黒点アンノウン
咄嗟に構えようとした影は、中途半端に上がったままだった腕を下ろす。
本当に小柄だ。
テニアは警戒したまま、シーツを被ったままの影に思った。
子供にしか見えないが、異国の者だろうか。
実際アジア系のブラスコは、女性に抜かれている事は何とか無いものの、 この国では小柄な方であり、 確か百七十センチ後半だったような気が。
少なくともこの影は、百六十強あるテニアよりまだ小さい。もしや百五十センチ台ではないかと思わせる程で、この国では十歳そこそこの子供ぐらいだ。
まあ何が起きても、不思議ではない街ではあるものの。
「今し方あなたが殺した連中が、余所者であるのは分かっています。
「…………」
テニアはG11を構えたまま、地上を一瞥する。
ブラスコが上がって来ない。
影が生んだ新たな死体の調査に出ているか、どこかに潜んで別方向から影を警戒しているか。まあ察しは大凡付くので構わない。
死体の方はギャングにありがちな、揃いのタトゥーでも入れてくれていたら、調査の手間が一気に省けてありがたいのだが。
喋らない影に、すぐに視線を戻す。
「一応言っておきますけれど私達別に、そこの肉塊共の仲間とかじゃないですよ。さっき巻き込まれたばっかで
「敵意ガ、無イ、ノナラ、先程転バセ、タノヲ、詫ビヨウ」
低い男の声が答えた。
体格とのギャップに、テニアは目を見張る。
ブラスコより年上と感じた。
然し気の所為だろうか、発せられている位置に、どこかズレを感じる。何より片言の印象が凄まじいと言うか、機械が話しているように情緒が無い。
話すのに精一杯で、抑揚にまで意識を向ける余裕が無い音と言うか。これこそ異国の言葉を、辿々しく話しているようだと思えばいいのか。
「然シ、時間ガ、無イ。好ンデ争ウ、意志ハ、無イ。銃、ヲ下ロシテ、貰エルト、
不気味な事この上無い。
だがテニアも、ギャングが支配する街に生きる者である。少々の事では動じない。
ただ緊張は加速する。ピリピリと、皮膚に針を当てられるような感覚を覚えながらも、冷静に言葉を交わした。
「――申し訳ありませんが、目的が見えない殺人者を前に武装解除は出来ませんので。とんでもなくお強いようですし。ただ、目的さえ明かしてくれれば下ろします。こちらも敵対するつもりはありませんから」
「ソノ割ニハ、ゴ、挨拶ダ。背後カラ、銃ヲ、向ケルナ、ド」
「いえ悪意など? 死体を道具にしていらしたので、これぐらいの
静けさを取り戻し始めていた闇の中、より濃い黒を纏ったシルエットが蠢いた。
影の背後から、蛇の尾のように。
夜がまた爆ぜる。
G11がテニアから弾かれ、後を追うように足も屋上から離される。
風が背後から前方へと飛んで行き、それでテニアはやっと気付いた。
吹き飛ばされた。
一つ後ろの屋上を、手足で掴むと着地する。
履き慣れた七センチのハイヒールはいいとして、剥き出しの手の平は擦り切れた。
「ち……」
痛みに顔を顰めようとするも、目線を足元から前に上げると息が止まる。
シーツを脱ぎ捨て跳び移って来た影が、右の拳を振り上げて頭上にいた。
透かさず影の側面に回り躱そうとしたテニアだが、その判断は失敗に終わる。
影の拳が床に触れた途端、屋上がその威力に耐えられず瓦解したのだ。
「いやどんな力してんですかァ!」
怒号を上げるテニアだが、瓦礫と化した足場に飲まれ落っこちる。
その呆気無さはジェンガのようで、粉塵を巻き込んだ空気が、空へ轟音と共に舞い上がった。
中に人はいたのか、いなかったのか。そんな事はどうでもいいと、テニアは瓦礫から何とか上半身を這い出す。
「げほァ!? 馬鹿じゃないんですかあんた!?」
粉塵が喉に入り込み、派手に咽せながら上を睨んだ。
テニアを埋めている、瓦礫の山の上に立っていた影は答える。
「寸前、デ、止メテ、脅スツモリ、ダッタ。当テヨウナ、ンテ、思ッテイ、ナイ」
「出来てないじゃないですか過剰だっつってんです!」
「人間、ジャ、ナイダロウ。半端ナ
「何製だと思ってんですかね私の事を! つかどうしてくれるんですかこんなの警察飛んで来ますよ!」
「オ前ガ、避ケル、カラダ」
「あんたでしょうが何私が悪いみたいに言ってんですかァ!!」
「煩イ、女ダ。タッパ、ダケダナ」
「あんたが小さいんでしょうがこの……」
体重が消えた。
完全に這い出そうとしたテニアのシャツの襟足を、影は掴むと引き上げる。
テニアをこちらに向かせると、宙ぶらりんにして持ち上げた。
猫のように摘まれたテニアは、目を疑う。
影が腕を組んでいる。
なら、誰が自分の襟首を掴んでいるのか。
耳のすぐ後ろから、空気が抜けるような、シューッという音がした。
ぷんと生臭い臭いが、湿気と共に鼻をつく。シャツが掴み上げられた辺りから、生暖かい液体に濡れた。
生物だ。
テニアは気付く。
自分を持ち上げているのは、何か巨大な生き物だと。
然しどこから湧いて出た。形が分からない。ただ、大木のような真っ黒い輪郭が、影の背後からテニアの背へと、蛇のように
腕を組んだ影は、地面から二十センチ程浮かされたテニアを、見上げもせずに続けた。
「声ノ高イ、女ハ、嫌イ、ダ。煩イ。耳、ニ、障ル」
「…………」
テニアは辺りを一瞥する。
廃墟だったらしく、周囲には何も無い。半壊した壁から望む空の高さから、今いる位置は三階だろう。部屋は床程度しか原形を留めておらず、空だった空間に瓦礫を落とされ、紛争地域の一コマのような姿を晒している。
「トニス・ダウア、ハ、死ン、ダ」
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