*お約束

 ──四時限目も終り、二人は食堂に向かった。

 この学園の食堂はかなり充実している。「健やかな成長には栄養と美味しい食事」というコンセプトのもと、数人の栄養士が管理していた。

 広い食堂は白に統一され清潔感に満ち、ずらりと並べられた長机は壮観だ。耳の邪魔にならない程度の音量で流れているクラシックは心地よい。

 それに混じって、まれにロックやらが流れているのは気のせいだろう。

「お姉さ~ん。おまけして」

 健は甘えた声で、カウンターの向こうにいる五十代の女性に呼びかけた。どっかりした体格の女性は、無言でビーフカレーの横にエビフライを乗せる。

「さすがお姉さん! 大好き!」

 ニパッと笑い大盛りカレーを受け取った。匠はすでに、デミグラオムライスを手に席に着いている。

 彼の場合、何も言わなくてもサービスしてくれるのか、オムライスにはステーキの切れ端が乗せられていた。

 匠には隠れファンが多い。その容姿と天才的な頭脳によるものだが、大々的にファンクラブが出来ないのには訳がある。

 彼は、性格に若干の難ありなのだ。それがどういう風になのかは、とても説明しづらい。

「今日は助っ人は?」

「無いよ~」

 匠に訊ねられカレーをほおばりながら応える。健はスポーツをほぼ全て、程よくこなすので運動部からの頼まれごとが多い。

「今日もうちに来るかい?」

「うん。よろしく~」

 匠の家は、健にとってはワンダーランドである。建物の形がどうとかではなく、匠の家の地下にはトレーニングルームがある。

 寮生活の健が体を鍛えるには彼の家が最適なのだ。


†††


 ──そうして一日の授業を終え、二人は夕闇迫るなか学園をあとにした。

 匠の家に向かうべく、学園の正門をくぐると、

「あ」

「ほう」

 小さく声を上げた健のあと、匠は目の前の人物に関心を示すように目を細める。

「てめぇら!」

 その男──隼人が仲間を三人ほど連れて待ちかまえていた。

「まだ何かご用でしょうか」

「まだどころか一つもご用を済ませてねえんだよ! 落とし前つけさせてもらうぜ」

「落とし前だって」

 健が他人事ひとごとのように発すると、隼人はギロリと睨み付けた。

 大人が四人もいるってのに、なんだってこいつらは、まったくビビらないんだ。

「こないだと同じだと思うなよ。今日は有段者を連れてきたんだからな!」

「へえ」

 さして驚いた表情は見せず、むしろ感心するようにこちらを見つめる匠という少年に隼人はいぶかしげな表情を浮かべる。

「落とし前というのは、どういうものでしょうか?」

「は? ええと……。お前らをボコボコにすることだ」

 場の状況に似つかわしくない、丁寧な問いかけに隼人は思わず答えた。

「私もそこに加わったのは何故でしょう」

 匠は小さく首をかしげた。

「てめぇが、こいつの友だちっぽいからだよ! 運が悪かったと諦めな」

 調子を崩されまくりの隼人だが、最後は「決まった!」と鼻を鳴らして胸を張った。

 ガキどもはさぞかし怖がっているだろうと思いきや、やはり先ほどと変わらないしれっとした態度でそこに立っていた。

 それとも、あまりの恐怖に身がすくんでいるのだろうか。

「思うに」

「なんだよ!」

「運が悪いかどうかは本人が決める事であって、他人が決めるというのはどうなのでしょう」

「は?」

 食いつくとこが違わねぇか?

「友だちっぽいだって~。友だちだよね」

 こいつはこいつでどこに食いついてんだよ。それに、普通そこは友達に迷惑がかからないように「違う」とか言ってかばうもんじゃねえのかよ。

「ふざけんのもたいがいにしろよ」

 隼人は怒りで握った拳を震わせた。ここまでコケにされたのは初めてだ。

 緑の迷彩に染められているチノパンを履いた男が、それに反応するように両手を握り威嚇よろしくファイティングポーズをとる。

「君はボクシングの経験はあったかな」

「一応、匠の親父さんに教わってるけど」

 もう一人の骨盤までパンツを下げている男も、それを聞いて構えた。

「聞き忘れていたんだけど」

「なに?」

「朝の八時から、たこ焼きを作っている駄菓子屋が近くにあったんだね」

 匠は健に顔を向けず無表情に問いかけた。

「あ~。朝は昨日の売れ残りを電子レンジで温めるから、初めから作らないんで少し安めに売ってくれるんだ」

「なるほど」

「てめぇら! 限りなく無視してんじゃねぇ!」

 いい加減にしろよと怒鳴ったとき、

「お前ら早く帰れよ~」

「はーい」

「先生もお気を付けて」

 匠たちの後ろを自転車で四十代ほどの男が通り過ぎた。

「──は? え?」

 だから、なんでそんな軽いノリなんだよ。隼人は遠ざかる男の姿を唖然と見送る。

「もう我慢できねえ」

 この状況で誰一人、止めに入らないだけでなく、こいつらを守ろうとする奴もいねえ。それはつまり、俺たちが弱いと思われ、舐められているということだ。

 隼人の感情に誘発されたのか、仲間の三人も険しい表情を見せる。

「そろそろ警官がパトロールに来る時間だね」

 匠が腕時計に目を向けて発した。

「なに!?」

 隼人たちは慌てて周りを見回すと、マウンテンバイクにまたがったお巡りさんが近づいてきた。

「いよ~う。元気か?」

 匠を見つけた警官が軽く手を挙げて止まる。まだ二十代と若く、気さくな性格なのだろうか緊張感の欠片もない爽やかな笑顔を振りまいている。

「はい。あなたも元気そうで」

「こんちは~」

 まさか警官が立ち止まるとは思っていなかった隼人の心臓は、バクバクと早鐘のごとく激しく打ち続けた。

「親父さんは元気かい?」

「ええ。相変わらずです」

「左藤さんもハツラツだね」

 親しく会話を交わす三人に隼人たちは目を丸くした。こいつら警察と仲良しなのかよ。俺たちのことをチクるんじゃないだろうな。

 ふと警官がこちらを向き、職務質問されるかとビクつく。しかし、警官は隼人たちを一瞥しただけで少年二人に向き直った。

「こないだはありがとうって、親父さんに伝えといてくれよ」

「解りました」

 いや、だからさ、職務果たせよ警察。目を合わせておいて、なんの言葉も無しかよと隼人は呆れた。巡回の自転車がマウンテンバイクなのにもツッコミたい気分だ。

「新しい情報とか入ったらよろしくな」

「最近は不穏な動きは無いようです」

「今度またトレーニング頼むって親父さんに言っといてくれ」

「伝えておきます」

 そうして警官は笑顔で颯爽と走り去った。

「お前のオヤジって、何してるんだ」

 ここまで来ると、さすがの隼人も匠の存在に疑問を抱く。

「居酒屋を経営しています」

「居酒屋? サツがなんで居酒屋の主人に情報を求めるんだよ」

 ひと昔前ならいざ知らず、やくざとつながっているとも思えない。今までにない状況に隼人は戸惑っていた。

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