Page1-『私に関する3つのこと』
――さて。
タイトルのないこのノート、さっそく今日から書きはじめようと思います。
とはいえ、何から書けばいいのでしょうか。
あまり悩んでも仕方がないので、まずは素直に、今日1日の出来事でも書いていこうと思います。なんの捻りもありませんね、ごめんなさい。
私、リリィ・ホロロフの1日は、目覚まし時計のアラーム音で始まります。
わけあって1人暮らしをしているので、起こしてくれる人がいないのです。
昨晩、畳の模様であみだくじをしていた影響でうっかり夜更かしをしてしまいましたので、布団から出るのは一苦労でした。
ごろんごろんと布団の上で転がりながら、時間にして10分ほど脱出できずに苦戦しておりましたが、ついにゴロゴロっと勢いよく畳上に転がり出ることに成功しました。
これが二段ベッドだったら、落ちて怪我をしていたことでしょう。せんべい布団に感謝。そこで時計が目に入り、私は慌てて飛び上がります。
時間がなかったので、朝ご飯は食べませんでした。
そのせいで、午前中の授業は上の空。全然耳に入りませんでした。窓の外は快晴でした。グラウンドでは、どこかのクラスがサッカーをやっていて、先生のネクタイは青のストライプで……。
……うーん、やっぱり、とりとめがないですね。
もう止めにします。先生のネクタイの柄なんて、心底どうでも良い事実ですから。非常に勝手な物言いですが、先生のせいで時間を無駄にしたように思えてなりません。
もう少し、重要な部分に焦点を絞ることにします。
リリィ・ホロロフという人間に関する、3つのキーワードについて。
――ひとつ。
リリィ・ホロロフは普通の女子高生ですが、人には言えないアルバイトをしています。
今日、隣町の高校で、1人の男子生徒が無断欠席をしたはずです。
南条くんという名前の17歳の少年です。彼はもともと素行が悪く、日常的に無断欠席を繰り返すような不良でしたので、きっとまだ誰も心配などしていないでしょう。
忘れた頃にひょっこり帰って来る、なんて思われているのだと思います。
断言しましょう。南条くんはもう、二度と帰って来ることはありません。
だって彼はもう、死んでいるのですから。
酸で溶かされたかもしれませんし、骨まで砕かれ海に撒かれたかもしれません。 詳しい死体の処理方法などは知る由もありませんが、でも、彼にとどめを刺したのは他ならぬ私です。
金銭トラブルだったと聞いています。
詳しい事情には何の興味もないので、それ以上の事はなにも知りません。とにかく組織に依頼が来て、私が応じた。たったそれだけの関係です。本当に、極めてあっさりとしたものです。
死体の処理は、専門の業者が担当してくれます。
私たちが“お掃除屋さん”と呼んでいる、死体遺棄のプロ集団です。
彼らに死体を引き渡して、それと引き換えに私は“報酬”を貰います。
そして暗くなる前に、私は家路につくのです。
――ふたつ。
リリィ・ホロロフは普通の女子高生らしく、委員会というものに入っています。
前述したアルバイトですが、実は、金曜日はお休みを貰っています。
金曜日の放課後は、所属する委員会の活動日だからです。
『生徒会執行部』
それが、私の所属する会の名称です。私はそのトップ、つまり生徒会長の立場に君臨しています。
残念ながら、これといった権限はありません。
例えば勝手に校則を変えたり、部活を廃部にしたり、そういった事は出来ません。当然と言えば当然ですが。つまりは生徒会なんて、ちょっと聞こえがいいだけの雑用です。
ですが私は、案外この組織の事が気に入っています。
特に気に入っているのは、生徒会室の存在です。これは、あまり目立つことを好まない私が生徒会を志した決定打であり、学園のオアシスとも呼ぶべき素晴らしい存在です。
生徒会役員になれば、この6畳ほどの部屋を自由に使って構わないのです。放課後はもちろん、昼休みや、始業前まで……まあ、活動時間外に生徒会室を使っている物好きなんて、私ぐらいのものなのですがね。
