その闇に温度は

 浮遊感が三人を襲った。

 夜風を切る音が耳に飛び込み、ガラスの破片が闇に煌めく。


 瓦礫が落盤した岩のように、狭い路地にひしめいていた組員らへ降り注いだ。

 慌てる組員達を尻目に、便利屋は路地に着地すると、組員らに背を向け走り出す。


「ぶっ飛ばしてもよかったのでは!?」


 前を行くブラスコの背に、テニアが尋ねた。


「いんや! 流石に構ってられない数だし、今は彼女もいるからねえ!」

「まあ最低でも一人は捕まえないと、雪村様の居場所は分からない所ですが!」

「ハッハァ! それならいい方法があるじゃ」

「いつまでおぶってるんですか下ろして下さい!」


 怒声で遮られた。


「彼女のさっきの魔法で、影から適当に引きずり込めば問題無いでしょ!?」


 でもめげない。


「あれそんな何度も出来ません」

「え?」

「物凄い疲れるんですよ。クロクスはすぐお腹空くし。あれだけ食べたのに、もう小さくなってたでしょう?」


 確かによく見れば、元から白い少女の顔色が悪くなっていた。


 予想外の言葉に、ブラスコもやや青くなる。


「いやいや……魔女でしょ? 何かカッコいい通り名も貰ってたんだし、それぐらいちょちょーっと……ってどぉわ!?」


 前の角から組員が現れ、慌てて背を向けた。


「ぶえ」

「んがっ」


 後ろを走っていたテニアと、胸に抱えられていた少女がぶつかる。

 然しテニアの後ろからも組員が来ており、道を塞がれる格好になった。

 ブラスコは壁を駆け上がろうと足をかけるも、その辺りの壁を乱れ撃ちにされる。


「おっとっとっとォ!?」

「――アホやろお前……!」


 涙目で鼻を押さえていた少女は、テニアの向こうを顎で示す。

 すると影に潜っていたクロクスが高速で移動し、大蛇となって組員らの足下から飛び出した。現れた巨大な顎は、辺りにいた組員を飲む。

 少女の何気無い仕草の裏にあったのは、クロクスを大蛇へ変身させる魔法だったらしい。

 仕損じた組員らが発砲し、透かさずクロクスは影へ逃げ込んだ。弾丸が虚しく地面を襲う。


 飲んだ数は四人。

 少女はクロクスの捕食数を確かめると、こちらへ影の中を引き返しているだろう、クロクスに叫んだ。


「――上げて!」


 クロクスは、少女の足下に大蛇の姿のまま現れ、便利屋ごと鼻先で空中へと弾き飛ばす。


「うおっと!」

「たっか!?」


 隣接する住居の屋上へ放られた便利屋は、それぞれ姿勢を整えると着地した。

 小柄な体格で最も滞空時間が長かった少女は、屋上の中央辺りに立つ、二人の前に着地すると向き直る。


「――行き当たりばったりにも程があるでしょうあなた!」


 激しい剣幕で詰め寄る少女に、ブラスコはおどけて肩を竦めた。


「今そんな事話してる場合ィ?」

「煩いんですよ! 不死身のくせにわざわざ庇うような事して! 恩着せがましい振る舞いはやめて貰えますか!?」


 ブラスコは怯まない所か、ニヤニヤと笑う。


「それを言うなら君だって、今エネルギー不足の中助けてくれたし。幾ら食べても消えない俺がすぐ側にいるのに、わざわざ敵さん食べに行ってさ」


 下位悪魔は人間しか食べない。クロクスが吐き出した組員らの服や持ち物が、二人から少し離れた屋上の床の影から、噴き出すように宙を舞うと落下した。


「そ、それは、そんな事したらそいつが怒るからでしょう!?」


 振られたテニアは涼しい顔で、丁度自分の足下辺りに散らばる、クロクスが吐いたゴミを避けながら返す。


「まあ穏やかな心境ではありませんけれど、ぶっちゃけ死にませんしね。ギャング嫌いなようですし、切り抜ける為の布石だろうなと」


 それを見た少女は、怒りでわなわなと震えた。


「…………!」

「それにあいつら、俺には迷わず撃つのに、君を抱えてる時は撃たなかったし」


 ブラスコが追い打ちをかける。


「壁に逃げようとした時素直に撃てばいいのに、あれは威嚇射撃だった。電話でグレちゃんが君を渡せって言ってたから、傷を付けるのはよくないんじゃない? 使ってる弾も確かめたら、銀じゃなくて普通のだったし」


