コラージュ・コンプレックス

鬼童丸

第1話 朝来夢見時〔アサキユメミジ〕


 桐鳥きりとり沙ひ子さひこの休日は、読んで字のごとく休みの日である。


 世の中の人間というのは、とかく休日に休まない生き物だ。むやみに外をほっつき歩き、やたらと娯楽に気力を尽かし、挙げ句の果てには知人と会って会話のリソースを浪費する。いい大人にもなって「休む」という言葉を辞書で調べたこともないような、蒙昧もうまいな人間のなんと多きことよ!

 しかし、この少女は違った。弱冠14歳にして「休む」の何たるかを理解し、あかつき黄昏たそがれも覚えぬ惰眠だみんに休日の半分以上を費やす。それが沙ひ子という人間だ。


 そして今まさに、沙ひ子の壮大なる土曜日が、巨大なる欠伸あくびを合図に目覚めようとしていた。破綻したCGモデルでも見ているかと錯覚するほど大きく開いたその口は、あらゆる人間の活力を吸い取ろうとしているのだろうか。

 信じられないかもしれないので重ねて言うが、彼女はどこにでもいる14歳の女子中学生であり、低く見積もっても人間である。決してゴジラの亜種やキングコングの親類ではない。


 彼女の目覚めは、お世辞にも早起きといえるものではなかった。南向きの窓からはカーテン越しの光が射し込み、健気けなげにも朝の訪れを過去形で告げようとしている。枕元の本棚でカチコチと秒針を鳴らす置き時計も同様だ。

 しかし悲しきかな、無慈悲な沙ひ子がカーテンを開けることはなく、時計に目をやることもなかった。彼女に言わせれば、時間を気にするなんてカップラーメンを作るときだけで充分なのだとか。


 そして、沙ひ子は、そのまま動かなくなった。せんべい布団で上体を起こし、薄目を開けたまま虚空を見つめて不動の姿態。時を軽んじ続けた沙ひ子はついに、時の女神から見放されてしまったのだろうか。

 いや、時の女神もそこまで短気ではない。これは二度寝をしようかと考えている顔だ。睡眠時間の限界に挑む求道者の眼光だ。いっそ永眠してしまえ。


 彼女が決断を下すまでの間に、部屋の隅でタオル掛けと化していた姿見の鏡を通して、沙ひ子の哲学的な横顔を観察してみよう。まずは薄目を開いた眠たげなまなこ。生気がない。ぽかんと開いた口のから覗く八重歯。可愛げがない。無駄に毛先を散らしてホウキのようになった茶髪。手入れが足りない。

 服装はといえば寝間着と部屋着と外出着を兼ね備える万能の黒Tシャツ。そして掛け布団の下に隠れたアウターはやはり一着三役のカーゴパンツだ。

 なんと潔きことだろう、その全身から薫り高く漂う怠惰たいだの罪業! 冥府の鏡は死人の罪を映すというが、彼女ほどにもなればどんな鏡にも罪が映るらしい。


 そしてついに審判の時は来た。今まで躊躇っていた彼女の足が、すっくと布団を踏みしめる。1日に数回しか見られないと言われる沙ひ子の起床だ。椿事ちんじである、拝むべし。

 さすがに眠るのも飽きたのだろう、沙ひ子は粘っこい唾液を口内で弄びながら、階段を下りて居間に向かった。やけに静かな家の中に、廊下の床板のきしむ音が大きく響く。


 居間の扉を開けるその時まで、沙ひ子はすっかり忘れていた。今日は両親と弟が、早朝のうちから登山に出かけているのだ。やれ登山、なぜ登山。限られた体力を無意味な位置エネルギーに置換するその行為は、言うまでもなく休日への冒涜である。


 ――ああ誰もいない。この世界は滅びてしまったのかもね。


 沙ひ子の締まりのない口角がニヤリと吊り上がる。

 どうやら彼女にとって、家の外は別世界に該当するようだ。

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