終幕

 ブラスコをテニアのいない、右側へ突き飛ばした少女が前に出た。

 彼の眉間を貫こうとした弾が、少女の左耳を掠める。


「いてえっ!?」


 急に突き飛ばされたブラスコは、びっくりして起き上がった。


「――お前が撃つんはおっさんちゃうやろ」


 銃口を向けてくるグレブを、少女は睨んでいる。


 一体何を考えているのかと、テニアは目を疑った。

 魔法の類など一切使っていなかったのだ。そもそも弾を避ける素振そぶりすらしておらず、もし被弾していたならこの場で絶命していてもおかしくない。


「あなたねえ……!」

「お前の声、知ってるわ」


 少女は遮るように、グレブへ言った。


「アルヴァジーレの外で内臓集めとった連中の一人によう似とる。うちの親殺して内臓持って行った、ボケの一人にそっくりや。殺したったけどな……」


 グレブは変わらず、不気味なような穏やかな笑みを浮かべる。


「レコプちゃうんかお前の名字。さっき電話でうちの事、竜刻りゅうこくの魔女て呼んだやろ。ここではその渾名、全然知られてへんのにな」


 グレブは笑みを浮かべたまま返した。


「島内家を襲い、処理を担当していた内の一人だった僕の兄を、あなたが殺したのは知っていますよ。もう半年以上も前に殺した相手の声を、覚えているとは驚きでしたが」


 少女は嗤う。


「ボスの隣に立ってええスーツ着とる弟とちごて、現場で下っ端仕事とは出来の悪い兄ちゃんやったんやな。どうでもよかったけれど覚えといて正解やったわ……。お陰で見ず知らずのここにも、お前の声を頼りにひとっ飛び出来たんやからな」

「殺された手下達が、片っ端から物色されてたのは報告に上がってたからな」


 上機嫌で口を開いたのは雪村だった。


「免許証とかの身分を頼りに、その内勢澄会に近付いてくるんじゃねえかとは思ってたんだよ。魔法使いだしな……。そうやって手品みてえに、どこからともなく現れるだろうとも思ってた。 こいつら兄弟は、頭のキレと性格以外はよく似てる……。ガメス・レコプを知っているのなら、アルヴァジーレの四大組織がいち、勢澄会の右腕と名を馳せるグレブ・レコプにも、辿り着くのは時間の問題だとな」


 先程の若手のみによる襲撃は、それを踏まえた挑発だったのか。グレブという頼りを元に、少女が現れるかもしれないという予測を立てての。

 実力があるとは言え、発揮する為にはまず組織に属さなければならない。その地位から幹部にコネがあるのだろうと思っていたが、まさか末端に兄がいたとは。

 下っ端となればその数は相当となり、見落としていたテニアは唇を噛む。ただその腕で、スピード出世をしていただけの天才かと。


「…………」


 少女はじっと、雪村から目を逸らさない。


 喚き散らす感性があれば、まだよかったのだろうか。怒りに熱された血を受けて、腹の中が溶けていくようだった。


 とろとろと、溶鉄のように流れ、身を焦がす。居ても立っても居られないその熱を表す術を持ち合わせていない事が、どうしようもなく歯痒かった。

 待ち焦がれていた元凶との対面を果たした。やっと辿り着いた。然しその身に滾らせてきた思いを、僅かばかりも表せない。


 ただ暗い炎だった。


 暗く、粘着質で、人間が持ち合わせる負の感情に満ち満ちた、自身を破滅に誘うような黒い怒りを、目に皓々と宿すと口を開く。


「うちの肝臓どこ持ってった」

「もうどこかの腹ん中さ」


 分かっていた事を、軽々と返される。


 残されている筈が無い。標本を作る訳でもあるまいし。あれはきっと、誰かのものになったのだ。

 さんざ探し回ったあの廃墟で、失ったものばかりを数えていた自分を思い出す。


 仮にその誰かを突き止めたとして、どうすると言うのだろう。返せと腹から引き抜くのか。さてそれを、自分が許すか。

 汚い手段で繋いだ命に過ぎず、本来ならば死んでいる筈だった。ただそれだけの事だと割り切って、その誰かを殺せるか。生き永らえる為、魔法を無理矢理押し込んだこの腹に、元の機能が戻った所で、親は戻って来ないのに。


