果たすべきは


「急に飛び出しちゃ危ないよ」


 歩いて来ていたブラスコが、少女の後ろで足を止めた。

 上着を脱ぎ、無地のカラーYシャツだけになっている上半身が、振り向いた少女の右目に飛び込む。


 上着はどこに行ったのだろうと辺りを見ると、舞台の客席に面した縁で、足をぷらぷらして掛けているテニアが見えた。退屈そうにしているが青い顔で、枯れていた魔力を引き出して、疲れているのが分かる。

 目が合うと睨んで来るが、少女は無視した。


 ブラスコへ、顔を向け直しながら言う。


「最期ならかぶこうと思いまして。時間を操るなんて隠し玉を持っているとは、思いもしませんでしたけれど」

「大したもんさ。銀の弾幕に突進なんて」


 ギャングも顔負けの度胸だと、ブラスコはがっくりと肩を落とす。


「普通舞台の脇に逃げるとテニっちゃんも思ってたから、決行した作戦だったんだけどねえ。て言うか、その状態でどうやって魔法を……」


 少女は片手で、閉じている左の瞼を指してみせた。そのまま瞼に軽く触れる。

 押し返すべき球体の弾力が、そこには無かった。


 意味が分かったブラスコは、息を飲む。


 貧血で倒れてしまう血が駄目なら、肉を払ったと言うのか。


「まあいいんですけどね」


 少女はグレブへ向きながら、本当にどうでもよさそうに言った。


「ジジイを殺せるなら何でもいいと思ってましたけれど、何か気付いたらおじさんが決めてましたし」

「なら、グレちゃんを殺すかい?」


 ブラスコは少女に言いながら、こちらを睨み付けているグレブを見る。

 倒れた雪村を庇うように、こちらへ立ちはだかっていた。


「いいえ」


 少女は薄情なぐらい、淡泊に返す。

 失ったものに、まだしがみつこうとしているグレブをわらうように。


 そのまま、無表情な程冷めた目でグレブに尋ねた。


「そんな事より、私の肝臓の行き先を知りたいです。右腕のお兄さんなら、知ってるんじゃないですか」

「それを知れば、あなたはその人を殺すでしょう」

「さあ」


 もうその信念に興味は無いと、強いグレブの言葉をあしらう。

 その虚しさと直面する瞬間こそが、彼とって最も苦しい時であり、復讐と言うのなら、それ以上のものも無いと分かっていた。


 悪魔に囁かれすらもしなかった、打ちのめされるだけの真黒まくろの時を。


「……自分の物がどこに行ったか、知る権利ぐらい魔女にもあるでしょう。 ガタガタ言うなら後ろの死体クロちゃんに食わせますけれど、どうします? ここにはもうあなただけなんだから、ちゃんと右腕らしく守り抜くのが、筋ではないかと思いはしますが」


 もう終わっていたとしても、それでも通したい意地と言うのならいいだろう。ならばそこに、付け込むまで。


 淡々と言う少女に、グレブは迷うように黙り込む。

 じっと足元を睨むような顔で逡巡すると、諦めたように息を吐いた。


 その情報より、右腕としての役目を守る。


「……西区エデン内、六番街の病院にあります。赤煉瓦で建てられたのはあそこだけですので、すぐに分かるかと」

「六番街って、あの金持ちの屋敷が並ぶ……?」


 怪訝な顔で呟いたブラスコの袖を、少女は引く。


「知ってるなら連れてって下さいよ。もうくたくたで、魔法は使えないんです」

「今からかい? 休んだ方がいいんじゃ……」

「そんな時間はありません。内臓の機能を担ってる魔法が切れそうなので、その辺の死体適当にクロちゃ――クロクスに食べさせたらすぐ行きます。ダラダラしてる間に移動でもされては堪りませんし、嘘をつかれていた時の為にすぐお兄さんを捕まえられるように、今行きたいんです」

「強引だなァ」


 言葉の割に、表情は困っていなかった。


 グレブの後ろで倒れる、雪村の死体を一瞥する。

 うつ伏せで崩れた姿勢の所為で、その表情は分からない。


 すぐに視線を、グレブへ向けた。


「車ある? グレちゃん。あと、ここの場所教えてくれると助かるんだけれど」

「外に腐る程ありますので、お好きにどうぞ」


 グレブは刺すように冷たく返す。


「それと、ここは北区ダニエル、ロンドゥーシュ劇場です」

「そ、ありがとね」


 ブラスコは笑うと、少女の肩を抱いて回れ右をした。

 舞台に戻りながら、ぐったりしているテニアへ声を張る。


「――なァテニっちゃん! ちょっとこの子と一緒に、ドライブ行こうぜ!」


 その笑顔の裏で、すっかり忘れていた事を思い出す。


 アルヴァジーレに初めて来た頃の事だった。雪村と、ガスパールファミリーの偵察にと北区を訪れていた途中、ここに立ち寄り、劇を観て帰っていた事を。

 演目はもう忘れてしまったが、久々に触れた娯楽を、大いに楽しんだと覚えている。


  時と共に変わってしまっていたのは、雪村だけではないのかもしれない。そうブラスコは思った。

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