その醜悪が望むは

 人の頭程あるそれは、ゴムボールの如く軽快に放たれた。


 便利屋へ飛び出そうとした影の背後から、あの大木のような輪郭が現れる。その黒は蛇と言うより、竜の尾のように太く強靭だった。影の視界を遮るように前へ出て、放たれた瓦礫を脇へ流しながら打ち砕く。

 だが尾が背中へ下がった瞬間、距離を詰めていたブラスコが、影の目前に現れた。


 浮かべるのは飄々さから懸け離れた、野犬のような危険な笑み。


 まだ火を点けていない煙草を銜えたまま、影の頭に翳した拳を振り下ろす。


 影は迷わず、ブラスコを向いたまま後ろに跳んだ。

 阿弥陀あみだクジのように、細い路地が入り組んでいる地上である。建物との間に広がる谷の広さは知れていて、肝の据わった者なら跳び越えられるような距離だ。

 然し影が足場にしたのは、壁が取り払われた三階。簡単に後退したが、当然後ろの建物には壁があり、背中で窓を割りながら侵入する。


「ハッハァ! 大胆だねえ!」


 ブラスコは歪んだ笑みを浮かべると、すぐさま追おうと跳躍した。


 引き止めるように、テニアが声を張り上げる。


「待って下さいご主人! そいつその辺の魔法使いでは」

「『憑依ポゼッション』でしょニコイチな感じだし! テニっちゃんは死体処理に、勢澄会に連絡しといて! ――ってどぉあ!?」


 こちらに顔を半分向けながら叫び返していたブラスコは、向こうの建物に入るなり声を上げた。転んだか、影の待ち伏せを食らったのだろう。大きな物音が同時にしたので、後者かもしれない。


 ……人の話を聞け。

 テニアは二人が消えた建物へ、冷めた目を向けると肩を落とす。


 まあブラスコは放っておいていいだろう。不死身なのだから。

 戦いに特化した魔法を扱うらしい、憑依ポゼッションの悪魔とその魔法使いに、特技が不死となっているだけの制約コンストレーンツの自分が向かっても、足手纏いになるだけである。


 魔女も魔法使いも、契約相手である悪魔とは、常に行動を共にするのが基本だ。魔法使いは悪魔に血を払わなければ、その代価である魔法を使えない。魔法を貸す代わりに血を貰わなければ、悪魔とは生きていけない。テニアがブラスコと、退屈な高級クラブに向かったのもその為だ。

 血ではなく肉を頂いてもいいし、そちらの方が余程腹も膨れるのだが、肉など食ってしまえば死んでしまうし、それは一時的な幸福だ。ちびちびと血を頂く方が長く持つ。

 いや、自分は不死の力を持つ悪魔なのだから、 それを受けたブラスコも何度食い殺そうと同じなのだが、流石に良心が痛むというものであり。


 良心、良心。

 何とまあ、悪魔らしくない言葉を並べているのか。


 瓦礫の中にぽつりと残されたテニアは、スカートに付いた砂を払いながら立ち上がる。気付けばそれをやりながら、鼻で息を吐いていた。


 まあ別にいいのだが。悪魔らしくないのは元々である。


 何年……。何年? もうブラスコと共にいるのだろう。悪魔の彼女からすればまたたきのような時間であるが、不死身の魔法使いとなってから全く歳を重ねなくなったブラスコといる所為で、そもそも懸け離れている時間の感覚が狂ってしまう。


 制約コンストレーンツの自分なら、一応人間の食べ物でも生きる事は出来る。


 たまに血を貰えば、それで満足。


 現に空腹感はほぼ消えた。あとは人間の食事をつまめば満たされる。


 電話ボックスを探さなければ。


 瓦礫を躱しながら歩き出す。


 運よく破壊を免れた電話が、二階か一階に放置されていたりしないだろうか。

 ベタベタになった背中を早くシャワーで流したいと、イライラしながら階段を下る。


 二階もがらんとしていて、埃しか無い。まあそんな上手い話がある訳無いかと、一階へ向かう足を止めずに一瞥した。


 すぐ側から、ブラスコと影が交戦しているらしい物音がひっきり無しに聞こえるも、テニアに焦る様子は無い。

 何なら七分目まで満たされた腹の満足感で、欠伸が出そうになった時である。違和感が鼻をついたのは。


 強烈な死の匂い。


 眼前に、血肉がいっぱいに盛られた皿が出されたような映像が浮かび、つい鳴り出しそうになる腹に力を入れる。


 ――見境無く食うなど、遥かに劣っている種である人間と契約も結べない、哀れな雑魚のする事だ。


 そう言い聞かせ、足早に匂いのする一階へと向かった。


 また血を飲むようになったからと、こんな事で胸が弾むとは嫌らしい。

 所詮自分とは、怪物か。


「…………」


 頭に響く声を黙らせる。


 矢張り一階も何も無い。この階段と向かい合わせになるよう備えられたドアが見えるが、あんなものある内にも入らないだろう。ドアの無い建物などまた別の話であるし、何なら、床の一部すら抜けていると、足りないものを挙げてみるか。

 部屋の真ん中にぽっかりと、 四角い大きな穴が開いている。中には地中に向けて、階段が伸びていた。目隠しになっていたのだろう床の一部は側に捨てられており、美味そうな匂いは穴の奧から上っている。


 階段を下り切ったテニアはそれを見るなり、壁に凭れて腕を組んだ。


 自問自答。


 先程から瞬時に死体に変えられているあの男達は、一体どこから現れているのか。


 最初にこの辺りで見つけた死体は、死んでからまだ三十分程度。チンピラ共を最後に見たのは、屋上でやられたあの七人。


 トニス・ダウアを壊滅させたらしいあの影は、つい先程それを達成したと言っていた。


 トニス・ダウアの拠点は、勢澄会も調査中らしく未だ不明。


 目の前には限り無く怪しい、いかにもな様子の地下室がある。死体がごろごろと転がっていると、悪魔の嗅覚もご機嫌だ。


 すぐ隣にある、壁に備え付けられた電話を見た。


 何か分かれば連絡をしろと、雪村からは言われている。言葉にはされていないが、当然些細な事も逐一という事は分かっている。

 ギャングとはある種、堅気より律儀な世界だ。


「…………」


 テニアは壁から背を離すと、嘆息して穴へ向かう。

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