正面突破

 ブラスコは薄く笑う。


「死にかけてた所を偶然、フリーだった君に救われたからね。不死身にしてあげますから、契約してくれませんかって。悪魔にしてはなんて低姿勢で、律儀な頼み方かと思ったよ。もっといい人いっぱいいたでしょうに、路地裏の隅で死にかけてるようなチンピラ相手に」

「かもしれません。つい傷心中で、目に付いたから適当に話しかけてしまいました」


 ブラスコは唇を尖らせ、軽口を飛ばす。


「違う男の話とかされたくないなー」

「小さいんですよ」


 吐き捨てられたが、そこまで声は尖っていない。


 ブラスコは、煙を吐きながら言った。


「……男は繊細なんだよ。女のように律儀に約束は守れないし、プライド持って生きれりゃそれでいいの」

「男のプライドって女から見たら石っころよりしょうもないって思われてるの知ってます?」

「非現実的で、地に足は付いておらず、自分が決めた道しか見ていないから」

「ええ」

「振り回された君が言うかねえ?」


 煙草を銜え直しながら、意地悪く笑う。


「退治されるようになったから、泣く泣く契約するようになった人間を相手に『ご主人様』って。前の契約相手さんの事引きり過ぎでしょ」

「あなたと違っていいとこの人でしたし、初めて契約した人ですから」


 涼しい顔で返した。


「当時はまだ人について詳しくなかったのもので、給仕係があの人をそう呼ぶのでそう呼ぶのだなと思いました。もうすっかり、それで慣れてしまいまして」


 嘘をつく。

 引き摺っているのではなく、変わらぬ思いの証だと。


 折角買った煙草を、何故だか吸う気になれなかった。

 煙草とライターが入った、スカートのポケットに入れた手を、何も持たずに引き抜く。


「……名前が変わっただけです。本質は何も変わっていません。どーせ変わるというのなら、人間になりたかったんですけどねえ。今更な話ですが」

「ん。確かにそれは今更だ」

「丁度昔のあなたのような位置に立つグレブさんが、気に入りませんか」


 ブラスコは心外そうにテニアを見た。


「なァにそれ。俺がグレちゃんに嫉妬してるとでも?」

「小さい生き物ですからねえ過去の栄光を勝手に重ねているのでしょうか? ――マジな話、あの若さで幹部ってどういう事でしょう? 組に入ったのも最近であるにも拘わらず、端から見てもびっくりのスピード出世ですが。あるんですか? そういうのって」


 言うとテニアは手を伸ばし、ブラスコの手から、足元に捨てようとした煙草を抜き取る。半分ぐらいまでちびたそれを、ひょいっと口に放り込むと咀嚼した。

 制約コンストレーンツに分類される悪魔は、料理は勿論、大抵のものは食べようと思えば食べられる。栄養の吸収率が最もいいのと、魔法の元となる魔力を唯一回復させられるのは人間の血肉であり、酒だ煙草ぐらいの毒では死なない。


 ブラスコは言う。


「まあ無い事は無いよ。俺も昔はグレちゃんぐらいの歳で、旦那の右腕やってたぐらいだし」

「それは勢澄会が若い頃から共にいて、組を作り上げて来た功績があるからでしょう? 今や四大組織の一角を担う程に大きく成長し、安定もしている組織の中で、そう飛び抜ける事は容易ではありません。ギャングと言えば入るには、既にそこにいる親類が承認になって貰うのが通例でしたっけ? 組織に入れるのは、既に組織に属する家族の者。まあ全くの余所者は入れないという訳ではありませんが、ハードルは高くなります。グレブさんのファミリーネームはレコプだそうですが、勢澄会にそのような名を持つ方はいません」


