*良い天気

「ガキのくせに」

 生意気言いやがって──こんなクソガキ、殴ってやりたい。しかし、疲れて怒る気力もない。

 そうか、こいつはそのために俺たちを走り回らせたんだな。

「はーい。ごちそうさまでーす」

 健は食べ終えた弁当のケースを回収し持っていたビニール袋に詰めてバッグに放り込む。

 それを確認した匠は、健のバッグからクッキーを取り出し隼人たちに差し出した。

「それも匠の手作り~」

 へらへらと笑いながらお茶のペットボトルを差し出す。

「なんで、ここまでするんだ」

 隼人は透明の袋に入れられた人型のクッキーを眺めて匠を見上げた。

「鬼になってくださった方への賞品ですから」

 しれっと応える匠に唖然とした。

 ただ相手に報復するためならば、こんなことは必要ない。ましてや、手作りなんてあり得ない。

 匠がただ楽しんでやっているとは思えなかった。四人分の弁当を作るのだって大変なはずだ。

 隼人は、ゆっくりとクッキーを取り出して口に含む。強い甘みでは無かったが、シナモンが微かに鼻に通って口の中に広がった。

 ああ。こんな風にのんびりしたのは、いつ振りだろうか。気がつけば、いつもギスギスして周りに敵意ばかりを向けていた。

 見ず知らずの大勢の人間に追いかけ回されて毒気を抜かれた気分だ。

「俺。なんのために東京に来たんだろう」

 それなりに夢を持っていたと思う。華やかなイメージのこの街に憧れていたんだ。

「憧れることは、悪いことではありません。ですが、自身がその街に合うように心がけることは必要です」

 ただその場所に住むだけでは意味がない。いかに、人として成長出来るのか。そこが重要なのかもしれない。

「その場所には、それなりの光と影があります。光にいたいのならば、自身を磨く必要があります」

 そこに行けば輝くのではない、輝けるきっかけが存在しているだけに過ぎない。それを手に出来るかは、その人次第なのだ。

 それは、どこにでも転がっている。輝きたいものがそこにあるかどうか。それだけだ。

「そう思いませんか?」

「──俺は、こんなガキに説教されてんのか」

「説教をしたつもりはありませんが」

 小首をかしげる匠に、こいつカッコイイかもしれんと隼人は悔しくなった。俺だって、そんな風になりたかったんだ。それなのに、どこで踏み外したんだろう。

 俺はずっと、いつの間にか薄暗い所で満足していた。そこは輝いた場所なんだと、錯覚していた。そう思い込もうとしていたんだ。

 ちょっと辛いからって、楽に認めてくれる方になびいた自分が情けない。それを高校生に気付かされたなんて、さらに恥ずかしいったらない。

「折角の環境なのですから、楽しむ方がよろしいでしょう」

「そうだな」

「仲良くしようね~」

 こいつの馬鹿っぽさには多少の苛つきはあるが、見た目に騙された自分はもっと馬鹿だよなと隼人は改めて己を恥じた。

「それでは、我々はこれで」

 匠は軽く会釈してくるりと背中を向ける。

「お、おう」

 隼人たちは呼び止める理由もなくそのまま見送った。

「あ、忘れていた」

 匠はふと立ち止まると振り返り、日本国旗の出ているモデルガンの銃口を隼人に向けた。引鉄を絞ると、それは勢いよくドン! と隼人の足下に突き刺さる。

「それ、捨てておいて下さい」

 しれっと発して再び遠ざかっていく。

 四人はしばらく沈黙していたが、チノパンが刺さった国旗をマジマジと眺めた。

「なんて威力だ」

 おそらく、七センチほどの長さの針だろう。それは踏み固められた地面に深々と突き刺さっており、簡単には抜けそうもなかった。

「マジかよ。おい」

 隼人は恐怖に乾いた笑みをこぼした。


†††


 ──次の朝

 清々しい空気に小鳥さえずりが通学路に響き、今日も良い一日だと匠は口元を緩める。

「おはようございます!」

「どうしましたか」

 匠はセンスの悪いスーツに身を包んだ隼人に切れ長の目を丸くした。どうやら新しく買ったらしいスーツは、彼の心機一転という気持ちなのだろう。

