その信念に捧ぐ
「古い話さ」
雪村は言う。
「確かにそんな理想を掲げていた頃もあった……。だが世とは、常に移り変わる。余り綺麗事を並べてちゃあ、やっていけねえ事もあったのさ」
「それこそ綺麗事に聞こえるぜ」
「まァ思い出せよブラスコ。何で俺達は、このアルヴァジーレで成り上がろうと思った? 独立国家の悪の巣窟? 警察が機能してねえから? 違う。ここがかつて、元民間軍に取られた、王国軍の拠点の一つだったからだ。そもそも民間軍とは、金持ち共が我が身可愛さに雇う傭兵集団……。雇い主の都合を正義とし、金さえ積まれりゃ誰でも殺す。テロリストで混乱を極める中、そんな第三勢力が現れた事により更に内戦は悪化した。テロと政府の戦いならまだよかったんだ……。きっと百年も長引いてねえ。金持ち共が警備だ何だって名目で、自分の屋敷だ土地の周りの人間共を迫害し始めたんだからよ。テロリストはどこにいるか分からねえ、政府は当てにならねえから、自分の身は自分で守るとかほざいてな。その内怒りを買って、本当にテロリストに殺されるか、近隣の住民に殺されるか。そんな風に雇い主を失った傭兵共は、今度は自分の身を守る為に暴れ回る……。強奪だ、テロか政府に加わるか、戦いの醜悪さと混乱を増して行った。ここだって戦いで雇い主を失った元民間軍が、国から奪い取った土地だろう。何も考えてねえクソ共の統治で、終戦後はあっと言う間に腐り果て、この悪の巣窟が完成だ。ここでこそ成り上がり、このいかれた理不尽を乗り越えよう。そう約束したじゃねえか。その為にはそんな綺麗事、いつまでも並べている訳にはいかねえと気付いたんだよ」
「
「誰だってそうさ。人生とはその一念の為に、 どれだけ費やしどこまで犠牲を払えるかにかかってる。幾ら抱えようと、精々叶えられる望みは一つだ。俺はその道筋を小奇麗に飾るより、必ずあの戦いを乗り越えられる道を選んだんだよ。俺達の人生とは、全てがその為の時間だっただろう? 俺ももう、あっと言う間に七十だ……。このままじゃあ、間に合わねえと気付いたんだよ。あの激しくも、最も希望に満ちていた時代――。あのガスパールファミリーとの最初の抗争から時間が止まったまま、老いも死にもしなくなったお前には、分からねえ焦りかもしれねえけどな」
「あァ。確かにきっと分からねえ」
熱くなってきた雪村に、ブラスコはぽつりと返す。
それは寂しい声だった。
「俺は不死身だ。不死身の魔法使いだ。以来時間の感覚が変わった。酒の味も変わった。煙草もそんなに吸わなくなった。飽きちまったんだよ……。だらだらやろうが焦ってやろうが、俺には何の制限も無くなっちまった。人生という時間に限りが無くなり、張り合いって奴が――どこかに行っちまった。俺は戦争なんか嫌いだったさ。銃だって好きじゃねえよ。殺した感覚が手に残るナイフより、怖くなかったから取ったんだ。日曜の昼下がりみたいな時間が、ずっと続くような日々を願ってた……。そんな地獄がやっと終わって、俺はあんたに会ったんだ。幸せだったさ。それからは。あの抗争で倒れる間際まで。夢を追っている中で死ねるなら、戦場でくたばるよりよっぽど幸せだと思った。……テニっちゃんと出会って、ここにいるがな。折角何かの縁で、死なない魔法使いになったんなら、すぐに旦那の所に戻ろうかとも思ったが……。まあ魔法使いって色々、悪魔について勉強しないといけないみたいだったから、それもあって外でゆっくりしてたんだよ」
嘘を並べた。
それを見抜けるのは当時共にいたテニアだけだが、彼女はいちいち触れようとは思わない。彼はこの数年前まで、自分の為に組織に戻らなかったなど。
どこにも行かず、延々自分の泣き言を聞いてくれていたのだと、誰がプライドを捨てて言おう。
テニアは黙っている代わりに、少女へ目を逸らす。
喧嘩腰に睨まれたが、痩せ我慢だと分かった。彼女はもう動けないだろう。
元々、既に自分の血では補えない程の魔力を引き出していたのだ。故にトニス・ダウアだ、ガスパールファミリーだと、ギャングを食い荒らして来た所に、それでも足りない分を、自らの右腕の血を差し出して、無理矢理足した。
それはこれ以上、代価を払えないという証である。使いたければまた食わせればいいが、今血を渡すような真似をすれば倒れるだろう。
ルール違反である他者の捕食は、そもそも自分で渡せる最大量を、既に悪魔へ渡した上で足りないと判断されて起こるものだ。賄える量なら最初から、事を大きくせずにやっている。故に
然しギャング嫌いと言いながら、不死のブラスコを食わず、わざわざ勢澄会を選んだお人好しである。丸呑みにしても人間一人では足りない量を要すると分かっていながら、どうせまずは自分の血を渡していたのだろう。照明に照らされ、貧血で青くなった顔がよく見える。また馬鹿のように失血したので、最早白いと言ってもいいが。
生真面目と言うか、意地っ張りと言うか。妙なこだわりを持つ女だとテニアは思った。その復讐には、障害以外の何物でも無いだろうと。
ここに向かうまでいた住居に勢澄会が乗り込んで来た際に、さりげなくクロクスと共に、自分も呼び出していた事も。
こうしてなけなしの血を払い、ここに自分達を同行させた神経も。
悪が似合わないとは、よく言ったものである。
その状態ではまともな動きが取れない故に、泣く泣くという部分も大いにあるだろうが、最大の理由は別にあると、テニアは分かっていた。
信じてみたくなったのだろう。このブラスコという愚か者を。
「……外であんたの噂を耳にする度、それは心が躍ったもんさ。ついにあのガスパールファミリーから、縄張りを奪い取ったんだと。いい台詞が浮かんだなら、すぐにでも戻りたかった。大事な場面に限って、共にいる事が出来なかった……。――そんなつまらねえ負い目、どこかに投げ捨てればよかったと思ったよ。この一件で、道を踏み外していると気付いちまったあの時に」
「不死身でも
「こんなクソみてえな場所だからこそ、てめえが決めた筋を見失っちゃ駄目なんだって、あの時あんたは言ったじゃねえか」
「昔の話だいい加減にしろ……。お前が死んだ事になって、もう何年経ったと思ってる。あの抗争から俺は未だ、四大組織の
「そんなの奴らと変わらねえ。てめえの為だけに暴れ回るなんざ、そんなのあのテロリストや傭兵共と
「時間切れだ」
煙を吐きながら雪村は呟くと、グレブが後ろに回していた両手を動かした。
右手に収まっていたトカレフが、舞台のブラスコへ吠える。
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