第3話 ああ無動〔レ・ミセラレタモンジャナイ〕
世の中には、人間観察を趣味とする人間がいる。
だったら鏡でも観察してれば? という暴言はひとまず飲み込むとして、人間なんて観察して何が面白いのだろうか。彼らの言い分を聞いてみよう。
では、そんなストーカー気質の彼らに、沙ひ子の休日を見せたらどうなるだろう? おそらく誰もが前言を撤回するか、あるいは「彼女は人間ではない」という珍裁定が下るに違いない。
賢い人はすでにお気づきのことだろう――そう、沙ひ子の休日を観察するという行為は、吐き気がするほど退屈なのだ!
何と言ってもこの14歳は、行動に変化がない。
寝る、食べる、ネットを見る。この3要素で1日の全てを構成してしまうのだから見上げた根性だ。
オモチャ屋で売っている卵型の育成ゲームよりも行動パターンが少ないとあっては、彼女が人間かどうかを疑いたくなる気持ちも分からないでもない。
しかし先に述べた通り、
――人類の尊厳の平均値をみだりに下げるな、という苦情は最終話までしまっておいて頂きたい。
さて、沙ひ子の三原則とでも言うべき3種の行動パターンのうち、彼女はすでに「寝る」と「食べる」のカードを切った。
しかしここで、残りの1つが次に来ると言い切れるだろうか? 考えなしに消去法で彼女の行動を予測していいものだろうか?
――いいのである! 期待を裏切り、予想は裏切らない、それが沙ひ子の沙ひ子たる
そもそも、彼女が心理戦のできる人間に見えるだろうか? 鍋に残ったスープを直飲みしようとして唇を火傷している彼女が? 鼻の頭に付着したスープを舌で舐め取ろうとしている彼女が?
ここまでくれば分かっただろう、休日の沙ひ子は裏表のない人間である。だから、彼女の着ている黒無地のTシャツが裏表逆であることについても、何ら問題にはならないというわけだ。
少し薄暗い部屋に踏み入ってカーテンを開けると、穏やかな秋の陽光が射し込んできた。物静かな家具たちも、ゆらゆら漂うホコリの粒子も、うっすらと琥珀色をした陽ざしの中に浮かび上がる。
沙ひ子の部屋は六畳間の和室だ。畳の上に幾度もこぼされた飲み物たちは、時の魔法にかかって濃淡様々なまだら模様に変化し、そこはかとないポップアート感を匂わせている。
無造作に敷かれた万年床の布団の下には、未だ日の目を見ない新鮮な畳があるはずなのだが、それはそれでパンドラの
南東の角部屋なので、東側の窓からも明かりを採れば多少はパリピ味のある空間になるのだろうが、やんぬるかな、東の窓は本棚が覆い隠している。
それが沙ひ子の閉ざされた心を表しているのか、あるいは天の岩戸隠れの再現なのか、はたまた背の低い本棚にマンガ本を集めていたら収まりきらなくなったから何も考えず上に増設した結果なのか……。
真実は神のみぞ知るところだ。
神「そういう無茶ぶり、良くないと思う」
沙ひ子はホコリっぽい部屋の中を歩き、机の上に手を伸ばした。使い古した勉強机の上にあるのは、銀白色のノートパソコンと、平積みされた教科書ノートの摩天楼だ。
摩天楼にうっかりと肘をぶつけて突き崩す沙ひ子を見るとやっぱりゴジラの亜種ではないかと
その金属光沢を見下ろしながら、彼女は人知れずほくそ笑む。
何のことはない、メタリックな質感にやたらと憧れを抱く年頃なのだ。ここはひとつ彼女の意を汲み、最大限の敬意とリスペクトを持って、このノートパソコンをメタリック軍曹と名付けよう。
沙ひ子とメタリック軍曹は小学生の頃からの付き合いだ。もう扱い方も心得ている。
まずはメタリック軍曹の横っ腹を片手で掴み、疾風のごとく全身を旋回。ハンドボールのラテラルパスの要領で勢いそのままに投げ上げた。錐もみしながら放物線を描くメタリック軍曹は、遠心力にその身を開かれながら枕元に落下。
キマった、ベストポジション! ヤクでもキメてるのか? しかし沙ひ子の心に油断はない。部屋の入り口から布団を鋭く見据え、短く助走をつけて――彼女の身体が、宙を舞った。
大巨人アンドレのボディープレスを彷彿とさせるその跳躍は、盛大にホコリを巻き上げながら
こんな行為を長らく続けている沙ひ子であるが、今のところメタリック軍曹が壊れる気配はない。かがくのちから、実際スゴイ。
首への負担を軽減するため、胸の下に枕を配置しているあたりは計算高い。しかしそんなことをしたら胸が圧迫されて苦しいのでは? という疑問は彼女の体型を鑑みると語るに忍びないので、未解決問題に列席させてしまえ。胸躍らせるほどの話ではないが、少しは期待に胸が膨らむだろう。
沙ひ子は全身を弛緩させ、タッチパッドを指でぐりぐりさせながらネットの海へ漕ぎ出した。ネットサーフィンと呼ぶにも及ばない、せいぜいネットボディーボードぐらいの勢いである。
しかしこれこそが、彼女にとって至福の休日の過ごし方なのだ。安心しきったふくらはぎの描く伸びやかな曲線が、彼女がどれだけ長くこの生活を続けてきたか物語っている。
きっと彼女の生活を「人間の怠惰な心を表した現代アート」と称して美術館で実演させたなら、人間観察を趣味とする御仁たちが小銭を落として下さることだろう[要出展]。
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