序章3 本好きの旅人が落ち居る処


―――――――ルクシャード皇国。


 皇帝を頂点とした、いにしえよりルクシャード皇家が納める国家。その歴史は古く、北東大陸諸国の中では最長で安泰存続している。



 歴史を振り返れば、国家存亡の危機となる災害・外敵・内乱・革命・下剋上といったアクシデントが起こっていないわけではない。

 歴代の皇帝はそうした盛衰の転機に対峙したとき、実に上手く対処している。その手腕こそが、長命かつ安定した国家を今日まで継承させてきた何よりの要因である。


 精神・実力・カリスマともに優れた皇帝たちは他国の、跡継ぎは長子でなくてはならないとする古い慣習に同調しなかった。


 もっとも次代に相応しい者を、親族全ての中から選び抜いた素質ある者が皇帝の座につくを良しとし、そして良き先代達の歴史を次代に伝えゆく―――そんな正のスパイラルのおかげで長い歴史の中、悪しき皇帝が出現した時代というものは、この国には皆無といってよい。



「 “ ―――――近代でも国家の総合力をあらゆる点で高水準に安定させるという治政方針を、歴代皇帝で継承・共有している ” と……」

 歴史を感じさせるが相応に整備の行き届いた、僅かに歪んでいる石畳を踏みしめ、次のページをめくる前に、旅人は本より顔を上げた。


「歴史ある街並みっていうのは嫌いじゃないな。なんとなく心地がいい」

 眼前に広がるは、起伏ある土地の上でも綺麗に整備された古き良きルクシャード皇国の城下町。

 石材やレンガ、凹凸のない漆喰に覆われた白壁に、それらを支える木材の柱で構成された建築物立ち並ぶ石畳の広い通り。


 城下町の郊外。都全体の外周に当たるこの辺は少し小高く、皇国首都全体がよく見てとれる。


 絶景。


 古ぼけた都市ではない。はるか昔よりきちんと整備と改修がなされ、時にその時代の技術の最先端や新常識も取り入れた更新もなされ続けている。

 そんな、しかと人の手が入れられてきた古き良き街の雰囲気は、淀みなき風と生きた街並みが発する輝きでもって、他所より訪れた旅人を優しく迎え入れてくれた。




  ・

  ・

  ・


《―――――…。―――――………》

「少しは腰を落ち着けろって? そうは言ってもな、どこかで長期滞在するための金なんて―――」

《―――――……!》

「本はいい。無駄な出費じゃない。むしろこれほど有意義な金の使い方はない」

 誰もいない。

 旅人一人で、誰かと会話でもしているかのように言葉を発していた。行き交う人々は、それはもう奇妙なものを見る目ですれ違っていく。

 だがそれは、何も旅人がヘンな独り言を呟いているからだけではない。むしろ奇妙に思われる原因の主は、その姿にあった。


 ―――本。

 本、本、本、本、本っっ!!


 背中の背負子しょいこに括りつけられている荷物のうち、旅の必需品と思われるモノは1割程度。

 旅人の低い背丈を越して、なお頭3つ4つ分くらいの高さまでムリヤリ積み上げられた荷の、ほとんどすべてが書物ばかりだった。



《―――――…、……》

「わかったわかった、そんなに呆れるな。この街も広いし見て回れる場所も多そうだ、腰を落ち着けられるかどうかは別にしても、少しはゆっくりするさ」

 背負う書物は痛みがひどいものばかりで、ほとんどが購入されてより相当な時間と読破量を経ている様相。


 しかし旅人本人はというと、背は低く声も年若い。


 髪は白銀髪でだらしなくも枝毛だらけの、手入れの行き届いていない多毛長髪。しかし輝き失せて色落ちた老齢者の毛髪ではなく、若さを感じさせる瑞々しい輝きがある。


 旅の合間の暑さ・寒さをしのぐため、機能性重視な飾り気のない外套マントは、洗ったとて落ちないであろうガンコな汚れにまみれており、丈夫な生地で作られているはずが随所にほつれも見られた。


