Page5-『スズメと一緒に帰らない』


 どうして藍沢夕里は、いまだ昼休みを生徒会室で過ごし続けるのでしょう。

 もう彼女には、貴重な休み時間をスズメの世話で潰す必要もないはずなのに……。


 つい、3日前のことです。

 いつものように、私は昼休みを過ごそうと生徒会室へ向かいました。

 すると、そこにはすでに夕里がいたのです。私の姿を見つけると、夕里はぱっと笑顔になって言いました。


「……リリィ先輩! この子、すっかり良くなりました」


 きっと自分で作ったのでしょう。牛乳パックにガーゼを敷き詰めた小屋の中には、数日前の弱々しさはどこへ行ったのか、元気にピィピィ暴れまわるスズメがいました。

 特に何も感じませんでしたが、さすがに無視するわけにもいきませんので、私はぼそりと「よかったわね」と呟いて、席に着こうとしたのです。


 ところが夕里が、私の腕を掴みます。

 私は驚いて動きを止めました。すると夕里は、まるでヒマワリのように笑うのです。


「一緒に、この子を自然に返してあげましょう」


 たぶん私は、嫌だと答えたのだと思います。

 面倒だとか、寒いだとか、適当な理由を並べ立てて……ですが夕里の方が、少しだけ押しが強かった。

 すぐ終わるとか、マフラーを貸すからとか、適当な返事で丸め込まれて……結局私は、その日も貴重な休み時間を、まるまる夕里と過ごすことになったのです。


 向かった先は屋上でした。

 余談ですが、私の通う高校では基本的に屋上への出入りが禁止されています。ところが夕里は天文部も兼部していて(この時はじめて知りました)、例外的に屋上への出入りが許された生徒だったのです。


 乾いた風の吹き抜ける、冬晴れの昼でした。

 私は夕里に借りたマフラーを首に巻いて、ぼおっと彼女の様子を眺めていました。昔から幾度となく動物と触れ合ってきたのでしょうか。夕里は慣れた手つきで箱を取り出し、指先にちょこんとスズメを乗せて空を見上げます。


「リリィ先輩」


 夕里は私の名を呼んで、手のひらを出せとジェスチャーします。

 私は嫌だと言いました。ところがここでも夕里の方が少しだけ強引で、私の手を取ったかと思うと、パラパラと小さなパンくずを乗せたのです。


 パンくずを見つけたスズメは、パタパタと小さく羽ばたきながら、あっという間に私の手に乗り移ります。

 おもちゃみたいに小さなその鳥は、クチバシを使って器用にパンくずを啄ばんでゆくのです。くすぐったいような、痛いような、なんとも言えない不思議な感覚を手のひらに覚え、私は思わず身を固くします。


「あんまり緊張しなくて大丈夫ですよ」


 まるで私の心を見透かしたかのように夕里は言います。

 私は思わずむっとして、少し食い気味に言い返します。


「緊張なんてしてないわ、スズメごときに」

「そうでしたか」

「そうよ。だって私には心がないもの」


 私が答えたとたん、夕里は「ふっ」と空気の抜けたような音を出しました。

 たぶん、笑われたのだと思います。

 一体何がおかしいというのでしょう。私は事実を言っただけなのに。

 なんとなく不愉快だったので、私は夕里のことを睨みました。すると彼女は慌てたように目を逸らして、


「ふっ……と。最近、腹筋鍛えてるんです。こんなふうに……ふっ」


 などと言い訳じみた独り言を呟きながら、私の手からスズメを引き取り、空に向かって放り投げました。

 夕里の手を離れたスズメは、ほんの一瞬、世界の広さに戸惑うような動きを見せましたが、すぐに自分自身の翼で風を掴み、スイスイと大空へと羽ばたいてゆきます。

 その様子が妙に清々しかったので、ふっと脳裏に浮かんだ、夕里を暗殺してしまおうなどという物騒なアイディアは、無期限に保留にしておくことになったのです。


 ……と。ここまでが、3日前の出来事です。

 まあ思い出しながら書いていますので、細かな言葉、ニュアンスなんかは違うかもしれないのですが……でも2つだけ、はっきりと覚えていることがあります。

 

 スズメの体はふんわり温かくて、夕里のマフラーからは、ほのかな柔軟剤の香りがしたという事です。



 そんなこんなで、あのスズメは大空に帰ってゆきました。

 ですが夕里は帰りません。

 2日前も、昨日も、今日だって、ずっと生徒会室に居座り続けているのです。

 夕里は、生徒会庶務としての仕事をしているようでした。真面目に、丁寧に、雑用としての仕事をこなしてゆきます。

 昼休みまで仕事をしなくていいのに、と私が言うと。


「でも、先輩はやってるじゃないですか」


 ぽかんと口を開けて夕里は答えます。


 これには参りました。やはり夕里をはじめとした大勢の人々は、私が真面目に仕事をしているとすっかり誤解しているのです。

 まあ基本的に私に損はないですし、否定するのも手間なので放っておいているのですが……夕里を追い出す口実がなくなってしまいました。


「いいえ、私はサボってるだけ。休むのに邪魔だから、仕事するなら出て行って」


 ……なんて言えるはずがありません。私は殺人鬼ですが、筋は通す殺人鬼なのです。


とにかく解決策が見つかるまで、しばらく夕里との日々は続くことになりそうです。

 不本意ですが、仕方がないですね。キラキラ眩しいあの子は少し鬱陶しいですが……嫌いでもないので許すことにしましょうか。



 ――そういえば、もう1つ。

 今日、とても興味深い出来事がありました。


 詳しい事は次ページに書こうと思うので割愛しますが、このたびの事情をひとことで説明しますと……。


どうやら私は“ラブレター”を、いただいてしまったようなのです。


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