第5章3 風の定義


――――――観客席、招待客ゲスト専用スペース。


「覚醒能力…あんなふうに戦いに使うのね、はじめて見るわ」

 アレオノーラは目をパチクリさせながら試合に見入る。彼女の膝の上にお座りしているメルリアナも、不思議なものを見るように興味津々に闘技場の上を見つめていた。


「ま、普通は持ってる奴がいたとしても、人前でそう披露するでもなし。まして直接的な荒事に縁遠い貴族だと見る機会なんてほとんどないかもな」

 言いながら二人が座っている席に近づくシオウ。だがその前に二人、槍を持った衛兵が立ちはだかった。


「待て。ここはVIP席だ、なれなれしく近づく――――」

「いいのよ、彼は当家の家人よ。自由にお通しなさいな」

「うん、家人ではないけどな。…お仕事ごくろーさん、ちょっと通させてもらうよ」

 外部から招き入れた客、事実上今回の校内選抜大会に金を出しているスポンサー達専用のそのスペースは、観客席の中腹に簡素な衝立でもって区分けられている。


 一応屋根も設置されているがキチンと部屋化されていないのは、予算や試合会場設営の問題なのか。普通の観客席に比べれば破格の待遇だろうが、中流階級クラスとはいえ仮にも貴族や豪商人らを招き持て成す席としては貧相チープだ。それなりに高級そうな床の絨毯の赤色が、いっそ虚しく感じる。

 実際、アレオノーラ達と座席間およそ1m半ほど空けた隣席に座る老練の商人らしき人物は、やや不満げな面持ちで腰かけていた。


「(やれやれ、スポンサーとして出資をリピートしてもらおうって考えはないんだろうか?)」

 こういう所で気をしっかりと回さないとダメなのになと、フラッドリィの能天気な表情を思い浮かべつつ心の中でダメだしする。

 上がった衛兵の槍の下を潜り抜けてアレオノーラ母娘おやこの席に歩み寄った。


「どこへ行っていたのです? 席に案内した途端に用事があるとすぐに消えてしまって」

「ん、まぁ色々とな…。ところで旦那モーロッソが大会に出た理由についてなんだが…」

 

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 シオウは言葉を選びながら自分の知っているモーロッソの事情と、そこから考えられる事をアレオノーラに伝える。

 彼女の性格なら、今すぐに席を立ってモーロッソにビンタでもしに行きかねない。あるいはモーロッソを脅してる奴に直に話を付けに行こうとするかのどちらかだ。


 だが現状ではどちらでもダメだ。


 この問題の根っこにはレステルダンケ家の御家事情がある。しかもその問題を作ったのはアレオノーラの祖父であり、現在は家長たる彼女の父がソレに苦しめられている当事者。すなわち、娘のアレオノーラは未だ政治的道具政略結婚となりうる立場にある。


 いかに既婚者とはいえまだ10代と年若い彼女。加えてモーロッソ旦那は元は普通の一般人である。御家の問題を解決するため、別れさせて無理にでも他へ再度嫁がせる、なんて事もさせられかねない。


 事実、父親が決めた先に嫁がされそうになった事が、モーロッソとのスピード結婚のきっかけだったのだから。

 その時は持ち前の行動力と胆力で押し切ったアレオノーラだが、父が祖父の残した負の問題を自力で解消できない限り、彼女は子を成した今でもってなお、御家のために人生の不幸を強いられかねない。


 その点を解決できる道筋がないままでは、至るまでが遅いか早いかくらいの違いしかなく、辿る末路は同じかそう大きく変わる事はないだろう。




「……では、シオウはわたくしたちにどうしろというのかしら?」

 案の定、話の途中で我が子を預けて一人、モーロッソの元へ行こうとしたアレオノーラを引き留めるシオウ。メルリアナをあやしつつ、自分のスカートの中から何かを取り出し渡した。


「……手紙? 一体どなたからの……………。っ……この宛名は?!」

「そ。アンタ宛に送られてきた手紙ってわけじゃあない。紹介状・・・だ、その宛名の人物へのな」

「なんと……この名、結構な大物ではないですか? ああ横から失礼、ついぞ気になったもので」

 隣に座っていた商人らしき初老の男性が、アレオノーラの持つ手紙の宛名を見て瞳に真剣な輝きを宿す。


「商人ならこの名前を知っていても当然か。まったく、北東大陸まで知られてるとか相当なやり手になったもんだ、アイツ・・・も」

「…。……この方・・・をアイツ呼ばわりする貴女あなたの御名を伺ってもよろしいでしょうか? ああ失礼、私めはヴェンテ=エ=マルシアスと申すしがない商人にございますれば良しなに、御嬢さん」

 ヴェンテと名乗る商人は丁寧な名乗りだが、非常に落ち着いた雰囲気を持つ紳士だった。席に不満そうに座っていた時とは違い、満足いくものが得られそうだという期待感からくる視線でもってシオウを見ている。


