに御似合い違いなしと、いつも思わされる。


「お、お母様…。ええっと、気になると言えばそうかもしれません…ですがわたくしには――――」

「あら、許婚いいなずけ許婚いいなずけで、恋する気持ちとは別なのですよミュースィルちゃん? それに貴女あなたが望むのでしたら、パパとママ、それにレックちゃん……お兄ちゃん達もみーんな協力してくれます。そのシオウ君と結婚しても良いのですからね?」

 あるいは一生独身でいたいと望めば、それすらも許容してくれるに違いない。普通の王侯貴族の家に生まれた娘には絶対にありえない事。


 そしてそれではダメだとミュースィルは思う。甘えに過ぎるし、皇家に何らプラスにならない事を望む事は家族の足を引っ張ってしまう行為だと彼女は考えてしまう。


わたくしも孫の顔が見たいですから、ミュースィルちゃんにはそのシオウ君と頑張っていただいて、ぜひにたくさん――――」

「その前にお母様の方こそ、わたくし達に妹か弟をもたらしてくださいそうですね」

 軽く興奮して暴走しそうになっていた母をなだめんと、そして同時に話題をそらそうとする。

 実際、この両親の仲の良さは大変に素晴らしい。それはもう、まだまだ家族が増えそうと思えるほどに。


「ううん、そうですねぇ…。ママとしましてはそろそろ、もう少し他のお妃さん達に頑張っていただきたいと思うところなのですけれど。まだわたくし以外ですと、ククルちゃんがラクサちゃんを一人産んだだけでしょう? 他の子達側室はまだ若いとはいえ、もう少し楽をさせて欲しいかもと思わなくもないですねぇ」

 そういうシンシアの表情からは、ほんの少しだけ疲労感が見て取れた。恐らくは昨夜も父と愛し合っていたのだろう。

 皇帝はもう結構な年齢に差し掛かる。だが見た目にも、実際の体力的にもまだまだ現役バリバリ。正妃にしろ側室にしろ、ミュースィルに弟か妹が新たに出来る可能性は非常に高かった。






「お帰りなさいませ、姫様。ベッドメイキングは済ませております」

「ご苦労様。少し下がっていてください」

「かしこまりました。また御夕食の頃合いに伺わせていただきます」

 思ったよりも母の部屋に長居してしまった。

 メイドの退室と共に、彼女にしては珍しく、少し品位に欠ける形でベッドの上にその身を投げて、軽く転がった。


 父の側室の一人であるククルー妃が、シンシアのところに遊びにきたのをきっかけに退室したが、もしあそこで彼女が来てくれなかったら…


「(今頃、まだお話が続いていたでしょうね…ふぅ)」

 会話が嫌というわけではない。話をするのは好きだ。


 しかしミュースィルは学園で知ってしまった。自分はただ黙して静かに庭で日向ぼっこをしている方が、それ以上に好きなのだということを。


 なので周囲に誰もいない…あるいは誰かいてもあれこれ会話を交わす事なく、静かにくつろぐ時間が理想的かつ尊い。

 今、無意識に侍従を下がらせたのも、そんな本音が心の底にあったからなのかもしれない。


「シオウ様と……でも、わたくしは……」

 顔も見た事のない許婚いいなずけとの未来。それはルクシャード皇国の姫君としては当然の在り方。しかし、それは自分が望む未来ではない。


 母と父のような夫婦関係を築ける方が王侯貴族の世界では稀だ。嫁ぎ先では自由などない。

 他貴族のご婦人達と、家格を守るために上っ面の体裁を繕い合う交流。夜には跡継ぎを作るため、そこに愛があるのかどうかも疑わしい行為を行う…そんな日々を、死ぬまで過ごす。


 想像しただけで苦しくなる。


 確かに恵まれた家に生まれ、何不自由なき生活を送れているという事は、それだけで幸せなのかもしれない。けれどその先に待っているものが、果たして幸せな日々なのだと言えるだろうか?


 自ら決める事のできない将来。それは時間の経過とともにやってくる逃れられない宿命。


 自分で未来を切り開く努力すら出来ない身分

 それを世の多くの同性達は、なぜ羨むのだろう?




「……シオウ様……」

 シオウに惹かれるのはその自由奔放さ故なのか。旅人という根無し草に生きてきたという過去と、学園を卒業した後もきっとそう生きて行くのであろう彼に、妬みにも似た羨ましさをどこかで感じているからなのか?


 シオウと共に見知らぬ世界を旅をする、自由な自分を想像してしまう。自分で切り開くという事に憧れを持つお姫様にとって、それはあまりにも理想的すぎる未来。


 人知れず抱く、現実への苦悩と理想への渇望――――それはミュースィルがシオウに抱いている気持ちが、男性に抱く恋心であるのかどうかを考えさせなくするほど、深く苦しいモノとなって彼女の大きな胸の内で滞留していた。






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