第2話 孤島のグルメ


 沙ひ子は我が家に、一人取り残された。一人であり、独りである。ヒトリシズカの花言葉は「隠された美」。ちなみに彼女の下唇には口内炎が隠されている。

 つまるところ彼女は、孤独を愛し孤独に愛される人間であった。

 普段は動かないくせに、独りになると意味もなくアキレス腱を伸ばしたり、バランスボールを蹴飛ばして足首を痛めたりするのだ。言っているそばからハイキック――ハイじゃないが――を披露してテーブルの角にかかとをぶつけているのだから手に負えない。


 なぜこんなにも、孤独は沙ひ子を熱くさせるのか? 何かそういう特性の新素材なのか? いや違う、沙ひ子に備わった開拓者精神スピリットがそうさせるのだ。

 数時間前に人跡も絶えて久しいこの部屋は、言うなれば先史文明の遺跡である。未発見の遺跡を目前にして引き返せる考古学者がいるだろうか? 少なくともここに考古学者はいない。


 しかし早くも探検野郎の魂を宿してしまったイタコ体質の彼女は、そろそろと部屋の中を物色し始めた。罠を警戒して身を低くするその姿は、さながら空腹の熊か、あるいは空腹の熊である。

 窓の外に見える騒がしい子供たちは、きっと未開人の集団だろう。うんこちんちんという不思議な言語を話しているのがその証拠だ。もしも彼らに捕まりでもしたら、ハンドスピナーと呼ばれる謎の狩猟武器を用いてアキレス腱を切断されかねない。

 そんな危険を潜り抜けて台所へと辿り着き、戸棚を開けようと手を伸ばす沙ひ子。ここで後ろを振り向きイマジナリーフレンズに一言。

「罠に気をつけろよ、ジョーンズ博士!」

 じゃあこいつは誰のつもりなんだ?


 今ひとつ設定のあやふやな茶番を終えて、覗き込んだ戸棚の中には種々雑多な遺物たち。お菓子の箱かな? と思って手に取ったものは、ゴキブリ用の毒餌だった。これは流石に同情に値するかもしれない。

 そして次に彼女が掴んだのは、即席ラーメンの袋だった。未知の保存技術に守られた謎多き食品――世に言うところのオーパーツである。

 こうして彼女は険しい冒険の果てに朝食を手に入れたのだ。刻限にして既に11時半のことである。


 シンクの下から鍋を取り出す音が、ガチャガチャと序奏を刻む。指揮者沙ひ子によるご機嫌な朝の音楽が始まった。

 鍋底を叩く水道水がドラムロールを鳴らしたかと思えば、コンロの点火がリズムを刻み、燃える火の音が間奏を繋ぐ。さても続いてビニール包装を開く音、麺の塊が水面を叩く音、いつの間にやら歯磨きの音のノイズも混じり、噴きこぼれる熱湯の音が終奏を演じた。

 最後に沙ひ子のシャウトが聞こえたので、ジャンルは多分ロックだったのだろう。


 水浸しになったコンロは見なかったことにして、茹で上がった鍋にスープの素を振りかける沙ひ子。少しでも濃い味付けにしたいらしく、ほぼ空になった袋を指で叩いて粉末を追い出しているようだ。最後の一振りは、せつない。

 こうして出来上がった即席ラーメンは、鍋に入ったまま食卓に供される。沙ひ子は即席ラーメンが好きだ。大好きだ。盛り付けをせずに鍋のまま食するというワイルドなスタイルが、無人島で生活するロビンソンのような気分にさせてくれる。


 舌先で麺の熱さを軽く確かめた後、一気に麺をすすり込む。そして塩辛い麺を嚥下えんかし、ほうっと口から湯気をはきながら、彼女はこう思うのだ。

 ――救助の船はまだ来ないのかなあ。故郷の両親はどうしてるだろうか。

 こうなった彼女はもうどうしようもない。心の底までロストインブルーだ。ちなみに両親はそろそろ山頂で昼食を取っている頃である。

 くして沙ひ子は、無人島のロマンで胸を満たしながら、無人島にあるはずもないラーメンで腹を満たすのだった。

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