「こちらは我が家の家人になるシオウ。ちなみにマルシアス卿、彼は男性ですわ。お間違えのなきよう」

「家人にはならないけどな。孤児の出なんでファミリーネームはないが…シオウという。一応、この学園の2年次生だよ」

 シオウはメルリアナを持ち上げて自分の胸前に持ってくると、まるで彼女が喋ってるかのように、その小さな手を揺らした。

 簡単な自己紹介を終えるとアレオノーラにメルリアナを返し、ヴェンテに改めて向き直る。


「んじゃま、アンタにも一つお願いしとこうかな。見返りは……そうだな、コレとは宛先の違うモノでよければくれてやれるんだけど」

「…ほほう、何やらまだ驚くべきものを持っていそうですね、シオウ殿は?」

「まぁね。事を上手く運んでくれればアレオノーラ達……レステルダンケ家の面々は少なくとも不幸にならずに済むし、商人であるそちらさんも美味しい結果が得られる。もっと言えば、この国そのものにも貢献する事もできる…かは、そちらさんの腕次第かな。まぁ最高の結果を出せれば皇帝の覚えよくなるだろうよ」

 シオウは鼻ほじ級に軽く言ってのけた。

 だがその言葉通りならば、彼が持ち得ている “ 何か ” は国益レベルの価値があるという事になる。

 ただの学園のイチ生徒、しかも孤児の出だと簡単にカミングアウトした者が、そんな凄い何かを有しているなどとは普通なら考えないだろう。


 だがヴェンテの見立ては違った。あのレステルダンケ家はアレオノーラ嬢の彼に対する評価の高さを見抜いていたからだ。


「(二人のやり取りからして、このシオウという少女の如き者……相当な人物である可能性は小さくない。アレオノーラ嬢の胆力と慧眼けいがんは、貴族社会では有名事実。しかも実子をああも易々と触れさせ、任せている……)」

「それで返答は? 俺もこう見えて出場選手でね。詳しい話は申し訳ないが後で頼むわ。イエスノーだけこの場でくれるとありがたいんだけどな?」

「(! こやつ…っ。フッ…これはなかなか)」

 この場でノーと言えば、シオウは躊躇いなくこの話はなかったことにするつもりでいる。

 詳細も話さないで伸るか反るかの選択を年上の、しかも取引ごとに長けた人種である商人相手にしれっと迫ってくる――――なかなかこの年齢としで出来る事ではない。


 その達観した態度と駆け引き。


 それだけでも老練な商人である彼をして、価値ある人物と判断させるに十分だった。


「良いでしょうその話、乗らせていただきましょう。何やらとんでもないものを頂けそうですしな」

 そう言ってパチリと軽くウィンクしておどけてみせる。期待していますよという意思表示だ。

「そこは十分期待してもらって構わない。そうだな…多分驚くことになる――――ん? リッドの奴、勝負に出る気か。アイツ、ちゃんと相手の能力を見極められたのかな?」


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 シオウが横目で試合状況を確認するのとほぼ同時に、リッドは木剣を構えなおし、いかにも突撃するぞ、といった雰囲気を醸し出していた。


「……よし、覚悟しろデフラっ、オレが勝つ!!」

「気合い入れのつもりかっ? 勝つのはこっちだ!」

 闘技場の床を蹴って飛び出すリッド。真っすぐに飛び込んでくる様にデフラは、思わず笑いそうになった。飛んで火にいる夏の虫―――まさに自分の能力の餌食。


「ヤケになったか? だが遠慮なくっ」

 ブワァッ!!


 武器によって起こされた。それを見てリッドは、まずは数を数える。

「(…1…2…3……)」


 ボゥッ!!


「(点火……そして、1…2………)」


 ボボォオオッ……ビュォオッ……


「(オレの数えカウントに誤差があると考えると、炎に変わるまで2~4秒。風に戻るまで1~3秒……)」


 なんとか直撃をかわしながら、冷静に相手の風の変化を理解する。だがその間隔自体は、既に体感でなんとなく分かっていた事だ。

 それ以上にリッドは、相手の起こしたそのものに意識を集中していた。


「(あの武器で起こした、風速どんくらいだろう? さすがに見えないモンを計算で導きだすのはちょっとなー…オレ、計算苦手だし)」

 決して思考に適した状況ではない。デフラの繰り出す攻撃をかわしながらリッド自身、闘技場の上を大きく動き、転がり、飛びのき、体勢を立て直し…かなり激しく動き続けている。


 だが一度こうしようと決めたからなのか。不思議なことに、戦闘行動をとりながら今までで一番冷静にモノを見て思考する事が出来ている自分に驚く。


「はぁ、はぁ、はぁ……そうかリッドお前、こちらの息を乱す作戦か?! そうはいかないぞっ」

「(まぁ、それも狙いちゃ狙いだけども、そっちにはあんま期待してねーんだわ)」

 それで勝てるぐらいなら、とっくに勝っている。

 これまでもデフラの息が上がったタイミングで何度も仕掛けているが、全て返り討ちにあっているのだ。そう簡単にいかない事は十分に理解していた。



「(…! 今…変わらなかった?)」

 闘技場をあちこちに走り回っているリッド。それに対応せんと大きな武器を振るうデフラだが、右から左へと仰いだ直後、返すようにして左から右へと仰いだ風が他の属性に変化しなかったのをリッドは見逃さなかった。


