『■■の悪魔』 ■■テニア・■■・ダン■■■テス

「その大悪魔おおあくまは生きていたのさ。死んだ振りをし、右耳という証拠を取らせ、悪魔払い達に運ばれる途中で何とか逃げ出した。再び王子に会う為に。約束してたのさ。もし認められなかったその時は、共にこの国を逃げようと。悪魔は約束を、絶対に破らねえ生き物だからよ。でも知らなかったのさ。人間が、悪魔に対抗出来る術を手に入れていたなんて。それでも命辛々逃げ延びたが、間に合わなかった。その混乱は、潜伏していたテロリストに好機と取られ……。信じて待ち続けていた王子を殺した。――『悪魔の長』。その戦い以来、ただの役職みてえな名で呼ばれるようになるその大悪魔は、二度と正しい名で語られる事は無くなった。国が恐れたのさ。見失っちまったならと本当の名を殺し、この世から消そうとした。何せ、そいつの言葉を信じなかったばっかりに王子は死んで、百年も続く内戦が始まったんだからなァ。もし信じていれば、暗殺だって起きなかっただろうさ。時を支配する大悪魔が味方に付くんだからよォ。……きっと国だって、ずっと安泰だったんだ。――なら! そのひとりぼっちになっちまった悪魔の長とやらは、今どこで何をしてるんだろうなァ? ハッハァ。そう言やあ俺不死身になってから、ぜーんぜん老けなくなったけどォ」

「馬鹿を言うんじゃねえ」


 額から顎へ汗が滑るのを、雪村は感じた。


 その動揺は張り詰めた空気を伝い、組員達へ伝染する。


「真実だ? 下らねえ。もしその大悪魔が生きていて、かつ見つかったって言うんなら、国が黙ってる筈が無えだろう」

「内戦で大混乱だったのに? いやー無理じゃないのかなァ。仮に見つかっていたとしても。お国がビビッて悪魔の長って呼ぶようにしてたから、誰もその悪魔の本当の名前知らないし、本人と会ってても分かんないっしょ。つかそもそも死んだ事になってるし」

「お前は不死身の魔法使いで、そいつは永劫の悪魔だ。時間を操る魔法なんて持ってねえ。この期に及んでハッタリなら、いい加減に――」

「それも、使う魔法に基づいた渾名あだなですけどね」


 左手を下ろしたテニアは言った。

 背中に垂れた髪が、顔の両側を僅かに見せる。

 

 片方だけ覗く耳が、アンバランスに彼女を見せた。


「まあ確かに不死身と言えば、死なない能力と解釈される魔法ですが。死亡原因だけを取り除いた肉体に、何度でも『蘇る』。然し巻き戻る・・・・と言えば、その印象は変わります。確かに不死身とも解釈出来ますが例えば、これは肉体が過ごした時間を、巻き戻すような魔法であると言えば、時に関与している力とも、取れない事は無いでしょう?」


 ……今、そこにいるのは何だ。


 雪村は己に問う。


 自分は今、一体何と話している。

 その正体を知ぬまま、一体何を敵に回した?


 ……終わると言うのか。

 ここで、追い求め続けた栄光が。


「お前は、人間を食べない変わり者だ」


 脳裏を駆けて行く言葉達を、掻き消すように雪村は言う。


 それでもその声には、あの押し潰すような圧が宿り続けていた。


 動じるものか。この程度で。

 一体これまで、何度修羅場をくぐり抜けたと思っている。何度死を覚悟したと思っている。

 ギャングになってからではない。生まれた時から今日までだ。

 高が化け物一匹に、今更恐怖など誰がしよう。弱者となったその時から、消えて行くのがこの世界なのだ。


 思い描いた未来は、確かに近付き始めている。


 ここからなのだ。

 今この瞬間こそを、出発と思え。


 勢澄会の長として、四大組織としてでもない。


 一人の野望に燃える男として、今この時を噛み締めろ。

 

「悪魔の餌は人間だ。魔力の元も人間だ。人間ごっこが好きでブランチ食ってるような化け物に――。さて、どれだけの力がある?」


 消していなかった吸殻を、ゆっくりと踏み付ける。

 泰然と、足を組み替える。


 未知の魔法が飛んで来るかもしれないこの中で、愚かとも言えるその豪胆。それは確かに、組員達を奮わせた。


 漂い始めていた迷いが消える。

 銃を構える腕に熱が籠る。


 我々のボスは、北区の王だ。その手腕で、トニス・ダウアを潰し、ガスパールファミリーの包囲網も突破してみせた悪魔の支配者デーモンルーラー、竜刻の魔女を追い詰めた。


 その男の命令を受ける我々が、何故勝利以外を信じよう。


「……流石だぜ」


 ブラスコは笑った。


 今や空気は、組員の闘志で熱を帯びそうになっている。

 少しでも気を抜けば、こちらの戦意を食い尽くされてしまう気分になる。


 その光景に、つい過去へと思いを馳せる。共に駆けていたあの頃を。

 だから彼といれば日々はあんなにも輝いて、成功を信じてやまなかったのだと。


 雪村は言う。


「……何か、言っておきたい事はあるか?」


 未知の武器を翳し、反抗の意志を示した以上、もう竜刻の魔女である少女が、盾にも脅しにもならないのはお互いに分かっていた。


 それでもブラスコは、子供のようににかっと笑う。


「そうだなァ。じゃあ、一つだけ」


 それと同時に、テニアは素早く背中へ手を回した。腰辺りに差し込んでいたトカレフを、右へ投げる。


 勢澄会の襲撃から逃げる際だ。

 屋上で少女とブラスコが口論している間に、クロクスが吐き出したものを一丁隠し持っていた。

 トカレフは少女の鼻先を通り過ぎ、伸ばしたブラスコの手に収まる。


 合図はもう要らなかった。


 テニアがトカレフを露わにした瞬間、五百のAKが舞台を襲う。ブラスコがトカレフを構えるより速く、その銀の雨が届くのは明白だった。


 悪魔で脅しをかけておきながら銃を取ったのだ。魔法に期待出来ないからだろう。そんな事を考える程、気の緩んだ組員はいなかった。ただ雪村の意のままに、銃を撃つ駒となる。

 その為だけに研ぎ澄まされた精神は、一秒の狂いも無い一斉射撃を実現させ、隙の無い弾幕を生み出した。


 何を隠し持っていようとも、全ての戦力を最高の状態で使うまで。我々に許されるのはそれだけで、勝利を得る術もそれだけだ。

 ボスの安全が脅かされた今、未来を憂う暇など無い。

 ただこの今を、確かに最高値で駆け抜ける。


 男達の一念を纏った凶弾が、ブラスコ達の眼前に迫った。


 尤もその瞬間を目に追えたのは、この場でたった一人の怪物。


 確かに雪村の言う通り、欠乏状態でやれる事など高が知れている彼女は、ブラスコの身体能力を強化する魔法を解いていた。

 そんな事にまで割いていられる魔力は、惨めに弱り果ててしまった今の彼女には微塵も無い。当然ブラスコの血を飲んでいる暇さえも。

 ただそれでも、十分であった。そのなけなしの魔力さえ回してしまえばこのぐらい、逆境でも何でも無いと。


 高が弾丸程度の小さな物体の時間など、何度でも操ってみせる。


 そう言い聞かせ、全力で振るった。


「――ただあなたとの誓いを破り、こんな男を守る為に生きる時をお許し下さい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る