とにかく私はこのオアシスのおかげで、ガヤガヤと騒がしい教室を離れて、1人穏やかな昼食をとることが叶っています。
メンバーは、会長1人、副会長1人、書記1人、会計1人、庶務1人。
合わせて5人の小規模なグループです。皆良くも悪くも真面目で、頭のいい、当たり障りのない優等生ばかりです。
……失礼、少し語弊がありました。
今年加入した新メンバー。
庶務を任せている、1年生の女の子。
名前はたしか、
とにかく私はこんなふうに、それなりに無難な学園生活を送っているというわけです。
――みっつ。
リリィ・ホロロフは普通の女子高生とは、決定的に異なる食生活を送っています。
アルバイトを終えた私は、いつも“報酬”をもらって帰宅します。
殺し屋なんて、不安定で、危険で、お先真っ暗な職種なのですから、それなりの報酬がなくては務まらないのです。
多くの場合、それは莫大な金銭、もしくは権利です。
ですが私は、他の殺し屋たちとは少し違う契約を結んでいるのです。
『ターゲットの眼球一対』
それこそが、私の仕事に対する、組織からの“報酬”です。
大雑把に言えば「家庭の事情」というやつで、私は人間を食べて育ちました。
自分でも相当な悪食を自覚してはいるのですが、簡単にやめることは叶いません。この奇妙な食生活はすでに私の一部であり、胸の深くに刻まれた、神聖な儀式のようなものなのです。
冷凍庫には、凍った眼球が入っています。
帰宅してすぐ、私自身で入れたものです。
チャック付きのビニール袋から、私は2個の眼球を取り出します。どちらもいい具合に凍っていたので、そのまま慎重に台座に置きます。
繊細なガラス細工の施された、極小サイズのエッグスタンドです。色々と店を回ってやっと見つけた、ちょうどいいスタンド。真横に並んだ2つの眼球と、しばらくの間、私はじっと見つめ合います。
そういえば日本には「死んだ魚のような目」という慣用句があります。
死んだ魚の目は濁っていて、生気がない。それが不気味だと言う意味をはらんだ言葉ですが、私からすれば、生きている者の目ほど、薄気味悪いものはありません。
対して死者の目というものは、総じて美しいのです。
生命活動が停止し、筋肉が緩んで瞳孔が開き切り、曇りガラスに似た乳白色の角膜は、ギラギラと不気味な生命の輝きを発していた眼球を、優しいオブラートのように覆い隠してくれるのです。
そのうち私は、1つの眼球を手に取って、もう1つの眼球が見ている前で、ゆっくりと口内に放り込みます。
ひんやりとした刺激が広がったかと思うと、たちまち溶けて、ぬるりとした感触が口いっぱいに広がるのです。表面にじっとりと絡んだ粘液を舌で舐めとって、私は、ちらりともう一方の眼球を見下ろします。
室温に溶かされた眼球はぴくりと動くことすらないけれど、繊細なガラス台座との境目に、結露の涙を浮かべています。大粒の涙を見つめながら、私は、思い切り眼球を噛み潰します。
……残念ですが、今日の眼球も“はずれ”でした。
不快な臭気、触感、味、全てが癪にさわります。失意のまま、私はもう一方の眼球を掴み取り、こちらはこの上なく乱暴に噛み潰してやるのです。
だけれど、私はこの生活をやめません。
だって知っているのです。この世界には、とんでもなく美味しい人間がいることを。それこそ桁外れに、美しい味のする人間がいることを知っているのですから。
――アルバイト、委員会、食事。
とにかく、この3つの単語こそ、リリィ・ホロロフという人間を語るうえで欠かせないキーワードに違いありません。
もし、うっかりこの文章を覗いてしまった人がいれば、覚えていてくださいね。
……まあ今のところ、そんな予定はないんですけれど。
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