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風の定義・・・・?」

 アレオノーラが小首を捻る。リッドが勝負に出ようと飛び出した辺りから、シオウはすっかりVIP客のための解説役を求められ、今もなお観客席にいた。


「ああ。風は究極的に言えば空気の移動・・・・・。だけど相手の能力は風を火や水、電撃へと一時的に変える。覚醒能力自体は魔法とはまったく違うものだと言われているが、やはりというか能力者自身が抱くイメージの影響はあるんだろうな」

「イメージ……ですか。それはつまりあの選手にとって、風のイメージが能力そのものに影響している、と?」

 ヴェンテの問いに、シオウはハッキリと正解であるとは言わなかった。


「どうかな。関係ないとは言えないが。実際、火水電の3属性に抱くイメージが大きくて、能力者自身が変化前の風にも相応に強いものを求めようとしてしまってる傾向は見てとれる。けど、あの能力最大のポイントは、弱い風でも変化後は一定以上の効果を持っているところだ」


「それは小さな風でもぜんぜん問題ない、という事よね?」


「そうなる。けれど能力者にとっての問題は起こす風の強弱はもちろんの事、より重要なのはそれが “風と呼べる・・・・・もので・・・あるかどうか・・・・・・ ” ってところだろうな」

「なるほど、それでかの者にとっての “ 風の定義 ” がいかであるのかが重要になってくると」

 ヴェンテは納得した様子だ。アレオノーラもなかなかに興味深いとばかりに、改めて闘技場の上の二人の様子を観察する。


「(その辺りはリッドの奴も気付いているはず。けどそれでデフラに勝つ事は難しい。デフラにとっての “ 風の定義 ” …、それを残りの時間で正確に把握するには厳しいし、わかったところで今のリッドに真っ向から取れる対策はほぼない。と、いう事はアイツが待っている・・・・・のは……)」

 そう言って、シオウだけは闘技場ではなく空を見上げた。


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「はぁ、はぁ…制限時間まで粘っても無駄だぞリッド! 判定に持ち込んでも確実にこっちの勝ちになる、どうする気だ?!」

 試合の制限時間10分。それを待てばこれまでの試合の内容上、勝利するのは十中八九デフラだろう。言ってる事は正しいが、本人がわざわざ口に出す事ではない。


「(煽りか…焦ってるなデフラの奴。もう腕が限界か?)」

 呼吸の乱れ以上に、大型武器を運用し続けた両腕が悲鳴を上げているのだろう。制限時間まで粘り抜けば勝てるといっても、リッド相手がそれまで大人しくしているような奴でない事を、デフラはよく知っている。


 時間稼ぎをしても自身が今より疲労困憊ひろうこんぱいになるのは目に見えている。そんな状態でリッドの起死回生の反撃を喰らえば逆転を許してしまいかねない。デフラにしても制限時間に頼らずに早めに決着をつけたいのだ。


「……! さて、待った甲斐があったみたいだ…デフラ、覚悟はいいかー?」

「何? どういう意味――――」

 だが彼は言葉を言い切る前に理解する、リッドの狙いがなんであるかを。


 ヒュウゥゥオオオォォォ……


「!! しまった、お前っ…これを待ってたのかっ!?」


 タッ…ンッ!!


 デフラが驚いている間にリッドは大きく跳躍していた。

 天候・・は気まぐれだ。機をとらえたなら一切の時をかける事なく、動く。


「そういうこった!! ハァァァァッ!!!」

 デフラが慌てふためきながらも、迎撃せんと武器を振るう。風を起こすためではなく、リッドの攻撃を受け止める…あるいは反撃するつもりで。

 だが遅すぎた。



 ビュッ! ドッ、カッッ、ッ!!!



「へぐぅっ!」

 鈍った相手の攻撃を余裕でいなしつつ、空からの一撃。


 着地直後、息もつかずに相手の全身に打撃を与えるよう素早く連続で切りつけた。

 当たったのは全てデフラが身に着けている防具の上。だが、リッドの残りの全力を込めての攻撃だ。その衝撃は十分にデフラ本体にまで伝わる。


 その証拠に、デフラの手からその大きな武器が零れ落ちてガラランッとけたたましい音を立てた。

 続いてデフラ自身も闘技場の上に転がったらしく、駆け抜けたリッドの後ろで、ドサリと倒れる音がする。


自分で・・・起こしてない風は変えられない。必要以上に強く仰ぐ癖は、普通に風が吹いてる時でも能力を使用するためってワケだ。もっとも長引いて、腕が悲鳴上げてちゃ自然の風には勝てないよな。……痛てて……やっべ火傷がヒリヒリしてきた、火が一番ヤバイな」


 一拍あけて歓声が沸き、同時に審判の勝者の名を告げるコールがこだました。



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