第5話 ファッキンホット師の後始末
ジャンクフード、という言葉がある。一般的に、高カロリーで栄養価の低い食品に対して贈られる称号である。
ガラクタのように役に立たない食べ物だからだろうか? 食べた人間の身体をガラクタにしてしまうからだろうか?
その二択はどちらも正しいが、ある意味どちらも間違いである。
今、フードコートの
しかしそれは「おばけ」などという形容すら生ぬるい、冒涜的な食物だった――いや、そもそもこれは本当に食物なのだろうか?
その威容はまるで舌切り雀の化け物
おおよそ人間の食べ物とは思えないその禍々しきオブジェクトを前にして、しかし少女は恐れなかった。
それどころか、彼女は喜んでいる。その肉塊を愛おしそうに両眼に映し、星屑を散らすように輝く視線を送っている!
健康を脅かす魔物が眼前に迫っているというのに、彼女は嬉々としてヨダレを垂らすのだ! 本能から湧き上がる肉欲に心をゆだね、だらしなく物欲しげに口唇を
これが少女のする顔なものか! うら若き14歳の少女が、これから食事をしようという顔であってたまるものか!
しかし、これで誰もが理解したであろう。先に挙げた二択の、どちらもが間違いであるという意味が。
そう、ジャンクフードとは――ひとえに「
※筆者はジャンクフードが大好きです
* * *
紹介が遅れたが、この
彼女がくつろいでいるフードコートは、自宅からほど近いショッピングモールの1階にある。この開放的な空間が彼女に似つかわしくないのは当人も承知の上だが、空腹に堪えかねた彼女はしばしばこの場所を訪れる。
すなわち、彼女のしめやかなイラスト鑑賞を終わらせたトリガーは空腹だった。中途半端な時間に食べた朝食が無遠慮に押し下げたバイオリズム――その歪みが現れたのは午後4時のことである。
もちろん、こと怠惰においては東西に並びなき彼女のこと、朝食と同様に即席ラーメンで糊口をしのぐという可能性も充分にあった。高級カーペットに落としたトーストがバターの面を下にして落ちる確率と同程度にはあった。
しかし幸か不幸か、神のサイコロが2D6でファンブルだったのか、あるいは先週末も3食ラーメンだったのが響いたか、彼女は外出の決断をした。
例の黒Tシャツの上にパーカーを羽織り、沙ひ子は街へ繰り出したのだ。起き抜けの服装がこれだけで街歩きスタイルに変わるのだから、パーカーは七難を隠すと言っていいだろう。パーカーの馬鹿でかいドクロ模様が一難プラスしているのは誤差の範囲だ。
フードコートを訪れた沙ひ子は迷いなくバーガーショップ『コッテリ屋』へと足を運ぶ。生憎と彼女はそれ以外の選択肢を持ち合わせていない。
外食とはアウトドアの一種であり、人間にとって不要な営みの代表格である。そんなわけでファミレスの看板を見れば取りあえず耳垢を投げつける程度には外食文化を嫌悪している沙ひ子であるが、コッテリ屋だけは別だった。
このバーガーショップの味付けは常人に対しては拷問として機能するが、味蕾をヤスリでこそぎ落としたとしか思えない沙ひ子の舌にはよく馴染むのだ。素人には介入できないジャンキー界の頂上決戦といえよう。
バベルの塔かと見まがうほどの高度と傲慢さを兼ね備えるその異形を前にして、さすがの沙ひ子も一時逡巡する。
無理もない、この手のハンバーガーの主な購買層は食の太い成人男性だ。それに対して彼女は大柄でも肥満体型でもない、ごく普通の女子中学生である。
しかし沙ひ子とて、女である前に一人の戦士だ。敵前逃走の恥を晒すぐらいなら自死を選ぶ、誇り高き姫騎士だ。
バーガーなんかに絶対負けない! 彼女は意を決して、脂質の悪魔にその手を伸ばす。
沙ひ子は両手の五指を精一杯に開いて、ハンバーガーを持ち上げた。食われる者の最後の抵抗か、灼熱のチーズが彼女の指を苛む。
しかし高ぶった彼女のテンションはもはや痛みも恥じらいも遮断していた。口角から滴るヨダレを拭いもせずに、大口を開けてハンバーガーにかぶりつく!
刹那、彼女の両眼がハッと見開かれる。
「んほおおおおおお!!」
彼女は敗北した。
その圧倒的な味覚の暴力に対し、彼女の理性はどうしようもなく無力だった。もはやその胸に姫騎士の矜持など一片も残っていない。
油分と塩分、そしてスパイスが、彼女の舌を陵辱し、蹂躙し、完膚なきまでに冒し尽くした。脳細胞の隅々にまで電撃が走り、思考能力を奪われていく。
一口目が喉を通り過ぎ、やっと舌先も醒めるかと思ったところに二口目、三口目――。彼女は取り憑かれたように、ハンバーガーを口内に運んでいく。
彼女を責め立てるDrasticな味覚の波は、一口ごとに強く、激しくなっていく。しかし彼女はそれを拒めない。いや、拒もうともしていない。すでに彼女は正常な判断力を失っていた。
火傷で痛む舌すらも、彼女の目を覚まさせてはくれない。視界に火花が飛び散るほどの激烈な快楽を前にして、脆弱な彼女は為す術もなく堕ちていく。
もっと痛めつけてほしい、もっと感じさせてほしい――ハンバーガーに懇願するその精神に、もはや姫騎士の面影はない。鼻息を荒げて餌を貪る、ただ豚のように下賤な獣性があるだけだ。
哀れなことに、彼女にはそんな自分を省みる心すらもうないのだろう。終わることなき味覚の螺旋階段を、彼女は転げ落ちるように下っていくのだった。
せめて彼女にもう少しの自我が残っていたのなら、こんなことにはならなかったはずだ。周囲から自分に向けられる冷たい視線に、気づけたはずだ。
昼時は過ぎていても休日のフードコートが無人であるはずはない。老若男女がまばらに座り、思い思いの時間を過ごしていた。
彼らはいきなり響いた少女の嬌声に戸惑いながら、怖い物見たさという好奇心もあり、目を合わさないようにちらちらと様子を伺っている。その少女の身に何かあったのかと案じた者も中にはいたかもしれない。
しかし、彼らの目に映ったのは、人ならざる何かであった。少なくとも、彼らの辞書にある「人間」はそんな醜い食べ方をする生き物ではなかった。
だから、彼らはまるでゴミでも見るかのように――そのゴミを見ていた。
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