五章 ⑩正義の悪魔の戦い方


「紫! 武器を!」



 投げられた水鉄砲が俺の手へ収まった。


 トリガーを引く。


 まずは一発、顔面へ。

 ブロックしようと前に出した腕二本が、溶けて落ちる。

 苦悶の声を上げたベルゼブブの懐へ、俺は残りの腕を潜り抜けて飛び込んだ。


 至近距離で、蠅の口が開く。炎を放つつもりらしいが、それこそ俺の思うつぼだ。


 俺はベルゼブブの喉奥へ水鉄砲を突っ込んだ。


「――っ!」

「聖水の味はどうだ、暴食王? もしかして飲むのは初めてか? 聖水の味も知らないようじゃ、暴食の名が廃るぜ。トラウマ級の刺激的なのどごしを、よおーく味わえよ!」


 言いながら俺は何度もトリガーを引く。灼かれた喉では悲鳴を上げることも叶わないのだろう。聖水を噴射する度にビクビクと巨体は痙攣し、ベルゼブブが内側から溶けていく。


 ヤバい。楽しい。

 逆の立場だとこんなに楽しいものなのか。


「……がっ……き、さま……!」

「てめえが食うのは聖水で十分なんだよ! 満腹になったらとっとと帰りやがれ!」


 聖水がなくなり、俺は空っぽの水鉄砲を放った。

 体長五メートルの巨体は今や、すべて溶けていた。真っ黒いヘドロのようなものがコンクリートに広がっている。


 やったか……?


 ベルゼブブが地獄へ強制帰還されるのを待っていると、


「……ゆ、るさん、ぞ……!」


 どこからともなく声がした。


 俺の足元でヘドロが、コポ、と泡立つ。泡は瞬く間に広がり、まるで沸騰しているみたいに蠢き始めた。


 それに目を凝らしてみて俺は気付く。泡ではなく蛆だ。溶けたはずのベルゼブブが無数の黒い蛆に変わっている。


「っ!」


 突然、脚を激痛が襲い、俺は呻いた。追い打ちをかけるようにおぞましい蛆が脚から上り、俺の身体を手当たり次第に食らい始める。


「真理須っ……!」


 遠くで紫の叫ぶ声がした。だが、それに応えることはできない。

 瞬く間に全身に噛みつかれ、俺はのたうっていた。払っても払っても蛆は食らいつき、俺を覆い尽くす。顔にまで蛆は上り、俺は視界を奪われた。


「馬鹿め。私がこれしきの聖水で帰ると思ったか」


 気色悪い感触と絶え間ない激痛の最中、ベルゼブブの声が降ってきた。次いで、

 ずぷり。

 剣がトドメのように俺の胸を貫いた。


「帰るのは貴様だ。そこでくたばれ。正義のおまえでは、地獄の七君主たる私を止めることは叶わぬ」


 蠅の姿を取り戻したベルゼブブは俺から剣を引き抜くと、背を向けた。紫たちほうへ歩いていく。


 くそ、待てよ。


 言いたかったが、蛆にたかられた俺は声を出すこともできなかった。皮膚が、血肉が、五臓六腑が食われていく。力が入らない。鉄錆の匂いが鼻の奥にこびりつき、肉を食む音が耳元でする。


 貫かれた心臓が熱い。


 瘴気が取り巻き、俺を帰そうとする地獄への門が開きかけている。


 

 ――正義の俺では、七君主のベルゼブブを止められないのか。



 ベルゼブブに言われたことを反芻した俺は、内心で首を振った。


 いいや、そんなはずはない。

 正義の俺が止めなくて、誰が止められるというのか。

 この横暴を。不条理を。理不尽を。



 俺にはまだ、奥の手が残っている。



「………………権限で、帰還を拒否する」



 地獄への門を強制的に閉じた。

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