誇りと獣
「……あの時お前は確か、二十一だったか。六つ違いだったもんな。お互い同じ町から出てた兵隊だって、終戦後に出会ってから知ってよ。安物しか無え酒場で、馬鹿みてえに一緒に飲んで笑ったな。だーれもいなくなっちまった。まるで生き残った俺達が死神みてえじゃねえかって、朝まで涙を誤魔化したもんさ。こんないかれた野望にも、喜んで付き合ってくれてよ。そこから、仲間集めや資金調達に走った十一年……。毎日が輝いていた。夢のようだった。歪んじゃいるがこれがきっと、生きる喜びってやつだと知った。俺達なら、何だってやれると思ったさ。そうして俺達は、このアルヴァジーレに乗り込んだんだ。この力が統べる街で、栄光を掴む為に。犠牲は軽く済むなんて最初から思っちゃいなかった。沢山死んだし、沢山殺した。二年間にも渡る大抗争の末に、あの当時アルヴァジーレで最強だったギャング、ガスパールファミリーから縄張りの半分をぶん獲ったんだ。……お前が死んじまったのは、流石にこたえたよ。お前が死んだ次の日に、俺は四十で西区の支配者となった。お前は三十四で、あの日に死んだと思ってた。あの頃は上がらねえ死体なんてごまんとあったからな。見つからなくても正直、怪しいとは思わなかった。……もうそろそろあの抗争も、三十年近くも前になるんだな。お前が数年前にぷらっとやって来た日にゃあ、とうとう俺にも、死神の迎いが来たと思ったぜ。不死身の魔法使いになって、テニア嬢と一緒にな」
「……昔はまだバタバタしてたからね。旦那の支配が安定するまで、暫くアルヴァジーレの外で隠れてたんだよ。俺の存在は、旦那の右腕って事で結構有名だったし、混乱を招くような事はいけないなって」
雪村は、新しい煙草に火を点けながら笑う。
「つれねえじゃねえか。こんなジジイになるまで会いに来ねえなんてよ」
ブラスコは、肩を竦めて苦笑した。
「どんな顔して会えばいいか分かんなかったのさ。死んだ事になってるのに、何て言えばいいのか分からなかったし。途中で死んで、カッコ悪かったのもあったしね」
何の駆け引きも無い、ただの友人達の会話だった。
二人が笑みを浮かべたその合間だけ、辺りの空気が微かに緩む。
「だから残念だよ。こんな形になっちまってる事が」
雪村は笑みを消すと、射るようにブラスコを見た。
「お嬢ちゃんの動向は、ある程度は監視していたと言ったな? お前が昨日、わざと彼女を逃がしたのは分かってる。そうして今も、俺の話を無視して彼女と共にいる。黙っていればバレねえとでも思ったか……? どういうつもりでの事なのか、きっちり説明して貰おうか」
空気がピアノ線のように、キリキリと張り詰める。
あの飄々とした笑みが、ブラスコから消えた。
少女よりも強く、真っ直ぐに、雪村を見る。
「説明なら旦那も同じだ……。俺があんたに裏切りを働いたと言うのなら、あんたも俺に話さなければならない事がある」
「ほう。それはまるで、見当が付かねえな」
雪村は、ゆったりと足を組み直す。
「悪いが教えてくれるかい?」
「あァ教えてやるさ。忘れたなんて言わせねえ。あんたは大事な掟を破った」
ブラスコは両手をズボンのポケットに押し込むと、一歩前へ踏み出した。黒い革靴の底が舞台を叩き、硬く劇場内に鳴り響く。
「俺達は成功する為に来た。確かにそうさ。真面目にやるなんてもう馬鹿馬鹿しくてやってらんねえ。真っ当に生きてて戦いに巻き込まれたんだ。きっと正しさなんてそんなもんだと思ってる。だがよ……。それでも外しちゃならねえ筋ってもんが、あるって旦那は言ったよな?」
「今もその通りに生きてるつもりだぜ? 仕事には相応の対価を。約束は守れ。仲間は家族と思えとな」
「そして、余計な殺しはするな」
雪村のこめかみが、ぴくりと強張った。
「内戦で虫けらみてえに消えて行く命を見て、あんな事はあっちゃならねえとあんたは言った。だから堅気には手を出さねえ。同じ世界のろくでなしとなら幾らでも命を取り合うが、落ちぶれる覚悟も無え奴からは絶対に取るなってよ。まだ少しでも、まともな生き方に憧れがある奴には、そのチャンスを摘み取ってやるなって。もう戻る気も無え薄汚れた俺達に、そんな権利は無えんだって。だから、
昨日の事だ。
あの倉庫で、グレブがトニス・ダウアのスキンヘッドを射殺した事を、ブラスコは言っていた。
あれはチンピラである。対峙したテニアも分かっていたように、ただ粋がった愚かなガキだ。本当の悪を知らない、悪ぶっているだけの、その寂しい心を満たす為の虚勢を張った。
ギャングは恐れない。悪魔だ、不死身の魔法使いが現れようと、動じず己の役目を果たそうとする。その役目こそ、道を踏み外した彼らにとって唯一の規律であり、生きる上での誇りなのだから。
だからブラスコは、あんな登場をしたのである。
倉庫の屋根を踏み抜いての落下死。無様で、滑稽この上無い。然し不死身の魔法を貸し与えられている彼ならば、不気味に生還してみせる。
そんなパフォーマンスで十分だと思っていた。あんなチンピラ程度には。きっとその程度で怯えてしまえる程、彼らは若く、まだまともな感性を持っている。踏み外そうとしているだけで、いつでも戻れる場所にいると。そんな宙ぶらりんな所で留まっている時点で既に、きっと彼らも悩んでいるのだ。己の人生とは、どう歩いて行こうかと。その若さに満ちた愚かな迷いを、決して摘み取ってはならないと。
尤も最初からそのつもりだと知っていたテニアだが、屋根を踏み抜いての落下死ではなく、ドアからやって来て彼らに一度殺された後、その復活の様で降伏させようとした作戦を立てていたにも拘わらず、カッコいいからという理由で直前での変更を食らい、激怒していたのだが。
成り上がりを夢見てやってくる愚か者など、アルヴァジーレにはごまんといる。その小さな虫を払うのも、四大組織や警察の、ありふれた仕事の一つだ。そんなものをいちいち殺していてはキリが無ければ、この街のギャングとはそもそも、そういった愚か者達から始まっている。彼らも知っているから、殺すまでの事はしない。精々脅して、その程度の覚悟で二度と荒らさないようにと返すのが、この街での作法でもあった。
だから雪村の右腕であるグレブが、ああも容易く殺したのを、二人はとても信じられなかった。四大組織が、街のルールを破るなど。
それも、この街で登り詰めたギャング組織という誇りを、自ら貶めるような事を。
世の規律所か、人情すらも分からなければ、それはただの獣だ。
だから便利屋はおどけ続けた。この一件、勢澄会とガスパールファミリー、そしてトニス・ダウアが絡んだ仕事の中でも、ギャング以外は誰一人として殺していない。少女を逃がしたのも、悪に身を染めていようと、越えてはならない一線を保つ為に。
悪なりの優しさ。悪なりのけじめ。それを軽んじた勢澄会に、誰よりブラスコは
かつて共に駆けようと、誓った仲間の変貌に。
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