 ただ怒りのままにここまで来たが、本当は分かっていた。自分が追い求めているものは、絶対に手に入らないものなのだと。ただ受け入れられなくて、ここまで来てしまっただけである。どうせ、長くはないのなら。


 今になって、目を背け続けてきた虚しさを、直視してしまったのは。


 もうその愚行すら果たせないと、 分かってしまったからだろう。


 雪村は少女に、憐れむような微笑を向ける。


「相容れない筈の魔力をある程度受け入れ、かつ悪魔のように、それを魔法へと組み上げる力を持つ……。流石のルーラー――。悪魔の支配者デーモンルーラーでも、身体に重大な欠陥を抱えてちゃあ短命だ。そもそもある程度・・・・なんだからよ。呪いカース使いの竜刻の魔女。裏社会に関してだがお前さんの暴虐は、そりゃあ外じゃあ有名だ。その荒唐無稽さから、契約してる悪魔は呪いカースだと広く知られてる。短い命だからと燃やし過ぎたな……。憑依ポゼッションと近い部分があるから、派手に暴れてくれたお陰で見分けが付いた。グレブをヒントに飛んで来れるだろうと思えたのも、お嬢ちゃんのお陰だぜ」

「………」


 少女は雪村の老獪ろうかいと、己の青さに怒りを覚えた。


「悪魔の長も死んだご時世だ……。銀には勝てねえとも広く知られて来たとは言え、まだまだ人間とは奴らに非力な存在だ。最上位種の制約コンストレーンツにしても、テニア嬢のような聞き分けのいい奴ばかりじゃねえ。お嬢ちゃんみてえな悪魔に好かれやすい人間ってのは、厄介でもあり貴重なサンプルとなる。悪魔払い共が調べたくてウズウズしてんのさ……」

「捕まえろだの渡せだのは、そういう事ね」


 ブラスコは呆れ顔で言った。


「お前が甘いからこうなったのさ」


 雪村は軽く、右手を上げる。

 座席と座席の間に潜んでいた組員が、一斉に立ち上がるとブラスコ達へ銃を向けた。

 得物はAK47アーカーヨンナナ。数はどれ程になるのだろう。全ての座席の間から現れた組員は、五十代が大半を占め、若くとも四十代前半。みな数多の修羅場を潜り抜けて来た強者であり、鋭い威圧感を放つ目と表情に、感情は一切無い。


 ざっと五百か。

 不敵な笑みを浮かべるブラスコの額から、汗が滲む。


「鉛じゃねえぜブラスコ。対悪魔仕様の銀製だ。さっきは躱されちまったんで披露は出来なかったが……。悪魔には堪らない威力を約束しよう」

「これが全部じゃないよねえ旦那。勢澄会の規模ならまだ、あと四百はいる筈だけど?」

「死にかけのガスパールファミリーの掃除さァ。ボスと幹部が死んだ組織なんざ、バタバタしつけえだけの、千切れた蜥蜴とかげの尻尾だよ。内輪揉めもやってる最中だ。本気で数をぶち込む必要も、俺が出向く手間も無え」

「大した自信で」


 肩を竦めた。


「まだ、今なら戻れるんだぜ」


 雪村は吸い終えたラッキーストライクを、足元に落とす。


「そのお嬢ちゃんを渡せ。それだけで十分さ。報酬だってたんまり払おう。家だ車だ、欲しい物も買ってやる。お前はよくやってくれた……。テニア嬢もな。お前達のお陰でザックは蜂の巣になり、残党狩りも始まった頃だろう。あとはそのお嬢ちゃんさえ手に入れば、ぶっ潰された臓器調達の設備も穴埋め所かお釣りが来る……。また一緒に暴れてえってんなら大歓迎さ。あの頃みてえに駆け回ろう。今度こそ、本物の栄光を掴む為に」


 あくまで、ゆったりとした語り口だった。


 脅すようなどす黒さも無く、苛立ちも滲まない。ただ静かな湖面のように、彼はブラスコに語りかけていた。

 同時にどう言葉を投げようと、結末は同じだと言うように。


「……過去は戻らねえんだぜ。旦那」


 ブラスコは苦笑した。

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