空腹少女は霊を脅す

 咄嗟にブラスコはテニアを庇おうと、男へ背を向けながら彼女を抱き寄せ、来た道とは別の路地へ走り出す。


 そのまま抱えられたテニアは、押し付けられたブラスコの胸から頭を離すと怒鳴った。


「ぐえ――ってご主人! 大袈裟です!」

「いやいや俺はいいとして君は駄目でしょう!」

「はァん!? ここは紳士ジェントルマン気取る場面じゃないでしょう……」


 連射音に破られたばかりの静けさが、もう戻って来る。


 紛れるように、男の短い悲鳴がした。


 発砲した方の声だろうか。あるいはあの黒い影?


 ブラスコは振り返るが、すぐにどちらか分かる事になる。


 その珍銃ちんじゅうを携えたままの死体が、空から彼に向かって飛んで来たから。


「ぎゃああ!?」

「重いんですけどォ!?」


 死体をぶつけられ、派手に転倒する二人。

 まして大の男二人に伸し掛かられたテニアは、洒落にならない圧迫感に襲われた。


「うぐォオお……!」

「だから何で明かりもえのに分かるんだ!」


 また屋上らしき高い位置から、別の男の声が降る。


 素人だ。魔法絡みに関して何も知らない。


 魔法使いや魔女に景色の明暗など、何の障害にもなりはしない。


 先に起き上がろうとしたテニアは、そう思いつつ頭を上げる。


「いいから撃て! 殺しちまえばこっちのもんだ! 警察が来る前に何とかしねえと……!」


 複数人で動いているのだろうか?


 丁度、この通路の壁となっている建物から聞こえ、テニアは確かめようと、上を向いたまま後退る。

 然し人がれ違うのもやっとな路地だ。すぐに背中が壁に着くだけで、この角度からでは何も見えない。


 細長く切り取られた、どす黒い空だけが見えた。


 テニアは舌打ちしつつ、上を見たまま腹に意識を向ける。


 空腹だ。今すぐにでも何か入れたい。


 雪村といたあの店で、つまみの一つでも齧ればよかったか。いや同じだ。所詮自分は、人間ではないのだから。


 テニアは溜め息を堪え、壁に向かって走り出す。狭い路地での、ほんの僅かなその助走で、そのまま壁を駆け上がった。

 空が一気に広くなり、低く淀んでいた空気が澄み渡る。一息で屋上に到達すると、干されていたシーツの陰に隠れた。


 干しっ放しとはこの建物の持ち主は、夜型なのか出掛けたっきりなのか。まあ今はありがたいと思いつつ、 シーツの隙間から辺りを見渡す。


 この辺りは繁華街から離れた通りで、 建物のつくりが、ベランダ代わりとなっている屋上付きの三階建てと統一されている。路地がその足元を網目のように張っていく様は、屋上という舞台を浮き上がらせているようだった。

 これらは全て、元は国の混乱期に拵えられた、難民向けの物件だったのだろう。どれも古びていて、未だ低所得者が暮らす地域には、よく見る形の住居だ。


 頭をぎる、狭い土地に上へ上へと空間を求め、ひしめくように息づいていた人々の記憶をテニアは払う。


 その舞台上で、忙しなく人が動いている。こうして明かりも無しに鮮明に見えるのは、悪魔とそれに契約した魔法使いの特権だ。


 数は七。全員が矢張り、チンピラ風の若い男。正面の二つ先の屋上で、背中合わせに円陣を組み、辺りを警戒している。悪魔と契約もしていない、ただの人間であろう彼らには、現状とはさぞ恐怖であろう。

 得物は統一されているようで、あの珍銃、ヘッケラーコックG11ジーイレブン 。縮めて、G11ジーイレブンと呼ぶのが一般的か。


 斬新な直線的フォルム。ブルパップ方式でありながら射手の利き腕を選ばず、毎分二千発もの高速バースト射撃などの利点もあるが、トロ臭い装弾の手間に、用いるのが薬莢やっきょう式に比べ湿気に弱い無薬莢弾、射撃時にコックオフの可能性が高いなど、 難点に目がいきがちな突撃銃とつげきじゅうだ。

 元は退屈凌ぎに詰め込んだ銃器の知識だが、まさかあんなものにお目に掛かるなど。

 もっとましな物は無かったのかと、テニアは男達に憐憫れんびんの目を向けるが、それも束の間。


 ぶんっと地上から、死体が血を撒きながら男らに飛んで来る。


 つい先程まで生物として活動し、仲間として過ごしていた肉塊だ。四肢を不気味にくねらせて舞う様に、戸惑わない者は無い。

 すぐに七人はびくりと痙攣すると硬直し、その中の誰かの悲鳴で、止まった時間が動き出す。

 怒号と共に、死体が舞い上がって来た方へ攻撃が始まった。一分間に二千もの弾丸が死体をすり抜け、その下にいるだろう地上の影へ、七倍に膨れ上がって放たれる。

 周囲は粉塵を上げながら、雨のように弾痕が駆け抜けた。


 然し影は読んでいたのだろう。ほんの一瞬、確かに動きを止めてしまった彼らの隙を突き、螺旋階段を登るように、彼らがいる建物の壁を駆け上がる。


 足音は彼らが消してくれる。故に堂々と、 大胆に――。影は、彼らが向いていた方向とは、逆側の空に現れた。


 テニアはその動きに、蛇を連想する。


 暗いのだ。元々あの男達は、いや人間として至って一般的な程度なのだが、例え訓練なりで慣らしていようと、昼間のようには周囲を認識出来ていない。


 影は猫のように、音も無く着地する。

 距離を詰めようと飛び出すと、その動きは突然荒ぶる。


 それは無駄なエネルギーを使わない、実に効率的な切り替えにも見えた。


 後方にいた二人に突進すると、両腕を翳す。

 影の両の手の平に捉えられた二人の首は、骨ごと握り潰される。


 首を破壊されての絶命。接触の瞬間から、彼らが死体と化したのをテニアは分かっていて、気付いた残りの五人は、団子になっているので誤射を恐れて発砲出来ず、そもそもそこまで思考を進める猶予は彼らにあったのかと思わせる程、それは短く、単純な出来事だった。

 自動小銃で武装した男五人を相手にしながら『殴る』という、それは原始的な殺し。


 右、左と、交互に空いた拳を繰り出すというそれだけに蹂躙されていくその様は、人と技術の敗北と言うか、余りに退屈な一瞬で、感情が込み上げるには、些かならず速ぎた。

 だが、この程度で身動きが取れなくなってしまう程、テニアも感傷的には出来ていない。


 鋭い速度で展開が進む中、ふわりと白が空を舞う。

 余りに呑気に舞うそれは、影の頭上で長方形に広がった。


 シーツ。


 そうその物体を、影は認識出来たのか。


 頭からシーツを被り、ゴーストの仮装のようになる影は、思わず後ろを振り返る。だが喉に硬いものが当てられ、顎を持ち上げられると動けなくなった。


「敵意はありませんが、街を荒らされる行為には賛同出来ませんので」


 助走も無しに二つ先の建物へ跳び移ったテニアは、抱えていたシーツを目眩ましに影へ放つと、拾い上げたG11ジーイレブンを構えて言う。


「まああなたが何者か次第で、態度を変えなければならないかもしれませんが……。質問に答えて頂けますか」


 その余裕すら浮かべない表情は、ただ冷たい。

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