*作戦会議

 逃げるようにその場をあとにした隼人たちは、立ち止まって荒い息を整える。

「どうするんだ?」

 チノパンを履いている男が隼人に尋ねた。それに隼人はしばらく悩んだあと、

「あいつのことを調べるぞ」

「まだやるのか?」

 パンツを骨盤あたりまで下げている男が眉間にしわを寄せる。

 ただ呼び出されただけなの彼は、特にこれといった私怨がある訳でもないのでこのまま終わっても構わなかった。

「当り前だ! このまま、舐められたままでたまるか」

 誰も舐めてはいないのだが、ここまで堂々とした逆恨みならばいっそ、清々しささえ感じさせる。

「あんなガキに負けるはずがねえ」

 隼人は、匠の態度にうろたえた自分自身にも多少の怒りがあった。年下の学生にいいようにあしらわれた事に腹が立っているのだ。

 いい大人が年甲斐もなく学生にムキになる事の方がどうかと思わなくもないけれど、隼人は匠に嫉妬心を燃やしていた。

 主な理由は匠の容姿にあると思われるのは否めない。どうしようもない部分で余計な恨みを買ってしまった匠はいい迷惑である。


†††


 ──家に到着すると、匠の父親の昭人が帰ってきた息子に軽く手を挙げる。

「おう匠!」

「ただいま」

 百九十センチはあろうかという大男は白髪交じりの短髪にくぼんだ目、引き結んだ口元はある意味かなり男前な顔立ちである。

 一階は居酒屋になっているため、開店の前にここで食事をとる。

「おじゃましま~す」

 健は勝手知ったるの如く、快活に発し昭人もそれに笑顔で応えた。

「健くんいらっしゃい。何か食べる?」

「いただきまーす!」

 カウンターから続く厨房で問いかけた匠の母、すみれに健は満面の笑みを浮かべた。

 黒のレギンスに膝までのキュロット、くびれた腰と艶やかな黒髪──四十代だとは感じさせない肌のハリと何より、その顔立ちは息を呑むほどの美人だ。

 上品な物腰にすらりとした体型、その目元は確かに匠に似ている。むしろ、父親から少しでも遺伝子を受け継いでいるのかと疑問に思うほどだ。

「父さん」

「うん?」

「鴨居 隼人っていう男性を知っているかい」

 匠はカウンターに腰を落とすと、おもむろに昭人に尋ねてみた。

「ああ? 知らねえなあ」

 昭人はあごをさすりながら記憶を辿るが、聞き覚えのない名前だ。

「匠は何がいいかしら」

「特には無いよ」

 母の問いかけに隣に座っている友達を一瞥する。健はすでに焼きそばを頬ばっていた。

「おう、そいつがどうした」

「後で説明する」

 母のすみれからカルボナーラを受け取ってフォークを手にした。

「実はさ~──」

 どうやら健が説明してくれるらしい。匠は安心して夕食に口を運んだ。


†††


 ──そうして、説明を聞き終えた昭人は小さく唸る。

「なるほどな」

「面白い方ね」

 すみれは上品にころころと笑った。

「でしょ」

 健は二品目のピザを食べながら相づちを打つ。

 匠の家族は揃って隼人なる人物を恐れてはいないようだ。その図太い根性が健に伝染したのか、もしくは元々がそうなのかもしれない。

 類は友を呼ぶとも言うし。なんにせよ、隼人は喧嘩を売った相手が悪かった。

「その子、うちに連れてきてもよろしくてよ」

 すみれは柔らかな物腰で発した。

 繊細でか弱いイメージを持つ彼女だが、ここでよく考えてみよう。彼女はこの男と結婚し、常に夫をリードしている。

 その芯はかなりの太さと強度を保っているに違いない。

「それよりも、健は常に身軽にしておくようにね」

 匠は少し思案して口を開いた。

「解った」

「そいつが襲ってくると?」

 昭人は息子の言葉に目を眇める。

「その可能性はあるでしょう」

「そうね」とすみれ。

「そいつのことは調べておこう」

「お願い」

「んじゃ、トレーニングしようぜ~」

 食べ終わった健は嬉しそうに立ち上がった。彼は柔道の黒帯保持者だ。その彼と互角、いやそれ以上に組み合える匠は有段者ではない。


†††


 ──次の朝、健と匠は教室で談笑をしていた。

「なあ匠。ここの化学式、わかんないんだけど」

 クラスメイトの男子が困ったようにノートを差し出してきた。

「ここかい」

 さして関心もなさそうに書き出し、男子生徒はノートを受け取る。

「サンキュ!」

「式を見て理解はした方がいいよ」

「うっ」

 目を向けずに応えられ、「うぐっ!」と喉を詰まらせた。

 気さくには対応してくれるが、そこから何も見い出さない者は自己責任であると匠は名言している。

「そういえば、またIQテストだって?」

「うん」

 健が思い出したように問いかけると、匠は少しうんざりしたような表情を浮かべた。

「たまには真面目に受けてあげれば?」

「面倒だ。第三者に公表したところで、私自身にはさしたる得はない」

「大学にも行かないんでしょ?」

「うん。大学に行く理由が私には無いからね」

「マッドサイエンティストとかになれば?」

 健がその言葉の意味をちゃんと理解して発したとは思えないが、匠はそんな所には関心を示さない。

 どちらかと言えば──

「それはそれで大変なんだよ。いかに捕まらないように続けていくのかをまず考えないと」

「そか~」

 健は納得したようだが、それを聞いていた周りの生徒たちは本気なのか冗談なのかを計りかねた。

 周防 匠は容姿も頭脳も申し分ないのに、敬遠されるのはそこにある。

 中学のときにその才能が世に知られる事となり、どこの学校も匠の獲得に躍起になった。この学園を選んだのは匠本人で、その理由は学園長もよく解ってはいない。

 匠はある程度、この学園では自由にさせてもらっている。彼の行動力で学園が賑やかになる事もしばしばだ。

 もちろん、彼の傍若無人ぶりに怒りをたぎらせる者もいない訳ではないが、結局は上手く丸め込まれてしまう。

 一年からの付き合いである城島 健が唯一、彼と普通に接する事が出来る貴重な人材である。

 運動バカだが、そこがいいのかもしれない。考える性格では、匠に振り回されるだけだ。

 否、振り回されているのに気がついていない幸せ者かもしれない。とはいえ、匠の思惑に楽しく乗っかっている時点で不幸などではない。

 女子の間で、二人は何か良からぬ妄想をされている。無理もないかもしれない、匠は細身で百七十二センチのスラリとした美形。方や、健は百七十五センチのガッシリした体格で顔も悪くない。

 ただの天才バカと馬鹿だが、ネタとして見ればこれほど腐った思考のまとは存在しないだろう。

 敬遠されてはいるが彼は間違いなく、「愛されるべき人物」なのだと言える。

 それはさておき、明日は土曜日。隼人たちと匠たちは、お互いどういった動きを見せるのだろうか──?

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