序章2 その運命、夜天が流星の如し
―――――――――時は15年前。
「はぁっはぁ、はぁっ。くっそ、何が “ 簡単なお仕事 ” だッ!」
幸せとは何か? ほぼ全ての人間がそれを求めて日々生きている。
人によってその定義は異なるだろう。何が幸せで、何が不幸であるかは十人十色であるはずだ。
―――もし生れて間もない赤子にとっての幸せが、仲の良い家族に守られながら育てられる事であるとするなら、一人の幼き命が今まさに不幸への瀬戸際にさらされていた。
「アルタクルエの僧兵どもだけじゃなく、ルクシャード皇国まで兵出してきやがるなんて、こんなの聞いてねぇっつーの」
口の悪い男がバンダナでまとめ上げただけのボサボサ髪をさらに
「! …チッ」
抱いた揺り籠を隠すようにしながら、不意に街道から脇へとそれた。
満天の星空の瞬きが届かない暗がり―――草木の生い茂る中へと飛び込んで、その場で身をかがめる。
『いたか?』
『いや、こっちには……。
『なんとしても見つけねば。かの国は
鎧に身を包んだ兵士達の話し声を聞きながら、男は歯をかみしめた。
「(なんてこった…最悪だ。ヤバイ依頼だとは思ってたが……クッソぉ!)」
男は、一言でいえば犯罪者であった。日頃から盗みや殺人も厭わない、どちらかといえばそれなりに凶悪な部類の。
しかし、それはあくまで自らが生きていくためであり、好んで他人を害したいわけではない。
そもそもこれまでとて犯してきた殺人も、標的は悪名高い商人や反吐が出るような悪徳役人と、外道な連中ばかり。
タチは悪いが義賊と呼べなくもない。しかし金が積まれれば外道も辞さないという、いまだ善悪の狭間で揺れ動く半端者であった。
そんな彼に、さる男が仕事を依頼してきた。
「(
破格の条件と報酬は、成功すれば一生を遊んで暮らすに足りるものだった。しかしその内容は、とある貴族の子供を攫って殺害するという人道外れたもの。
それでも彼があまり迷う事なく依頼を受けたのは、対象を生かしておけば多くの人々の未来に暗雲が立ち込める事になると思ったからだ―――依頼人の説明が事実だとすればの話だが。
「(今となっちゃあの説明も疑わしいぜ! 捜索に国が動くレベルだと? どうなってやがるっ?!)」
少なくとも、
そんなやんごとなき幼な子。
さらうまでは呆気ないほどに簡単だったが、あきらかにその後、簡単に発見されるよう仕組まれていた。
依頼主、あるいは更なる黒幕が100%利用するだけ利用し、どう転んでも下手人を使い捨てる―――殺す―――気満々。
依頼主が最初から自分を
彼は仕事を引き受けた事を今になって後悔した。
・
・
・
「ハァッ、ハァッ、ハァッ!! …こ、ここまで…ぜぇ、ぜぇ…逃げりゃ……ハァ、ハァ……」
そうは言ってもとにかく走り続けた果て、今がどこらへんなのかもわからない。本当に追手や捜索の手を振り切れたのかも疑わしい。
だが、決して鍛え足りなくはない男の足も、棒のようになってもう一歩も歩けないとその場で止まってしまう。
そして崩れるようにして地面に尻を落とした。
「(……これからどうする? ノコノコ返しに行ったって捕まるのがオチだ。それに……)」
男はチラリと赤子を見た。
「(こんなガキですら
決して赤子に気を配って走ってきたわけではない。にもかかわらず、全く目を覚まさずに眠っている小さき命に、思わず呆れたようなため息をもらした。
「全然目覚めもしなけりゃ泣きもしねぇ。…大物になるよ、お前は」
もちろんそれは生きて無事に育てばの話だ。ここで依頼通りに殺してしまえば子の将来は絶たれる。
男の腰の、短刀の鞘飾りが月明りでギラリと輝く。だが男は、その柄に手をかけようとはしなかった。
――――――某国某所。
「……王子の現在の所在は?」
「わかりません。ですが、神聖公国内の
外目を気にするように窓の外を伺うゴロツキ二人を尻目に、薄暗く小さな部屋の中央、ローブで身を隠した男が、目の前でヒザをつく者の報告を聞いていた。
「では、まだ生きている可能性もあるのだな?」
「おそらくは。目ざわりだったバカな義賊かぶれの下衆を破格の報酬にて釣り、もろとも使い捨てる計画でございました。されどいかに殺しの経験がある者でも、素直に赤子に手をかけるかは……。人選を徹底すべきでした、申し訳ございません閣下」
頭を深々と下げる報告者に、ローブの男は軽い笑い声でもって気にするなと返す。
「良い、行方不明でも構わぬのだからな。…殺してしまえればそれが最上かつ確実である事に違いないが、どのような形であれ後継を失わば王室の意気は地に落ちる。仮に王子が生き延びたとて、帰ってくる前にかの国の全てを我が掌握しておればよいだけのこと」
ローブの男は片腕をあげ、何もない空を掴まんと、握る仕草をした。
「
「実権をあなた様が握るはもはや確実、という事で」
「継承者なき王家。なれば、次期国王に据えるは国を掌握する実力者に他ならん。それが誰であるかなど議論すらおこらぬ、フッフッフ……」
勝利は目前だと、ローブの男は笑みを止められない。