 ブラスコは感心して、片眉を上げた。


「よく知ってるねえ?」


 テニアは澄まし顔で応じる。


「まあ便利屋ですから。個人的な情報網が無いという訳ではありませんし。……以前とここ数日の勢澄会の動きが違ってきているのも、知らない訳ではありませんよ」


 いつの間にか真剣になっていたテニアは、ブラスコに詰め寄った。


 二人の間は、二十センチも無い。


 いざという時の用心棒を任されている中、今自分は、それを怠るような行為をしている。


 知るか。テニアは思った。


 いざという時を作らない為の作業は、既にここまででやって来ている。


 夜の廃墟という、人目を避けた場所選び。両組織がこの教会まで移動する際も、警察に気付かれないよう監視の目をくぐって来た。それは周囲に、この会合についての情報を与えないのは勿論、両組織の動きを隠す事にも繋がる。全ては今、最もこの動きを知られたくない相手である、黒い魔法使いへの対策だ。

 我々便利屋はそこまで関与はしていないし、与えられた仕事も、その対策の上で想定された非常時である。何も起きていない今どう言われようと知った事ではなく、対策を立てておきながらもしあの魔法使いが現れれば、それは両組織の失態だ。


 そんな事よりもたださなければならないものがあると、テニアは真っ直ぐにブラスコを見上げる。


「……あなたの方が分かっているでしょう? あの組織は変わりました。少なくとも、あなたが懸命に尽くしていた頃とは確実に。かつての右腕を試すような元ボスに、通してやる義理などありますか?」


 テニアは怒っていた。

 何故ブラスコは、自分を責めないのかと。


 やっと戻って来れたのに、再会を待ち望んでいた仲間が、変わってしまったのかもしれないのにと。

 あなたを組織から引き離し、人生を捻じ曲げたのは、あの時出会ってしまった、私の所為だと言うのに。


 ブラスコは困ったように、にやりと笑う。


「君は全く、律儀で優しい女さ」


 遠く続く墓地の果てにある、庭園の正門が吹き飛んだ。

 破られた正門に、両組織がAKアーカーを構える。


 今?


 その反応の悪さを、 便利屋は訝しんだ。


 園内は百人。周囲の外壁にも百人にぐるりと囲まれ、守られていた筈である。目を光らせていただろうに、何故門が吹き飛ばされるという事態が起きてからの反応なのだ。

 今は両ボスの会合中。ましてや因縁の仲。緊張は例の魔法使いへ向けたものだけではないだろう。それでも見落とすものなのか?


 跳ね上がる緊張に、空気が一瞬で張り詰める。


 暗くて見落としてしまったなど、そんなガキの言い訳は通らない。ここにいるのはトニス・ダウアのような、チンピラ紛いの弱小組織の者でもない。彼らはこのアルヴァジーレを支配する、四大組織に属する男達。それも、この場に駆り出される程の信用と力を持つ、百戦錬磨のギャング達というのに。


 破られた、三メートルはある両開きの鉄扉が、紙屑のように闇を舞う。

 教会の外壁を囲い、正門を守っていたギャング達の、AKアーカーが火を噴いた。


 剥がれた鉄扉のそれぞれが、本来の重量を知らしめるような音を立て園内に落ちるのと、吠えたばかりのAKが黙らされるのは同時。

 芝生が敷かれた墓地の上に、拉げた鉄扉が突き刺さり、すぐに返り血で斑に染まる。


 象でもやって来たような重量が、ずんと深くまで地を揺らした。


 外壁に沿って守っていた百のギャングを、もう殺したと言うのだろうか。正門付近で転がる死体を足元に、堂々と正面から入って来たそれは、ゆっくりと便利屋の方を見る。


 丸くつぶらで、無感情な目。


 静かに月を照り返す身体は鱗に覆われ、闇の中で不気味に輝く。


 便利屋だけには見覚えがあった。


 あの蛇と言うには厳めしい、肉食恐竜のようにがっしりとした顔と顎を持つ、黒い蛇。

 あれがたった一匹で、門を突き破って入って来ている。


 最初に見た時よりは明らかに大きい、十三メートルはあるだろう全長と、胴回りが一メートルにもなりそうな巨体を持って。

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