第2話

 127位:リチャード・マクレイ


 リックはロメオ王国の王立魔法学校の広間に貼りだされた順位表に彼の名前を見て、小さくため息をついた。下から数えた方が早い位置に彼の名前は書かれていた。

 彼の周囲には同様に成績を見に来た生徒でごった返しており、歓声や悲鳴であふれかえっている。


 リチャード・マクレイこと、愛称リック。彼の身長は185cm程。魔法学校の黒いローブを羽織っているが、それでもがっしりとした肩幅であることが伺えた。頭髪は金髪で目は碧眼。見る人が見ればちょっとハンサムな顔立ちをしている。


「まあ、こんなもんか。この前の実技試験は酷かったもんなあ」

 そう言うと、彼は金髪の頭を少しかきながら、広間から離れた。そう、成績下位に沈むことは決して今に始まったことではなかったのだ。


 廊下を歩いて下校しようとしていると、後頭部にボールがぶつかった。


「悪い、悪い」

 リックが振り返ると、運動部のマイケル・トンプソンが取り巻き達と一緒にニヤニヤしながら言った。わざとぶつけたのだろう。マイケルは身長190cm程でリックよりも体格が良かった。


 リックは、どうってことないような顔をしながら

「やあマイケル。これから部活かい」

「ああ、そうさ」

 マイケルは相変わらずニヤニヤと答えた。リックは思い出したように世辞を言う。

「そうだ、マイケル。今度の成績もまた素晴らしいものだったね。おめでとう」

「ありがとう、マクレイ君。君はどうだった?」

「(知ってるくせに!)」

 リックは内心舌打ちしたが、それを顔には出さず誤魔化した。

「いやあ、サッパリさ。ハハハ」

「そうかい。まあ、留年や退学にならないように気をつけたまえ、マクレイ君」

 マイケルは嫌味たっぷりに言うと、取り巻きを連れて去って行った。


「あんなクソ野郎なのに」

 リックは小さく呟いた。マイケルは性格こそ最悪だが、運動も魔法の能力も学年トップクラスなのだった。



 この世には、上には上がいる。


 その事を、リックは魔法学校に入学して嫌という程思い知らされた。


 彼の両親は田舎の農家だったが、彼の祖父はロメオ王国に仕える魔法保安官という、特殊な公務員であった。

 幼い頃から祖父に魔法を教わったリックは、メキメキと魔法の才能の片鱗を見せた。次第に地元ではちょっと名の知れた魔法少年となった彼は、祖父と同じ魔法保安官になる事を志す。そして15歳になった頃、普通科中学校を卒業する際に推薦状を貰って、王立魔法学校に進学したのだった。


 しかし、そこで彼は自分が井の中の蛙だった事を思い知らされた。

 王立魔法学校にはロメオ王国の国中から若い才能が集まっており、王国に仕える未来の魔法使いを目指して切磋琢磨していた。そこでのカリキュラムに全く付いていけず、今や学年では下から数えた方が早い位置に居る。


 学校を辞める事を考えたこともあったが、祖父の様に立派な魔法使いになる事を期待して、魔法学校に送り出してくれた両親の期待を考えると、なかなか決心がつかないでいたのだった。