 風雨や日差しに対処するための、深くかぶった旅用の丈夫なキャップ帽も、やはりあちこちヘコんで形がいびつになっており、これまた汚れが酷い。


 しかしながら、そんなベテラン極まったかのような痛みの激しい旅人装束とは真逆に、服の隙間から僅かに覗く肌は、薄汚れてこそいるもののまだ10代を思わせる瑞々しい色艶を含んでいた。



「とりあえず宿を探すか。何をするにしてもまずは落ち着かないとな」

《―――――………》

「……いい宿の意味ってあるのか? 俺に宿っている・・・・・お前に」

《―――――…!》

「気分ね。わかったわかった、俗っぽい守護獣だな」

《―――――……! ………!!》

「たった1字違いだろ、意味にしたってどっちも大差ない――――はいはい、わかったよ、守護獣サマ」

 一人ぶつくさ呟きながら、未知の街中を歩き進む。

 遠くにこの国の皇帝の居城が見える素晴らしい景観を楽しみつつ、旅人は街の中心部に向けて歩みを進めた。


 ・


 ・


 ・



「申し訳ございません。当館はルクシャード皇立学園の生徒にのみ、ご利用を限らせていただいておりまして、生徒以外の方のご利用・ご入館はお断りしております」

 宿を探す途上、蔵書庫を多数併設する立派な図書館を見つけ、心躍らせた旅人。


 しかし僅か1、2分後には、それはもうガックリと肩を落として本当に残念そうな態度と表情で図書館から出てくる事となった。



《―――――……》

「本はいくら読んでも尽きるものじゃないし、飽きもしない。いいだろ、図書館なら金もかからない……ま、元より利用できないなら有料無料関係ないが」

 後ろ髪引かれる気分でトボトボと歩き出す。


 やがて図書館の建物が遠くなりはじめると道の片側が、赤茶けたレンガと上部に植え込みの緑をいただいている長い壁へと変わった。


「随分と広い敷地の……、あぁ、ここがさっき言ってた “ 学園 ” かな? 国立・・ではなく皇立・・だというのが凄いな」

 道の遥か先まで続く壁の向こうに、それなりの階層を持つ大きな建物が緑樹越しに見えている。

 根無し草の旅人にとって、数年間同じ施設内に留まって活動することになる学術機関は縁遠い存在だ。

 しかし今だけは少しばかり、学園に通う学生たちが羨ましく、そして若干の妬ましさも感じる。



「あんな立派な図書館で毎日本の読み放題か、楽園だな」

《―――――……?》

「大袈裟じゃない。あの規模を考えればどれだけの蔵書があそこに――……ん? やけに人が多いな」

 道の行く先、ちょうど学園の正門と思しきところに、相当数の人影があった。しかもその姿はまばらで統一性がなく、この学園に在籍している生徒には見えない。


「……同い年くらいの奴が多そうだが、何事だろうな」

 長旅をしてきた分、アクシデントに巻き込まれるのは慣れている。何かあろうとも彼にとって特別に驚くような事はそうそうない。

 一切の躊躇も恐れもなく、かといって期待感や好奇心を沸き立たせるでもなく、何ら変わる事なく歩を進める。


 そして正門まで半ばのところを通過しかけた時、壁に張ってある掲示物が目に留まった。



< ――― ルクシャード皇立学園。一般入学試験受験日:〇月△日 ――― >



「今日だな」

《――――……》

「まぁ、俺達には関係ない話か」

 そう言って旅人は歩き出す。正門近くの雑踏を通り過ぎ、そのまま道を進んで……そう、無関係のイチ通行人として通り過ぎるつもりだった。


「はーいはい! 猫も杓子もどんどん受けるんだよ! なんてったって無料タダなんだからね! 受けないと損だよー!! こんな機会はめったにないんだからねぇ!」

 正門付近に差し掛かると、声を張り上げている大柄な女性がいた。

 身長は2m近いだろうか。恰幅よく迫力のある、しかしておおらかでお節介そうな中年女性だ。


「? 皇立ともなると貴族も通う品の良さそうなイメージだが……、変わった門衛だな」

《――――…………》

「わかってるよ、あれが門衛でないくらい。ちょっとしたジョークのつもりだったんだけどな。……しかし、いくら無料といっても呼び込みして受けさせたりするものなのか、試験っていうのは?」