 その言葉を理解した瞬間、少女の頭は火のように熱くなった。


「……試したんですね……!!」

「君が悪人には向いてなかっただけさ」


 クロクスの吐き出したAKを、テニアは掴むとブラスコへ投げる。

 三階から伸びる梯子を上り、蓋となっている屋上の鉄板を開けた組員が、僅かな隙間から銃口を突き出した。

 受け取っていたブラスコは慣れた調子でAKを構えると、鉄板ごと組員を撃ち抜く。

 それとほぼ同時にブラスコの右肩を、背後から弾丸が貫いた。


「うおっ!?」


 狙撃手か。

 透かさずテニアは周囲の建物を見渡すと、先に気付いたクロクスが飛び出す。

 テニアから見て正面の住居へ直進したクロクスは、屋上にいた組員を飲み込んだ。その勢いは三階の上部分を抉ると中を晒し、響く破壊音に断末魔すら聞こえない。

 吹き上がる粉塵に、テニアは思わず腕を翳す。


 グレブの姿が見えない。


 先程から注意深く辺りを見てはいるのだが、それらしい姿は一向に見つからない。

 組員がわらわらとAK片手に寄ってくるだけで、これではいたずらに消耗してしまう。


 特に、少女が疲労するのは避けなければならなかった。お構い無しに食った端から魔法を使っているが、疲れているのは顔色でよく分かる。

 魔法を組むとは精神労働であり、悪魔でさえも人間を食えばすぐに回復出来るというものでもない。それで補えるのは生命力と魔力であり、故に化け物と言えど睡眠などの休息を摂る。

 少女の場合、補える量を超えている分は他者を食らっているが、クロクスに自身の血を渡す上に、渡された魔力を魔法へと自力で組み上げているオーバーワークだ。よくそんな綱渡りをやれるものだと辟易する。魔力は人体に悪影響を及ぼすのにも構わず、肝臓も魔法で作り出しているという始末。そもそも魔力と人間とは相性が悪く、人間如きが魔法を組もうなど、困難を極める以前に滑稽な業なのだが。


 『ルーラー』か。


 雪村が彼女を殺せではなく、渡せと言うのはその為だろう。


 竜刻りゅうこくの魔女。アルヴァジーレでは初めて聞く名であるが、外ではそう呼ばれているのだろう。まるであらかじめ、勢澄会は知っていたような口振りで、グレブは電話で話していた。

 悪魔の五感である。自ら受話器を取らずとも、内容は筒抜けだ。本当に盗み聞きをしないなら、耳を塞ぐなりしないと拾えてしまう。

 となれば、少なくとも自分達便利屋より、知っていてもおかしくはない筈だ。彼女がどれ程自由度の高く、危険な魔法使いかも。

 そしてグレブは、恐らくこの辺りにはいない。

 いつも奴がいるのは、雪村の側だ。


 粉塵はまだ止まない。

 寧ろクロクスは更に暴れているらしく、破壊音と共に吹き上がる新たな粉塵の向こうから、怒号と悲鳴、銃声が、狂ったように耳を突いた。


 襲われている組員達は何も分からないだろうが、それはまるで、モンスター系パニック映画のワンシーンのようで。あるいは人を滅ぼす為地上に降りて来た、魔女とそのしもべによる殺戮のさまだった。

 絵画にでもなって、額に飾られていても何らおかしくはないの様を、悪魔であるテニアには、はっきりと見えている。


 決して語られる事の無いだろう、少女の怒り、悲しみ、憎悪が、クロクスという悪魔を大蛇へ変え、目に付くものを全て壊す。

 激情に打ち砕かれた者はみな、赤い破片となって飛び散るか、猛り狂う大蛇の喉に消えていった。


「――ここに組織の核はいません」


 目まぐるしくクロクスが暴れ回る中、目を凝らしていたテニアは呟く。

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