 リックがボンヤリと考え事をしながら廊下を歩いていると、廊下に面した中庭から大勢が騒ぐ声が聞こえた。

「(何だろう?)」

 そう思いながら、リックは窓から中庭の様子を伺った。すると、マイケルが取り巻きと一緒に弱い者いじめをしている光景が見えた。


「そら、ガッツを見せろ!」

 マイケルはそういうと、手に持ったボールを太っちょの少年目がけて投げつけた。少年はボールをキャッチできず、胸元にボールをぶつけられて、悶絶する。

「おら、それくらいキャッチしろよ!」

 マイケルの取り巻きが囃し立てる。学校の生徒たちの中には、彼らを遠巻きに見ながら同じように囃し立てる子も何人もいた。


「そら、もういっちょ!」

 マイケルが再びボールを投げつけると、今度は太っちょの少年の顔面に直撃した。その姿を見て、皆がゲラゲラと笑い声を挙げる。


「(全く、何て奴だ!)」

 リックは弱い者いじめの光景を目撃して、沸々と怒りがわいてきた。彼は、祖父から教わった言葉を思い出した。

「力におごるべからず。力を弱い者いじめに使うべからず。人を助けるために使うべし」

 リックは呟くと、中庭に進み出た。そして大声で叫ぶ。

「やめろ、マイケル!いい加減にしろ!」


 その声にマイケルと取り巻きが一斉にリックの方を振り向いた。

「何だマクレイ。俺に指図するのか?」

「ああ、そうだ。ボールをぶつけるのは止めろ」

 リックはきっぱりと言った。

「お前は誤解しているな。俺はあいつの根性を鍛えてやっているんだ」

「嘘をつくな。どうせ、ボールに魔法の力を込めて投げつけて、捕れないように細工しているんだろ!」

 リックの言葉にマイケルの眉が吊り上がった。

「じゃあマクレイ。お前が試してみるか?」


 マイケルがボールを投げつける素振りを見せた時、教師が1人中庭に入って来た。

「何を騒いでいる!もう放課後だぞ!さっさと下校しろ!」

 教師の一喝にマイケルと取り巻きは渋々、引き下がって行った。


「ありがとう、助かったよ」

 太っちょの少年がリックに礼を述べた。

「いや、良いって。それより、大丈夫か?保健室に一緒に行こうか?」

 リックはそう言うと、太っちょの少年にハンカチを差し出した。少年はそれを手で制しながら

「いや、大丈夫。保健室には1人で行けるから」

「そうか。またマイケルに遭遇しないように気を付けろよ」

 リックはそう言うと、太っちょの少年と別れて中庭を去って行った。



 リックは魔法学校に隣接した森林公園へと歩みを進めた。そこは実に50万㎡はある広大な公園で、中には大小様々な森林、池、運動用の施設などが備わっており、季節の移ろいに従って様々な景色を楽しむことが出来る場所だった。

 ここに足を踏み入れたのは、特に用があったからではない。単に、家に帰ると下宿の叔母さんから成績の事を聞かれるのが嫌だったからだ。


 リックは森林道を横道に逸れると、人通りを避ける様に、人気のない森へと歩んでいく。10分ほどすると、半径30メートル程の池が現れた。そして、彼はその池のほとりに腰かけた。


「(いっそ、どこか遠い場所に行けたらなあ)」

 リックは、そんな物思いにふけった。遠くに行ったところで何か展望があるわけではない。しかし、この状況を打破する方法が思いつかないのだ。



 そんな事を考えながらボンヤリと過ごしていると、後ろからマイケルの声がした。

「ここに居たか、マクレイ」

 リックが後ろを振り返ると、マイケルと取り巻きが10mほど離れた所で立っている。


「何か用かい?」

 リックが素知らぬ顔をして問いかけると、マイケルが凄む。

「さっきはよくも邪魔してくれたな。この落ちこぼれの分際で!」

「成績が悪いのは認めるさ。しかし、マイケル。成績が良いからって弱いものイジメして良い訳じゃないぞ!」

「うるせえ!」

 マイケルが叫ぶと、魔法の呪文を詠唱しだした。リックは慌てる。

「おい、喧嘩での魔法の使用は校則違反だぞ」

 マイケルが右手をリックに向けて突き出すと、彼の右手からロープの様に白い光がリックに向けて伸びていく。リックが抵抗する間もなく、リックの体はその光のロープに縛られてしまった。


「くそ、離せ!」

 リックが拘束から逃れようともがくが、白い光はリックの胴体と両手を縛って離れない。

 マイケルが右手をゆっくりと上に挙げていくと、リックの体も宙にゆっくりと浮かんでいく。

「どうだ、良い眺めだろ!」

「今のうちに謝った方が身のためだぞ!」

 地面から10m程も宙に浮かんだリックの姿を見て、マイケルの取り巻きが口々に囃し立てる。


 マイケルが右手を更に動かすと、リックの体は池の真ん中の上空に移動していく。

「おい、マクレイ!いい加減謝る気になったか?」

「嫌だね!弱いものいじめする奴になんか謝るものか!」

 リックはマイケルの問いにきっぱりと言い切った。


「そうか、じゃあこうしてやる!」

 マイケルが右手を下すと、リックを縛っていた白い光が消えた。たちまち、リックは池に叩き落された。勢いよく水しぶきが上がると、マイケルと取り巻きが大きな笑い声をあげる。

「そこで頭を冷やしてろ、落ちこぼれ!」

 捨て台詞を吐くと、マイケル達は池から去って行った。



「ああもう、酷いことしやがる」

 リックは水面から顔を出すと、ローブを着ながら器用に立ち泳ぎをした。田舎に居た時から川で泳いだりして遊んだ彼は、水泳が得意なのだった。

「あれ、何か変だな?」

 リックは池の周囲を見渡して呟いた。先程までマイケルに縛られながら見た池の周囲の光景と、今見ている光景が違うのだ。池の周囲にはさっきまで無かったはずの金網が張られている。金網の先には、小さなベンチが幾つかあり、見慣れない遊具が幾つか並んでいる。


「ここはどこだ?」

 池に落とされた衝撃で気絶して、別の場所に流されでもしたのだろうか。リックは首を傾げた。ふと、ベンチに人が1人座っているのを見つけると、彼はその人を目指して池をスイスイと泳ぎ始めた。