 彼女が何者で、どうしてあんな呼び込みをしているのかは知らないし、知る必要もない。

 一度止めた足を動かし、通り過ぎようとする。だが――――


「おや、アンタ…苦学生かい? 随分と頑張って勉強してきたみたいだねぇ」

「え? あ、いや違います」

 いきなり呼び止められたと思えば、なぜか苦学生扱いされる。


 確かに大量の本を背負い、ボロボロの身なりは苦学生っぽいと言えばそうかもしれない。

 旅装束も薄汚れて全体的に茶色っぽくなっている分、余計にそんな風に見えたのかもしれない。



「アッハッハ、恥ずかしがらなくてもいいんだよ。今日のために一生懸命勉強して田舎から出てきたってぇ子は多いからね。さぁさ、早く会場に行かないと遅れたら勉強の努力がパァだよ?」

「だからその、俺はたまたま通りかかっただけで――――」

「まぁ “ 俺 ” だなんて悪ぶっちゃって。女の子・・・がそんな言葉を使うもんじゃあないよ、せっかくカワイイのにもったいないじゃあないか」


「いや、その、だから……あー」

 聞く耳持ってくれない。旅人は困り果てる。


 女子扱い・・・・されるのは今に始まったことではないので、この際それはどうでもいい。

 付き合いがそれなりに長くなるのであれば誤解を解く必要があっても、一期一会の相手にそんな事いちいちしていられない。




《――――…っ、…~っ、…~~っ》

「…笑うなって。このやり取り、もう何百回目だと思ってる。飽きもせずよくそんな…」


「え? なんだいお嬢ちゃん・・・・・

「いや、なんでも――――」

「お! いーい所に来たねあの子。…おーい、リッドー、こっちだよこっち!!」

 旅人を無視して自分のペースで話を進める女性は、何やら知り合いらしき者を呼ぶ。

 呼ばれて近寄ってきたのは、赤い髪をした同い年とおぼしき男子だった。


「ウルラ叔母さん。何してんだい、こんなところで??」

「こんなところでってお前、あたしゃ学園の寮母だよ? いて当然だろーに。それよりリッド、あんたもこれから試験だろう?」

「ああ! 勉強の成果、見せてやんぜ!」

 旅人は、ちょうどいいのでこの隙に退散しようとソロリソロリと歩き出す。


 だがこの場を脱する前に恰幅のいい女性―――ウルラの、その野太い手にガッシリ両肩を掴まれ、赤髪の男子の前に引っ張り出されてしまった。



「この子も一緒に連れて行ってやんな。どーも恥ずかしがり屋さんみたいでねぇ、試験会場に行く決心がつかないみたいなんだよ」

「いや、その……そういうわけじゃあなくて」


「そーなのか? 大丈夫だって、別にとって喰われるワケじゃないんだしさ。行こうぜ、ほら。やるだけやってダメなら、そん時ゃそん時なんだからさ」


 ・


 ・


 ・


 結局、旅人は勢いのままに試験会場へと連れ込まれてしまった。

 気づけば受験生に混じって会場の一席に座らされている。


「ま、いいか。無料なら損するものでもないし」

「ん? なんか言ったか? ……あ、そーいや名前! 名前まだ聞いてなかったなっ。オレはリッド=ヨデックってんだ、よろしくな!」

 叔母というだけあって、あの恰幅のいい女性と似た、勢いあるマイペースそうな雰囲気を感じる赤髪の男子は、そう言ってヨロシクと笑顔を浮かべた。


《――――……》

「わかってるよ、名乗られたからには名乗り返すのは当然の礼儀、だろ?」

「ん? なんだって??」

「いや、独り言。……俺はシオウ、よろしく」

「? シオウ……シオウ、って名前だけなのか??」

 裏表のなさそうな奴だなと思い、旅人――――シオウは微かに笑みをこぼす。

 しかし表情とは裏腹に次の彼の一言にはそれなりに重いものが含まれていた。


「孤児の出なんでファミリーネームはないんだ。あと一つ訂正、俺は男なんでそこのところも含めてよろしくお願いしとくよ」







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