第4話 イラストサイトはコンクリ山羊の夢を見るか?

 布団にうつ伏せになった沙ひ子が、足をパタパタさせながらノートパソコンを操作している。


 彼女がブックマークバーをクリックすると、画面に現れたのは無数のイラストたちだ。ここは大手イラストサイト「ピクシー部」の新着欄。美麗な力作から戯れのネタ絵まで、様々なイラストが見る者を楽しませる。

 しかしデジタル世界の儚さか、沙ひ子がタグ検索を実行すると電子の画廊は再構築され、その様相が一変した。画面を覆うサムネイル群が、一人の半裸の男性を描いた奇妙な作品たちに置き換わっていく。


 その引き締まった筋肉美を隠すのは、サスペンダー付きの黒ふんどしのみだ。それと対照的に、顔面は鈍色の鉄仮面で覆い隠され、表情ひとつも窺い知ることができない。しかもその手に握られた長大な剣の醸し出すアンバランス感が、見る者をさらに混乱させる。

 正視するだけで正気を蝕まれそうなこの男の名はバラモン・ナイト。人気コミック「Trail Glass Eater」のキャラクターだ。

 元々は1エピソード限りのサブキャラだったが、絶対に夜道で出会いたくないその風貌と意外にも紳士的な立ち振る舞いに多くの女子が魅了されて人気沸騰。主人公たちを陰から支える重要キャラクターとしてその後も登場することと相成った。


 実は沙ひ子もそんなファンの一員だ。だからこのようにイラストサイトでファンアートを眺めては惚れ惚れとして溜息をついたりする。バラモン・ナイトのチャームポイントはサスペンダーで乳首が隠れてるところだよね、などと親しくもない知人に熱弁を振るってドン引きされたのも記憶に新しい。

 ちなみに沙ひ子が今いるこの部屋にも彼のファングッズがある。一体どこにあるのだろうか、想像して頂きたい。

 ――正解は天井。布団の真上にある天井だ。頭上で悠然と剣を構えるふんどし仮面男と正対しながら寝るだけでも正気を失いそうなものだが、何の問題もなくそれをやってのける彼女はきっと元から正気ではないのだろう。


 彼女は何も「Trail Glass Eater」のみのファンではなく、色々なマンガを読んでいる。本棚を左下から無造作に埋め尽くす背表紙たちはそのまま彼女のマンガ遍歴の年表だ。

 そんなマンガ本への情熱が、自らも絵を描きたいという衝動に変わった経験もないわけではない。しかし努力家とはほど遠い彼女であるから、練習がてらキャラの眼だけをノートに描いては放置を繰り返し、いつの間にやら紙面は目々連もくもくれんの様相を呈す。そして妖怪絵師の道を志すわけでもない彼女は、ノートを机の奥にしまったまま全てを忘れてしまうのだった。

 結局のところ、マンガ本を読み漁ってはイラストサイトでファンアートを眺める、そんな享楽的なサブカル人間に成り果てたのが沙ひ子なのである。


 しかし、そうは言っても、沙ひ子とてキャラクターのイラストだけを見ているわけではない。彼女にはもう一つ、意外な嗜好があるのだ。

 沙ひ子が次にタグ検索欄に入力した言葉は「風景」だった。色とりどりの情趣を内に秘めたサムネイルが、画面いっぱい匂うように並ぶ。幽玄な世界、賑やかな世界、広陵とした世界、閉ざされた世界――様々な世界観が、沈黙を守ったまま彼女の心を誘い込んでくる。

 沙ひ子は風景のイラストを眺めるのが好きだった。情趣に富んだ風景を見ていると、心が透き通っていくような心地よさを感じるのだ。彼女にそんな感性があったという事実は学会の定説がひっくり返るほどのブレイクスルーに違いないが、事実なのだから仕方ない。


 並び立てられたサムネイルの中で、マウスカーソルは迷いながらも一枚の絵に引き寄せられていく。紫色の濃淡が四角く凝縮されたその絵を、クリックして拡大してみると、露わになったその全貌に彼女の心は打ち震えた。

 それは引き込まれるような結晶だった。紫色に透き通りながら、光を反射する無機質な輝きを帯び、柱状の形をした結晶の集合。しかし全体として見ると木々のような形が現れ、紫水晶の森が見る者を誘い込む。


 ――キレイだなあ。私の世界も、こんな風だったらいいのに。


 沙ひ子はうっとりととろけたような視線を、画面に注ぎ続けた。心の中まで透き通るような感じがして、それと反対に身体は熱を帯びていく。

 彼女の身体は自然と動いていた。下半身――特に臀部が左右に揺れるのは、彼女が感動するときの癖のようなものだ。布団からはみ出した両足の爪先は、震える心に抗うかのようにピンと伸びきっている。

 沙ひ子の呼吸は、まるで苦しんでいるかのように荒くなっていた。事実、彼女は好みの絵を見つけたときには胸が締め付けられるような苦しさを感じる。

 だが、その感覚が好きだった。沙ひ子にとっては、その苦しさを楽しむことも絵の楽しみ方のひとつだった。


 しばらくその絵を眺めながら、やがて呼吸が落ち着いてくる頃に彼女は次の絵を探す。再びサムネイルの一覧にマウスカーソルをさまよわせるのだ。

 彼女はその行為を何度も繰り返し続けた。彼女の気が済むまで――というより気が済むことのほうが稀なので時間が許す限り、この儀式めいたイラスト鑑賞は終わらない。


 どうして彼女は、こんなに恥じらいもなく口の端にヨダレを輝かせることができるのだろう? 画面の中の輝きに対抗する心が、液体となって口から漏れ出ているのだろうか?

 うら若き14歳の女子中学生が、徹夜明けの小説家のようなだらしない顔をしながら、芋虫のように身体を揺すっているその光景は、なんというかまあ描写に堪えない痛々しさが漂っていた。

 頭上から彼女を見下ろすバラモン・ナイトも、心なしか居たたまれない表情だ。表情ないけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る