Page2-『昼休みの想定外』
私はいつも、生徒会室で昼休みを過ごします。
休み時間の教室というものは、ガヤガヤと騒がしく、どこか落ち着かないものだからです。
楽しそうな笑い声、中身のない会話、誰も聞いていない校内放送、お弁当の咀嚼音……ゴチャゴチャと様々な音が混ざりあって、私の静寂を侵してゆきます。
私の通っている高校はいわゆる進学校で、生徒たちの常識や行動のレベルは比較的高い水準にあるのですが、それでも休み時間というものは騒々しいものなのです。
……少なくとも、私にとっては。
だからリリィ・ホロロフは、いつも生徒会室で昼を過ごします。
生徒会室のドアを開けると、ひんやりとした空気に包まれます。北向きの部屋はいつも薄暗く、冬はとても寒いのです。
私は照明を点けません。ストーブの電源も入れません。
仄暗き冷たさに包まれて、私は1人、パイプ椅子に腰かけます。
錆びた椅子がキィと苦しそうに軋みます。その僅かな音がゆっくりと静寂に溶け込んで無になるとき、私は自分がこの荒んだ部屋の一部になれたように錯覚し、そしてやっと落ち着けるのです。
私は椅子に腰かけたまま、ぼんやりと窓の外へと目を遣ります。
今日は雨でした。霰のように冷たい雨です。
私は大粒の雨を目で追いながら、かつて雨の日に殺したターゲットたちに想いをはせます。
私はあまり力がある方ではないので、殺害にはいつも薬を使います。
とはいえ毒薬ではなく、強めの睡眠薬が多いのですが。
だから私にとって一番の武器は、決して薬というわけではないのです。
私の武器は、自分自身の外見です。
か弱く、善良で、可愛らしい少女――それが私、リリィ・ホロロフが他人に与える印象です。
だからターゲットは、まるで警戒することなく私と2人きりになり、まんまと薬を飲み干します。
そしてぐっすりと深い眠りについた彼らは、何も知らずにこの世に別れを告げるのです。
――ぴぃ。
かすかな物音を耳にして、私は現実に引き戻されます。
一体何の音でしょう。私は顔を上げ、ゴチャゴチャと物の詰まった生徒会室を眺めます。ぴぃ。また音がしました。ぴぃ。弱々しい、動物の鳴き声のようでした。
私は腰を上げ、出入り口近くの戸棚を覗き込みます。どうもその場所から、音が聞こえてくるような気がしたからです。
それは、柔らかなタオル地のハンカチに包まれていました。
すっぽりと包まれているので中身は全然見えないのですが、ぴぃ、ぴぃ、と小さな声がひっきりなしに聞こえてくるのです。
私はそっと、その物体を手に取りました。
ふくふくの茶色い羽毛に包まれた、小さな頭が覗きます。スズメでした。随分と弱っているのか、細い震えが手のひらに伝わってくるのが分かります。
私はじっと、その小鳥の目を覗き込みました。
スズメの目は人間と違って、そのほとんどが黒目です。
生きている人間の目はギラギラとして不気味なものですが、このスズメに関しては不思議なことに、生きているというのに不気味な輝きを放ちません。
私はふと、強い興味を覚えました。
この子、どんな味がするんだろう。
私は小鳥を持ち上げて、しばらくの間目を見つめ、そしてビーズのように繊細な眼球に、そっと舌を這わせます。
スズメは驚いたように、ぴ、と声を上げました。
すると、その時です。
ガラッと生徒会室のドアが開いて、外から誰かが勢いよく入ってきました。
私は慌ててスズメから舌を離し、その“誰か”に目を向けます。
「あっ、リリィ先輩……」
その人物はすっかり驚いたような顔をして、私と小鳥を眺めています。
快活そうなショートカットが印象的な、小柄な女の子でした。
私は彼女のことを知っているし、彼女も私のことを知っています。
だって私は生徒会長で、彼女は生徒会執行部が有する、たった1人の1年生なのですから。
昼休みにこの場所へ私以外の誰かが来るなんて、初めてのことでした。
私は少しばかり動揺して、そしてつい、うっかり口走りました。
「鳥」
それから私は後悔します。鳥。この単語に続く言葉を考えていなかった……。
その少女――藍沢夕里はぽかんとして、私のことを見上げています。どことなくスズメに似た黒目がちの瞳が、不思議そうに私の目を見つめています。
そして私は気まずい沈黙を埋めるように、心にもないことを呟くのです。
「……可愛いわね」
その言葉を聞いた夕里は、とても嬉しそうに頷きました。
そして夕里は話しはじめます。朝スズメを発見した時の状況や、怪我をしていてかわいそうだと思った事、治るまで保護しようと考えたけれど、家では飼えないから生徒会室に連れてきてしまったこと。
この部屋で私のしていたこと、考えていたことなんて夕里には知る由もないのです。
だから私は興奮気味の夕里の話を、特に否定することなく聞き入れます。私はどうしようもない殺人鬼ですが、一方で普通の女子高生でもあるのですから。
「リリィ先輩って、お昼休みは生徒会室にいるんですね」
一通りの経緯を話し終えると、夕里はそんな事を呟きます。何か重大で素晴らしい事実を手に入れた、と言わんばかりの調子でした。
そしてすたすたと部屋の奥へ歩いてゆくと、私がわざとつけていなかった電気とストーブのスイッチをばちんと遠慮なく入れるのです。
「こんな寒い所にいたら、風邪ひいちゃいますよ」
薄暗い部屋にあかりが灯り、橙色のストーブの光が、ぎこちなく小鳥を抱いた私の姿を照らしだします。
こんなふうに藍沢夕里は、半強制的な温かさをもって、穏やかに冷え切った私の世界を侵しはじめてゆくのでした。
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