だがまだ油断できる段階ではないと軽く肩を上下させ、浮つきかけた気持ちを切り替えた。
「……命を取っておくに越したことはない。その方がより確実であるのだからな。どうするかは、わかっているな?」
「はっ。引き続き可能な限り王子の行方、追いますれば、後はどうぞお任せを」
「うむ、任せたぞ。くれぐれも王家と奴らに
「(! ……っ、もう嗅ぎつけてきたのかよ?!)」
自分が走ってきた方角から人が近づいてくる気配を感じて、男は全身を引きずるように、急いで茂みへと身を隠した。もちろん赤子の籠も発見されないようしかと抱き抱える。
『ふう……、帰りが遅くなってしまったのう』
『仕方ありませんよヘルニキスさん。何やら大事が起ったようでアルタクルエの検問が長引きましたからね』
『あんなボロ神殿の司祭でも、聖職位にあると大変ですなー、ハハハッ』
漏れ聞こえてくる男たちの声に兵士のような殺伐さは感じられない。男はそっと茂みから覗く。
「(……坊さんか? 雰囲気からすっとアルタクルエからルクシャードへの帰り道って感じか)」
正直、非常に安堵している自分がいた。
一口に聖職者といってもピンキリで、戒律やらなんやらを一切守らない堕落した生臭坊主もいれば、信仰に己の生を奉じる熱心な者まで様々。
そして男の経験から、たとえ犯罪者やワケあり者であっても、後者に近い聖職者は
それどころか、こちらが真摯な態度であれば時に権力の目から匿ってくれるなんて事例さえ数多ある。
「(少なくとも兵士どもに見つかるより……いくらか可能性あるか?)」
第三者に赤子を預け、自分は身軽になって逃亡を図るのも悪くない。
だがコトの黒幕が自分と、特に赤子の命を狙っているとすればそう容易なことではない。赤子の生存の報が簡単に聞かれてはならない者の耳に届いてはマズイ。
もし知るところとなれば、再びその生命脅かそうとするは明らかだし、自分が依頼を達成しなかった事もバレて、やはり口封じの刺客なりを差し向けてられてしまうのは、実に想像しやすい未来だ。
「(どうする? せめて黒幕野郎の名前でもわかってりゃ、坊主に預けても警戒してもらえたかもしれねぇが……いや、それでもクソったれな黒幕連中の方が上手か)」
赤子の生命を狙う黒幕がいる事をいかに説明し、注意しながらいいように図らってもらったとしても、たかだかイチ聖職者ではいざという時に対処できるハズもない。
彼がどうするべきか悩んでいると、また話声が耳に入ってきた。
『しかしヘルニキスさん。どうしてまた夜を明かさずに帰ろうと? いくらルクシャード皇国とアルタクルエ神聖公国が良好な間柄で、街道の治安がいいからって、夜道はやはり危ないし、老体には堪えるでしょうに?』
『おいおい、まだジジイ扱いせんで欲しいんだがね。……おほん、こんな話を知っておるかな?』
聖職者は、一つ説法を聞かせてしんぜようとでも言い出しそうな、得意げな顔で語り出した。
『天命に守られた者はいかに困窮し、難事に喘ごうとも生き延びる。じゃが見放された者はどれだけ己を守り堅め、生命を脅かすモノを警戒しようが死ぬ。長流なる大河に流されようが生き延びる赤子もおれば、恵まれた家に生まれようとも思わぬ病魔や不幸でアッサリと命散る子供もおる』
男はギクリとした。まさか自分に気付いているはずはないと思うが、気を引き締めなおす。
そして同時に聖職者の語る話を聞いていると、この後自分がどうするべきかを決められそうな気がしてきていた。
『よーするにじゃ。コトの大小に関わらず人の命も物事も、なるよーにしかならん。夜道を旅したとて死ぬときは死ぬし、安全な街の宿で一晩明かしたとて、それが先々悪い結果に繋がらぬとも限らん。そして人間とは誰もが己が先のことなどわからぬほど弱く果敢無きものよ。天が微笑むならば、この夜道の旅とて大事なく終えられるのじゃよ』
穏やかな高笑いと共に話声が遠のいてゆく。
周囲をよく警戒し、街道にでた男は彼らの背……ではなくその行く先を見た。
遠くで水の流れる音に気付く。
その川はきっと、ルクシャード皇国の南隣の国であるレンテグラーダへと続いているものと、記憶の中の地図を頼みに推測する。
自身の現在位置を理解した男は、もう遠くなった聖職者たち一向の後を追うように街道を一路、川を目指して歩き出した。
その上をまるで追いかけるように、一筋の流星が夜天を貫いて流れる。
呼応するかのように、赤子の髪の一部が夜風に靡いて、まるで炎の羽のような赤き煌めきが走る。
舞うような軌跡を描きながら、一瞬にして明かりなき宵闇の空の彼方へと消えた。
不幸なる幼き命と暗がりの住人たる男がその後、どうなったかは誰も知らない。
幼子の親はどれほどの年月が経過しようとも、愛しい我が子の行方を捜索し続けるだろう。
だが、哀しみに暮れた家族の気持ちなどどこ吹く風で世界は
赤髪の幼子―――その僅かな手がかりすら親の耳に届くこともなく、時は無情に流れていった。
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