三章 ⑩ベリアルという悪魔

 翌日、秘密結社本部――もとい空き教室のドアを開けた紫と俺は、そこに広がっていた光景に息を呑んだ。


 そこはもはや教室ではなかった。真っ赤な絨毯に豪奢なシャンデリア。昨日まであった机やイス、ロッカーはどこにもなく、代わりにゆったりとしたビロード張りのソファが三脚とアンティーク調の木製の円卓が置かれている。壁にはよくわからない毛皮や絵画までかけられ、部屋の雰囲気をより一層、危うげなものにしていた。


「お待ちしておりました、マスター」


 部屋の中央に立っていたブロンドの美青年が、執事のように優雅な所作で一礼する。それで、金縛りにあったように硬直していた紫がようやく動いた。


「……何これ!? え、何、どうなってるの!?」


 部屋に足を踏み入れ、ぐるぐると周囲を見渡す紫にベリアルは優しく微笑む。


「マスターの秘密結社に相応しいお部屋を、と思いまして、僭越ながらわたくしが調度品を一式揃えさせて頂きました。お気に召しましたでしょうか」


 アホみたいに口を開けて内装を一通り眺めた紫は、入り口に立ったままの俺と目が合うと陶然と呟いた。


「すごいよ、真理須……この部屋のもの、幻じゃなくて全部本物だよ……」

「そうだな。全部、と……」


 盗品だけどな、と言おうとした俺は、一瞬で肉薄してきたベリアルのボディーブローをくらい廊下に転がった。

 容赦ねえな、こいつ……。


「マスターの御心に沿えたようで何より。他にもご所望があれば、このベリアルに何なりとお申し付けください」


 俺を放り、ベリアルは紫に紅い双眸を向ける。

 それは、人を惑わす瞳。その瞳が鮮血と同じ色をしていることに、見つめられた人間は気付かない。

 だが、紫はベリアルの長身をしばし見上げ、首を傾げた。


「……でも、なんで? わたし、あんたと契約してないわよ。契約もしてないのに、どうしてこんなことしてくれるの?」

「それは貴女が二十一世紀最大の魔術師、セルシア・ローザ・レヴィ様だからです」


 その台詞を噴き出さずに言えたベリアルを一瞬、尊敬した。

 痛みに悶えるフリで肩の震えをやり過ごしている間にも、ベリアルの真摯な言葉は続く。


「悪魔が偉大な魔術師に仕えたいと願うのは、天から降った雨水が流れるうちに河となり、海へと帰着するように自然なことなのです。かつて偉大なソロモン王は対価らしい対価を支払うことなく、悪魔七十二体を使役されました。その中には正式に契約書を交わさなかった者もいます。わたくしたちはソロモン王の魔術師としての才覚に惹かれ、自ら望んで下僕となったのです」

「つまり、あんたはわたしが偉大な魔術師だから、契約しないでわたしのために働いてくれるってこと?」

「その通りです。どうかわたくしをお傍に置いてください。必ずやマスターのお役に立ってみせましょう」


 紫は自信満々のベリアルから、廊下でぽけーと座っている俺へ目を移した。


「真理須、ベリアルはちゃんと悪魔らしいんだけど。これってあんたがダメなの? それともベリアルが特別、優秀なの?」


 たぶん、両方だ。

 思ったが、俺は知らんぷりして顔を背けた。


「さ、マスター、どうぞ中へ」


 ベリアルに促され、紫はもはや教室とは呼べなくなった空間へ入っていく。そのままベリアルはドアを閉めようとして、

 すかさず足を滑り込ませた。

 止まったドアにベリアルが冷たい一瞥を投げる。


「何? キミ、もういらないんだけど」


 なっ……! と愕然とした俺に、紫が振り返った。


「ああ、真理須も入れてあげて。使えない悪魔だけど、わたしたちのメンバーだから」

「かしこまりました」


 途端に丁寧になってドアを開けるベリアル。後で覚えとけよと美青年の澄ました顔を横目で睨みながら、俺は盗品だらけの部屋に足を踏み入れた。

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