「今日からアニキと呼ばせてください!」

「どう呼んでも構いませんが、私は年下ですよ」

 藪から棒に何を言い出すのかと眉を寄せる。

「そんなの関係ないっス!」

「あれ?」

「あ、健さん! おはようっス!」

「健さん?」

 駄菓子屋に行こうとしていた健は、やたらと腰が低くなっている隼人に怪訝な表情を浮かべた。

「あ、たこ焼きっすか? 俺が買ってきます!」

「え、いいよ」

 そんな健の言葉など聞かず、隼人は一目散に走っていった。

「どういうこと?」

「私の子分になるそうだよ」

 それに健は、ああ……と妙な納得を示し、また一人増えたんだなと遠ざかる隼人の背中を見つめた。

「健」

「なに?」

「マッド・サイエンティスト。いいかもね」

「じゃあ俺、助手になる」

 嬉しそうに手を上げた。通りすがりにそれを耳にした生徒の何人かは、複雑な表情を浮かべて聞こえない振りをする。

 匠ならそれも可能なのではないかという不安と少しの恐怖が、彼を知る生徒たちの心には湧き上がっていた。

「良い天気だね」

「いい天気だね~」

 うららかな日差し。二人は新たな仲間──いや、子分を得て唐突に沸き立つ好奇心に、これからも素直に従っていくのだろう。

 彼らと対峙した者は、敵に回すとこれ以上ないくらい怖い人物と認識し、二人の下にいる事で自身の身を守ろうとする、本能とでも呼ぶべき判断をくだす。

 もっとも、隼人のように真剣に子分になろうと思う者も少なくはない。

「因みに」

「ん?」

「たこ焼きは朝はいくらなんだい」

「ひと船六個で百円」

「それは安いね」

「でもさ」

 健は鞄からお菓子を取り出して続ける。

「その店員て、インド人なんだよね」

「ほう?」

「しかもさ、まだ日本語があんまり喋れないらしくて~」

 健の言葉に匠は隼人の末路を見た気がした。


†††


「だから! たこ焼きくれって言ってんだよ!」

 駄菓子屋に到着した隼人は必死に説明するが、彫りの深い顔立ちの店員は困ったように首をかしげる。

「解ってくれよ~」

 隼人はガックリと肩を落とした。

「前はスリランカの人だったんだけど、日本語を覚えたらどっかの企業に就職しちゃった」

「なるほど。日本語学校みたいな所なんだね」

「でもさ、あそこのおばさん関西人で、関西弁喋ってるんだよね~」

「ほう」

 関西弁普及活動でもしているのだろうか?

 ついでにボケとツッコミも学ばせてもらえそうだ。ある意味、コミュニケーションが取れていいかもしれない。

「ああ。しかし店主は日本人なのだったら、注文を聞いてくれるだろう」

「それがね──」


†††


「店主はどこだよ!?」

 隼人は必死に店主を呼ぶが、一向に出てくる気配がない。どうなってんだこの店は!

「いない?」

「うん。何か別のことをしてるみたい」

「その店はいつから創業してるんだい」

「さあ~? かなり昔からあったみたいだよ」

 不思議な駄菓子屋だ。

「もうすぐ始業時間」

 匠は腕時計を健に示した。

「わっ!? また食べ損ねた!」

 二人は今日の授業は楽しいかなと期待を胸に、足早に学園の門をくぐり抜けた。


†††


「あああ!? 二人がいない!」

 なんとかたこ焼きを買った隼人だったが、ひと足遅かったようだ。すでに他の生徒の影もなく、ホームルームを知らせる鐘が園内に響き渡っていた。

「くそ~」

 折角、気に入られようと頑張ったのに! 買ったたこ焼きを悔しげに頬ばった。

「あ、これ美味えわ」

 ちょっとした幸せに隼人の顔がほころんだ。




fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

学園スパイラル~夢と希望と正義とバカと~ 河野 る宇 @ruukouno

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