第八章

腑を食らう悪魔


 葉巻は男のロマンであると、確かに彼は知っている。


 フィデル・カストロ。ウィンストン・チャーチル。森鴎外に、芥川龍之介……。葉巻とは常に、偉大な政治家や文豪達の側にいたと。

 げんを担ぐではないが、ギャングもそんな登り詰めた彼らに憧れ、葉巻を嗜んだものである。愛煙家である彼も、全く関心が無いと言えばそれは無い。ただ、手間が面倒なのだ。

 どこにでもあるような銘柄を好み、安いライターでぱっと火を点けぷかりと吹かす。これが彼にとっては丁度いいものであり、シガーマッチだ、シガーカッターだ、アッシュトレイだ、吸うに準備だそれ専用の道具だと、かける金も時間も馬鹿馬鹿しい。

 葉巻とは趣味でもあり、その手間も楽しんでこそ。 ニコチン摂取を目的とした手っ取り早い煙草とは、決して同視してならないものであり、故にその余裕や、些細な事に楽しみを見出す感覚こそが、大人の男を示す要素となっているのだろう。


 そんなものを楽しんでいる暇は無い。


 人生とは一瞬だ。もしや全てが、長い夢であり走馬燈ではと思う程、日々とはまばたきの合間にも過ぎて行く。

 その中でも変わらず、どこでも手に入りいつでも吸える。安い目先の幸せにしがみついてると言われようとも、雪村アベラルドとは、そんな威厳の無い煙草を好んでいた。

 ライターで火を点けようものなら、オイルの臭いで著しく香りが損なわれてしまう。そんな繊細な葉巻とは、彼の人生に似合わない。未だ彼の心は野心に燃え、渇き続けているのだから。


 銜えたラッキーストライクに火を点けて、雪村はゆっくりと話し出す。


「最近北区に入り込んで来た、外部の新勢力トニス・ダウア……。あれは、勢澄会が連れて来たものだ」


 舞台から雪村達を見据える便利屋に、僅かに動揺が走った。


「そもそも、ガスパールファミリーの臓器売買のネタはガセだ。そんな事実ありゃあしねえ。麻薬はあったけどな。資金繰りに困ってたらしい。昔はアルヴァジーレの武器事情を一身に担っていたが、今はかなり自由になったからな。いい商品を手に入れられるパイプは依然、ガスパールファミリーが独占しちゃあいるが、各組織が独自のルートを持ってる。仕入れ先の商人達も、余所に負けたくねえから腕を磨くしな。……もうガスパールファミリー一強の時代は、完全に過ぎ去った。見る影も無く。ただ昔のままに親の威厳を借りて商っていた、ツケが回って来たのさ。――まァギャングってのは、どいつもこいつもろくでなしだからなァ。そもそも長生き出来ねえ生き物だが、それでも上手く渡って行くには、ちっとばかしここが要る」


 雪村は己のこめかみを、右の人差し指でとん、と突く。

 そのゆったりとした振る舞いは葉巻など銜えていなくとも、十分な余裕と圧を放つ。

 その証拠にテニアとブラスコは、表には出さないが緊張していた。


「ザックはまだガキだった。俺みてえなジジイからすれば、ああもちょろいボスはいねえ。俺はこの四大組織で唯一、外から来た身分だ。他の連中にはえパイプもある。例えば向こうのつてで、警察にバレねえよう組の奴をこっそり街の外へ抜けさせ、アルヴァジーレじゃあ流行ってねえが、外では金になる仕事をやって稼ぐとか。生まれも育ちもアルヴァジーレの連中には、こういった事は中々出来ねえ。例えば……。臓器売買とかな」


 便利屋の背中を、少女の眼差しが刺す。

 思わず振り向いた二人の目には、雪村とグレブを、今にも殺しそうな目で睨み付ける少女がいた。


 雪村の威厳など、最初はなから眼中に無い。


 庇いもしていない右腕からは、血が滴り続けていた。


「賢い娘さんだ」


 雪村は肘掛けに右肘を乗せ、その拳で頭を支えながら笑う。


「今時の男よりよっぽど忍耐がある。感情のままに喚かねえ。容赦のえ殺しもクールで最高だ」

竜刻りゅうこくの魔女、だっけ? 知ってたのに教えてくれなかったなんて、旦那も意地悪になったもんだなァ」

「逸るなよブラスコ。お前もさっき、グレブの電話をぶっ切ったばかりじゃねえか。――そのお嬢ちゃんは、勢澄会がやっていた臓器売買の、材料集めに遭った被害者の一人だ。生きて帰って来れたのは、そのお嬢ちゃんが初だろうよ。今日まで直接会った事は無かったが、部下からここいらじゃ珍しい、東洋人の家族がいたって聞いたからよく覚えてる。まさか魔法使いになって乗り込んで来るとは思わなかったけどな。魂消たまげたもんだぜ……。何せ摘出や運搬の為に押さえてた廃墟が、ばったばったと襲われては潰されていくんだからよ。たった一人のノーマークに」


 テニアは呆れを露わにした。


「……つまり自業自得ですか。ガスパールファミリーに罪をなすり付けるようなガセネタを、我々に話された理由は何でしょう」

「その偽の噂が、北区に蔓延していたのは本当だぜ。流したのは無論勢澄会だが、丁度麻薬の密売で内部抗争やってる連中に、追い打ちをかけたかったのよ。ザックの手腕じゃあ、組織を纏めつつ噂を鎮めるなんざ出来ねえと踏んでたからな。麻薬に手を出した時から、あのファミリーは終わってたんだ。あいつの親父はそんな事しねえ。ドグロスは立派なギャングだった」

 テニアは続ける。

「その内部抗争を狙うように現れた、トニス・ダウアと勢澄会の関係は?」

「あれは元々、勢澄会が仲介をやっていた臓器売買で、材料集めや事故に見せかけた誘拐の実行、摘出した臓器の運搬や管理をさせていた、アルヴァジーレ外の人間だ。ギャング未満の寄せ集めチンピラ団って感じだがなァ。ガスパールファミリーが密売してる麻薬を客の振りして買い取って、そこに混ぜ物をしてよく似た別物って事で売らせてた。バックに勢澄会がいる事は絶対の秘密とし、上手く売り上げを出したら組織に入れて、土地も用意してやるって甘言に引っ掛かった馬鹿共だよ。思うようにいかなかったから、お前らに片付けるのを手伝って貰ったが。どいつもこいつも責任感のえ。誰がちんたらしてやがんだって訊いても、組織の事はボスじゃねえとボスじゃねえとってピーピーと。そのボスとやらも、お嬢ちゃんに腹すっからかんにされたようだが。お嬢ちゃんが施設ぶっ潰してくもんだから仕事場が減って、何か代わりにと仕事を与えてはみたんだけどよ……。内戦知らずのガキはこれだからいけねえ」

「自ら手を下された方がよかったのではありませんか? わざわざ私達を介入させても、危険が増えるだけに思えます」

「男にも色々あんのさァ」


 雪村は銜えていた煙草を持つと、煙を吐く。


「その時は丁度外せねえ別件があって、そっちに組を動かしてたから、んな屑共にいちいち構ってられなかったんだよ」

「へえ。そんな大事な時に、外せない別件とは?」


 テニアは挑発的な笑みを浮かべた。


「てっきりあのまま、クラブで飲んだくれていたとばかり思っていましたけれど」

「内緒だな」


 煙草を銜え直しながら妙に愛嬌のある、あの下手なウィンクを返される。


 ブラスコが尋ねた。


「しっかし旦那は、また何で新しい商売に? 中でも臓器売買なんて」

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