音が消える。


 あとほんの数ミリで突き刺さるという所で、三人に降り注いでいた弾が止まる。

 勢澄会の組員が止まる。グレブも雪村も止まる。


 時が凍ったようだった。


 静止画のようなその中で、ブラスコはゆっくりと狙いを定める。

 魔法による強化が一切外された中、暗い客席のそれが撃てるのか。


 愚問である。


 彼はあの内戦を生き残り、あの大抗争の中雪村を守り抜いた――歴戦かつ、早撃ちのガンマンだ。


「……じゃあな」


 その銃声を合図のように、銀の雨が向きを変えた。


 テニアは目を疑い、右手を見る。そこにいた魔女は、もういない。


 ただ彼女に踏み込まれた床が、その凄まじさを語るように割れていた。

 止まっていた弾幕が、木の葉のように客席側へ飛び散る。


 客席に突っ込むように、少女が飛び出していた。


 長きを共にしてきたテニアとブラスコとなら、こうして言葉を交わさずとも通じ合える。

 然し他人同然の少女は別だ。こっちの段取りなど知る訳が無いし、きっと最後の悪足掻きにと、一斉射撃と同時に飛び出していたのだろう。


 だが彼女は、何を代償に跳んでいるのか。

 もう魔法など、使えない筈なのに。


「だっ!? ちょっとあんた何考えて――」


 予期せぬ少女の行動に、テニアの集中が切れてしまう。


 きっちり百八十度回転させられた訳では無いが、少女の跳躍による圧により、返すように吹き飛ばされた弾幕だ。

 その行き先は、大凡決まっている。


 止まっていた弾幕は、組員達へ向け一斉に暴れ出し、鼓膜を破るような破裂音と混ざり合った。


 凄まじいエネルギーで空間を支配するが、それはほんの一瞬である。

 組員達からすれば瞬きをした瞬間に、撃った弾が引き返して来たようなものだ。無防備に突っ立っていた的を、容赦無く弾丸は食らう。


 それでもテニアが動いた瞬間、唯一発砲しなかったグレブを讃えるべきか。

 攻撃よりも警戒を重んじた彼は、 雪村の意に背き、彼を座席の下に隠れさせようとしたのである。


 然し動きを読んでいたブラスコの一撃が、雪村の心臓を射抜いていた。


 いつ何時なんどきも、ボスの手足となれ。

 勢澄会での、右腕への心構えだ。


 矛にならなくてもいい。それは他の者の役目だ。最後の砦として、ただボスを守る事を考えろ。手足とは潰されてはならず、いかにそれを守りつつ戦えるかに、生き残れるかの全てがかかっている。

 ただ代わりに銃弾を受けるだけの壁にもなるな。ボスの手足そのものとなり、ボスの代わりとなって戦え。


 それを覚えていたブラスコだからこそ、グレブの動きを予測出来た。


「――雪村様!!」


 静まり返った劇場内に、グレブの声が突き刺さる。


 死体がひっくり返る客席の中、少女がグレブの背後に着地した。


 その気配を察したグレブは、左腕を支えに透かさず振り向き、右手で構えたワルサーを少女へ向ける。

 少女はトロ臭いと言わんばかりに、その右手を蹴り上げた。一瞬遅れて放たれた弾丸が、天井を貫く。

 ワルサーは宙を舞うと、グレブの後ろにある壁際に落下した。

 その間にも立ち上がり、懐からトカレフを構えたグレブだったが、少女は面倒そうに頭を右手に傾けると、眉間に飛んで来た一発目をなし、二発目が来る前にトカレフも奪い取る。モデルガンのように真っ二つに折ると、適当に後ろへ投げ捨てた。


 それでもグレブは諦めない。素手で挑むと、突き出した右の拳が、少女の右頬を捉えた。頭が大きく左へ揺れた隙に、腹へ左の拳を叩き込む。


 が、少女はそこから動かない。


 華奢な身体からは信じられない膂力で、吹き飛ばされずじっとそこに留まっている。


 グレブの背を、悪寒が駆けた。


 今彼女の腹に押し込んだ拳を離すと、終わらされてしまう気分になる。


 だが、身体が動かない。


 恐怖か、諦めか。


 顔を正面に戻した少女が、じっとグレブを見ていた。


 左目を閉じている。


 殆ど無表情に近い、僅かに虚しさを覗かせた顔だった。あの暗い炎は、すっかり消えてしまっていた。

 何ならこちらを、憐れむような光を灯している。まるで少女自身を、鏡に映して見ているように。


 グレブは自分の身体から、気力や活力と言ったそれらが、すうっと抜けてしまったような気分になる。


 この、風が胸を抜けていくような感覚か。


 このぽかりと生まれてしまった隙間を、覚ると、失うと……敗北と呼ぶのか。


 項垂うなだれたグレブは、ゆっくと左腕を下ろす。


「……竜の姿を取る『無形むけいの悪魔』の力を、その身に刻んだ意味で『竜刻の魔女』なんだそうですよ。誰が決めたのかは、全然知りませんけれど。――コモドオオトカゲはその恐ろしい見た目から、コモドドラゴンとも呼ばれますから」


 極限までその身を削り、身体能力の強化に用いた魔法を、解きながら少女は言った。

 もうこれで、本当に最後である。


 何だかグレブの様を見て、両親と入れ替わるように出会ったクロクスと、手に入れた力について、少しだけ話してみたくなってしまった。

 自分はこうして、決して代わりにはならないが別のものを手に入れたが、彼は今失っただけで、悪魔すら囁かないのだなと、同情のような思いを抱いてしまって。

 その怒りや不満を、爆発させる術すらも、彼には与えられないのかと。


 きっと彼こそが、絶望の中にいる者だ。


 そう思えてしまった彼女は、己を恵まれているとなど決して思いはしないし、勢澄会を許す気が起きる事も有り得ないが、それでもグレブを何だか、可哀相な人と思ってしまった。クロクスに出会わなかった自分が、ここにいると。

 ただ偶然に飲み込まれ、翻弄され、捩じ曲げられた人生を受け入れる事しか出来ない、惨めたらしく平凡なままだった自分が、彼の姿を借りて泣いているように見えてしまって。今の自分の行いとて、ただ治まらない思いに従って、ここまでやって来ただけであると分っていて。


 同じである。結局は。


 既に己の人生とは、変質してしまっているのだ。偶然ギャングに目を付けられ、金儲けの為に親は殺され、自分もはらわたの一部を持ち去られた。その後をどうしたかという違いだけであり、変えられてしまった事と、過去は変わらないという事実は、 何があっても変えられない。

 歩んで来た道のその全ては、きっとそれを受け入れる為の、長い苦しみだったのだ。


 頭をぎり続けていた思いに、少女はやっと向かい合う。


 何を壊し、誰を殺し、幾ら我が身を削ろうと、あのれ違いを感じながらも平穏な、煩わしくも平凡な幸せは、二度と取り戻せはしない。例えこうして、これ程までに、あの時外出してしまった原因を作った事を、謝りたいと願っても。報復という陳腐な愚行その全てに、何度『ごめんなさい』と思いを乗せようと、欠片だって届きはしない。


 ここにはもう、いないのだから。


「……こんな落ちこそ、ベタなんやろな」

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