03

「それは、極力魔法を使わないのと同義です。あの人と約束をしましたから。果たせは出来ませんでしたけれど、でも約束そのものは無効となっていません。いなくなって、中途半端になっただけです。いなくなろうとあの人が愛したこの国を、混乱に貶めるような事は二度としたくありませんでしたから。だから消された名前にも、特に未練もありません。馴れ馴れしく呼ばれたくもありませんから。だからせめて、凡そこの百四十年間、ずっと人のように暮らして来ました。人のように食事を摂り、人のように働き、戦で乱れ立ち直っていくあの様を、じっとこの目に焼き付けました。あなたに謝るのは筋違い。確かにそうです。分かって、覚悟を決めて、自分で選んだその道に、勝手に責任を感じられる程、不快なものはありません。勝手にその覚悟と人生を、誰かに背負われる筋など無い。勝手に謝られて、分かったような事を言われたくもない。人生とは全て、その人だけのものですから。でも竜刻の魔女。あなたはその約束を、内戦期の百年と、終戦からのこの四十年、たった一人で守り続けて来たあの人と私の約束を、あなたはあの劇場で破らせた。……そんな長期間に渡り、真面まともに人間を食べていなかった悪魔が果たして、そう都合よくあの劇場で魔法を使えると思いますか? 直接対峙したあなたなら分かる筈です。私は制約コンストレーンツでありながら、余りにも非力だと」


 少女は右目を見開いていた。


「何が言いたいんですか」

「教会でグレブさんに撃たれた時、あなたに噛み付いたからなんですよ」


 テニアは堪えて冷静に返す。


「ギリギリ魔力が足りたのは、あなたの相棒が呪いカースで、かつあなたがその魔力に耐えられる、悪魔の支配者デーモンルーラーだったからなんです。だからその血に、魔力が混ざっていようと動けた。その制約コンストレーンツに匹敵する膨大な魔力を孕んだ血を、あの時私が飲んだから、あの恐ろしい銀の雨に、また打たれるのを免れた」


 本当だったら死んでたんですよ? 普通に。


 テニアは情け無い顔で、泣きそうになっていて、それでも真っ直ぐに、少女を見据えてそう言った。


「――だから、分かってますけれど、感謝するななんて酷い事、言わないで下さいよ」


 だから、何に泣いているのだろう。

 失った左目にさえ、熱いものが込み上げるような感覚に少女は襲われる。


 畜生に堕ちるだけの人生では無かった。分かっていても怒りに身を預ける事しか出来ないような奴だった。でもそれでも両親のように、誰かを救えていたと知ったからとでも言うのだろうか。

 翻弄されるだけで意味の無い、滅んでいくだけの人生では無かったとでも――。


「だからこの恩は、絶対に返します」


 アラベルの手向たむけを攫うような、強く冷たい風が吹く。


 少女は思わず、顔を庇うように腕を翳す。

 翳した腕で異変に気付いた。

 つい反射的に動かそうとした右腕が、三角巾を連れて動いている。

 息を飲むより先に、眼帯の裏を押し返す、眼球の感覚も蘇る。


「――今あなたの身体から、今日から凡そ半年前までの時間を頂きました」


 風が吹き止むと、乱れた髪を整えながら、テニアは笑った。


「半年前ぐらいに魔女になったような事を、劇場でグレブさんが言っていましたので。目も腕も肝臓も、何もかも当時のままです。まあ悪魔が取り憑く事は、肉体の変化と言うより呪いに近いものですので、そちらの相棒を追い出す事は出来ませんでしたが」


 眼帯を外し、三角巾も投げ捨てた少女は、呆然と自分の両の手の平を見つめていた。


「……バレたらどうするつもりなんですか……?」


 皮肉に満ちた言葉の筈が、泣き笑いでぐしゃぐしゃになっている。


 涙を堪えて、テニアも笑った。


「まさに、魔法って感じでしょう?」

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