「ああもう、ずぶ濡れだ」

 池の端まで泳ぎ切り、金網を飛び越えるとリックは自分の服を見渡した。黒いローブ、その下の学生服からは水が滴り落ちていた。


 リックは呪文を10秒程唱えると、右手のひらを自分の体に向けた。

「ドライウインド!」

 彼が叫ぶと、たちまち右手のひらから熱風が吹き始め、彼の濡れた服を乾かしはじめた。1分ほど、満遍なく風を服にあてると、彼の服は池に落とされたのがウソのように乾いた状態になった。


「ああそうだ」

 リックは用件を思い出した。先程ベンチに居た人に、ここが何処か聞くつもりで泳いできたのだ。

 リックがベンチを見ると、その人はまだベンチに座っていた。その人は黒髪で、歳はリックと同じ10代後半に見える。中肉中背で、顔には眼鏡をかけている。何やら浮かない顔でうつむいており、リックの存在にはまだ気が付いていないようだった。

「(何だあれは。変な服だな)」

 リックは、黒髪の少年の学ランを見て思った。


「あのー、すいません。ここって何処ですか?」

 リックは少年に近づくと、声をかけた。少年がギョッとしたような顔でリックの顔を見る。

「すいません。ここって森林公園のどの辺ですか?」

 リックは再度少年に問いかけた。すると、少年はギクシャクと身振り手振りをしながら、意味不明の言語で返答した。


「(ああそうか、ロメオ王国に来た外国の人なのか。言葉が通じないのは当然だな)」

 リックは納得した。魔法学校に隣接した森林公園は風光明媚な事もあり、時折外国人の観光客も訪れるのだ。見慣れない服装も、外国人と考えれば説明がついた。


「ちょっと待って下さい。今、翻訳魔法を使いますから」

 リックは少年に語り掛けると、呪文を唱えだした。そして唱え終わると

「トランスレート!」

 と言いながら右手を少年に向けた。


 何も起きなかった。


「あれ、失敗した?」

 リックはもう一度呪文を唱えると、

「トランスレート!」

 と言いながら右手を少年に向けた。


 やはり何も起きなかった。


「あれ、この前の実技試験では成功したのにな」

 リックは気を取り直すと、再度呪文を唱えて

「トランスレート!」

 と言いながら右手を少年に向けた。


 すると、リックの右手から緑色の光があふれ、少年とリックの体を数秒間取り巻いて消えていった。


「よし、何とか成功したはず!あのー、言葉が通じますか?」

 リックは少年に問いかけた。少年はただ目を丸くしているばかりである。

「あれ?失敗している?すいません、俺の言っている言葉が分かりますか?」

 気を取り直して問いかけると、少年はブンブンと頷いた。


「あ、あの!今の光は一体何なのですか!」

 少年は興奮した様子で問いかけた。リックは答える。

「今のは翻訳魔法ですよ。ああ、外国の方ですから魔法は見慣れないのですか」

「翻訳……魔法……?」

「ええ、だから今はお互い普通に会話できるでしょ?」

「確かにそうですけど……。魔法……使い?」

 少年は怪訝な表情を浮かべた。リックは少し胸を張りながら答える。

「ええ、ロメオ王立魔法学校の生徒です」

「ロメオ……王立……?どこの国です、それ?」

「何を言っているんです?今、2人がいる場所がロメオ王国ですよ」

「あなたこそ何を言っているんです。ここは日本の東京ですよ!」

 お互い、相手が何を言っているかサッパリ分からないという様子で2人は顔を見合わせた。



「お、東堂じゃん!」

 遠くから声がしたのでリックが目をやると、少し離れたところに茶髪の男が4人ほど立っていた。どうやら、少年を呼んでいるようだ。東堂と呼ばれた少年はその声に、怯えたように振り返った。


