赤い弾丸

 透かさず弾幕が張られた。


 まず便利屋から見て右から放たれた攻撃は、大蛇に無数の穴を空ける。だが弾は肉の浅い所で止まってしまっているようで、大蛇に怯んだ様子は全く無い。

 大蛇は雨に打たれたように身を縮めると、ちろちろと先が分かれた舌を出しながら右手を見た。


 ガスパールファミリーだ。先に動いた彼らは、園内を左右で分割し見張っていた勢澄会を置いていく形で、奥に後退しつつ撃ったらしい。

 ここはがらんとした、遮蔽物の無い墓地である。園の左側を警戒していた勢澄会は、大蛇と直線に並ばないよう慌てて散った。


 魔法の類。状況から、例の魔法使いか。


 人の姿ではない悪魔は憑依ポゼッション制約コンストレーンツ程脅威ではなく、こうして姿を現せているのも夜だからこそ。何であれ、処理は早いに越した事は無い。

 人間の感覚に合わせれば、途轍も無く頑丈な悪魔達。だが絶対の不死でも無ければ、殺す方法も確立された。

 ただ彼らに蹂躙される時代は、終わったのだ。

 そう愚かな判断をしたガスパールファミリーの弾丸は、真っ直ぐ大蛇の頭へ吸い込まれる。


「ちょっとガスパールさ――!?」


 一斉射撃にテニアの声は掻き消され、身を屈めた大蛇が芝生を滑る。


 目標を失った弾丸達は闇に消え、障害が消えた大蛇は駆けると、手前にいたガスパールファミリーの組員達に頭突きを浴びせた。

 接触した組員は、車にねられたように宙を舞う。


 約束と違うと、テニアは苛立つ。


 四大組織の内、二つの組織のボスが集うのだ。街に蔓延るチンピラ、弱小組織、隙を突こうと企む者など、ただでさえごまんといる。両組織により配備された警備は、厳密にはその為の対策であり、魔法絡みの相手が現れた場合には、ブラスコとテニアに一任するようにと事前に取り決めがされている。


 因縁が邪魔をしたか。勢澄会は信用がならないと。


 いや、相手がどんな者であろうと、これはボスの命令だ。何も勢澄会は、ガスパールファミリーにこの案を強要したのではない。

 この会合の場にしても、丁度お互いから中間地にあるという事で、ザックから勧めて来た。警備を半分ずつ割く事になったのも、現状から気を遣い、こちらが主に用意しようと言った雪村を断り、半分ずつだと押し切ったザックによる。

 報復を企んでいるとでも言うのだろうか。この内部抗争、面子を潰されるような噂まで流されている混乱の最中さなかで。

 確かにこの教会はかつて雪村により、ドグロス・ガスパールが殺された場所ではあるが。

 いやそうだとしても、こんな状況で事を運ぶ理由が無い。ボスの身が危険に晒されたと同時になど。


 確かにあの大蛇を模したような悪魔は、例の魔法使いの相棒だろう。だが憑依ポゼッションとは非力な存在。制約コンストレーンツのように、己の力だけで生き抜くのは難しく、昼間は碌に動く事すら出来ない。 夜になったからと契約相手を置いて、暴れ出す憑依ポゼッションなど本当にいるか? 憑依などという言葉を当てられる程、彼らは人間を頼らなければならないのに。

 組織において、ボスの命令は絶対。それを背いてまでの、悪魔への攻撃。流れ弾が勢澄会にでも当たれば、抗争の始まりだ。その危険を冒してまで、何故便利屋がいるというのに発砲する?

 何が目的か。何を手にする為に犯している危険か。何を守る為の弾丸か。そしてあの、黒い魔法使いの相棒らしきあの大蛇は、誰のリークを受けここに現れたのか。契約相手も無しに。


 テニアはブラスコに身を寄せると、爪先立ちになって喉を噛む。軽く口に含んだ血を、一息に飲み込んだ。

 ブラスコに貸し与えている魔法の、性能強化の為の代償だ。昨日、黒い魔法使いを逃がしたと彼から聞いたテニアは、後れを取らないようにと備える。


 何であれ、まずはあの大蛇を止めればいい。

 長年連れ添っている二人の間に、いちいちその旨を伝える程度の言葉は要らなかった。ブラスコはテニアを残し、墓地へ走り出す。


「……ちょっとちょっとガスパールファミリーさん……!?」


 同時にテニアは、雪村達に外の状況を伝えようと、教会に振り向いた。

 然し教会の内部から響いた銃声が、扉に掛けた手を止める。その一瞬のラグを埋めるよう、乱暴に扉を開けた。


「――雪村様!」


 彼女の目に広がっていたのは、祭壇の前に簡素な木製の椅子を二脚置いただけの、粗末な会合の場であった。

 教会の広さは、三百人は入れる程度であろうか。両組織の構成員達が、外で周囲を警戒しているエリアを示すように、左に雪村、右にザックが掛け、両者の背後には五人の側近達と、先程まで位置していた事だろう。テニアが飛び出した時には椅子はひっくり返り、祭壇にいたのは、ガスパールファミリーのみであったが。

 勢澄会は礼拝用の長椅子の間で、身を隠すように屈み込んでいた。


 拳銃を構える側近に囲まれている雪村は、ザックを睨み不敵な笑みを浮かべている。片手は、左胸を押さえていた。


 雪村の側近達が向けた銃口の先には、赤毛の男が立っている。

 歳は四十中頃か。赤いシャツ、黒いネクタイに、縦縞が入ったダークスーツ。オリーブ色の目は静かに光り、雪村を見下ろしていた。


 ザック・ガスパール。彼は自らの手で構えたマカロフを、雪村に向けて。


 マカロフ。またはPM。1952年にソビエト連邦に開発され、勢澄会が組員の標準装備としているトカレフに代わる制式拳銃として採用された、小型自動拳銃。


 鋭く冷えた教会内の空気は、外よりも強く張り詰める。


 微動だにしないまま、ザックはテニアへ言った。


「……動くなよ怪物。死体なら後で好きなだけ食わせてやる」


 テニアの頬を汗が滑る。


「……どういう事ですかガスパールさん」

「雇われの女は黙ってろ」

「魔法絡みの敵襲ですそんな事をしている時ではないのでは? 我々が何とかしますので、まずは皆さんこの場から離れて」

「黙ってろって言ってんだ!!」


 叫ぶザックは、それでも雪村から目を逸らさない。

 雪村は弾丸を受け止め、駄目になってしまった懐中時計を、左胸の内ポケットから捨てた。


「……逸るなよガスパール。ここで抗争なんか始めてみろ……。てめえの組の事も分からなくなったか」


 ザックは吐き捨てる。


「ハッ。てめえの組織の事ぐらい分かってら。何が内部抗争だ下らねえ……。些事に忠義を揺るがすような奴は、このガスパールファミリーに要らねえんだよ。最近は金ですぐ寝返るギャングが増えたからな……。掃除に丁度いいってもんだぜ」


 平静とは全く言えないその笑みに、テニアは苛立って舌打ちした。


「――ッのガキ……!」

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