「久しぶりだな。中学の卒業式以来だっけ?」

 男たちが近寄って来た。

「や、やあ。久しぶり」

 少年はしどろもどろに応える。


「ちょうど良かった、東堂。ちょっとお金貸してくれない?」

 男の1人がそう言いながら、少年の肩に手をまわす。

「え、お金?」

「そう。ちゃんと返すからさー」

「いやぁ、ごめん。僕、今持ち合わせがなくて」

「何だと!!おい、それが友達にいうことか!」

 男の1人が少年の胸倉をつかんだ。


 どうやら少年は4人の男に金をせびられているようだとリックは理解した。


「(全く、嫌な野郎はどこにでも居るもんだな)」

 リックは溜息をついた。リックは彼らのやり取りを見て我慢がしきれず、声をあげた。


「おい、止めろよ!」

 少年と男たちがリックの方を見た。少年の目が、助けを求めている。

「何だお前、関係ない奴はすっこんでいろよ」

「関係あろうがなかろうが、悪い事をしている奴は見逃せないな」

「何だよ。痛い目にあいたいのか?」

 男たちがリックの方に近づいてくる。


「トウドウ、とか言ったかな?君は離れていなよ」

 リックが声をかけると、少年はそそくさと男たちから離れた。


「この野郎!」

 男の1人がリックに向かって殴りかかってきた。そのパンチをひらりとかわすと、リックは男にカウンターパンチをお見舞いした。男はバタリと地面に突っ伏す。

「魔法の成績はイマイチだけど、腕っぷしには少々自信があるんでね」

 リックは魔法保安官だった祖父から、魔法だけでなく格闘術なども学んでいたのだった。


「本当は校則違反だけど、魔法を使わせて貰うかな」

 リックは数秒間呪文を唱えると右手のひらを男たちに向けた。

「サンダー!!」

 雷撃魔法を唱えると、リックの右手から稲妻が3人目がけて走った。稲妻を受けた3人はたちまち気絶し、倒れていく。



「助けて貰い、ありがとうございます!凄い!凄いです!今のどうやったんですか!?」

 少年がリックに駆け寄ってきた。リックは少し得意げに答える。

「まあ、ちょっと雷撃魔法を使ってね。まあ当然の事をしたまでさ。」

「疑ってすいませんでした。あなた、本当に魔法使いなんですね!」

「ああ」

 リックはようやく少年に納得して貰えたことに安堵した。

「ちょっとキツメにお仕置きしたけどさ、大丈夫だったかな?後で君が仕返しされたりしないかい?」

 リックは心配そうに問いかけた。

「ああ、大丈夫ですよ。中学の時の同級生ですけど、今は高校も全く違いますし」

「そう。それは良かった」



「あの、申し遅れました。僕の名前は東堂勇樹と言います」

 勇樹と名乗った少年が、おずおずと右手を差し出した。

「俺の名前はリチャード・マクレイ。リックと呼んでくれて良いよ。」

「リックさん、宜しくお願い致します」

「そんな畏まらなくてもいいよ。俺も君の事は勇樹と呼ばせて貰うし」


「じゃあ……。ロメオとか言ったっけ。そこから何故日本へ来たんだい?」

 勇樹の問いに、リックは首を傾げた。どうしてもここはロメオではないと勇樹は言い張るのだ。しかし、リックは日本なんて国名聞いたことがなかった。

 リックは勇樹の目をジッと見た。とても嘘をついている様子ではない。

「(ひょっとすると、彼の言う事が正しいのか?)」

 リックは不安になった。

「(そうだ。浮遊魔法で上空から景色を見れば分かるはずだ!上からなら魔法学校の校舎が見えるはず!)」

 そう思いつくと、リックは浮遊魔法の呪文を唱えた。


「フライ!」

 リックが叫ぶと、彼の体は勢いよく宙に浮かんでいく。高度を段々上げていくにつれて、彼の顔は段々と青ざめていった。

「どこだ、ここ!」

 上空100メートルから見渡す光景は、彼の予想とは全く違っていた。魔法学校の校舎は見えず、そもそも彼が居た池の周囲には森林公園すらなかった。その代わり、大小様々なコンクリート製の住宅、線路を走る電車、道路を走る車などが彼の目に飛び込んできた。それらは、ロメオ王国では見た事がないものばかりだった。


「(ロメオじゃない!!ここは別の国だ!!いや、別の文明!?というより、別の世界!!?)」

 リックは混乱しながら、ゆっくりと地面に降りて行った。

 地面に降りると、勇樹が興奮した様子で駆け寄って来た。

「凄い!!空を飛ぶなんて!!ああ、しまった。今のスマホで撮っておけばよかった!」

 リックが沈黙する反面、勇樹は興奮しながらまくし立てる。

「そうだ、リック!お礼を兼ねて僕の家に来てくれないか!色々と話を聞きたいし!」

「勇樹、そうさせて貰うよ。色々聞きたい事が山ほどあるんだ」

 リックは答えた。



「それじゃあ行こうか。ここから歩いて20分ほどなんだ」

 勇樹の言葉にリックは首を振った。

「勇樹、その必要はないよ。飛んでいけばいい」

「君は飛べるかもしれないけど、僕は飛べないよ」

「大丈夫、俺の体に捕まっていれば一緒に飛べるから」

「本当かい?」

 勇樹は恐る恐る、リックの左腕に捕まった。

「それじゃあ行こうか」

 リックは呪文を唱える。

「フライ!」

 リックが叫ぶと、2人の体は宙に浮かんでいった。

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