三章 ⑨依頼

「そういや、おまえから教わった堕天使の微笑(フォールインラブ)、全然効果なかったぞ。何が『百発百中で女性を恋に落とし、意のままに操る秘技』だ。あんな使えない技、もったいぶって教えやがって」

「試したのか、あれを?」


 レオンを無視して肉を食べていたベリアルが、驚いて俺を見つめてくる。なんだよ、まさか後から効果が現れてくるとかなのか?

 ちょっと期待して隣のノアをちらりと見ると、あからさまに目を逸らされた。しょぼんとした俺に、ベリアルは薄く嗤う。


「あれは、今や地獄一を誇る俺の美貌だから効果があるに決まってるだろ? キミの凡庸な顔でやったとか、マジで片腹痛いよ?」

「一回、殴っていい? そんな技、どうして教えた?」

「試した後で絶望するマリウスを見たかったから」

「そんなことだろうと思った」


 脱力した俺はテーブルに頬杖をついた。

 さすが悪徳を職能としているだけはある。こいつの趣味は「嫌がらせ」なのだ。それでも何だかんだで長年ダチなのは、こいつを憎めないからだろう。言動はいちいちムカつくが悪い奴ではない、と俺は思っている。


「それより、マリウス。あれが件の『残念な美少女』かい?」


 顔を寄せ、ベリアルはそっと俺に訊いてきた。深紅の瞳が一瞬、カカシを映す。


「ああ、そうだよ。俺の現マスターだ。……しぶといことにな」


 スレを読んでいるベリアルなら俺の状況を知っているはずだった。ベリアルはわかったような苦笑を洩らす。


「キミさあ、生活困ってなかったっけ? どうして、ああいうのに手を出すかな」

「仕方ないだろ。召喚自体、十年ぶりだったんだ。俺が選り好みできるわけがない」

「だとしてもだよ。あれは一目見て、酸っぱいって気付くだろう」

「酸っぱい? 何の話だ、葡萄か?」

「そうだよ。キミが泥塗れになりながら育てている葡萄の話。まだロクに色付いていないけど、キミがもう土いじりは疲れたって言うのなら俺が収穫を手伝ってやってもいい」

「――」


 俺は口を噤んでベリアルを見つめた。視線が互いを探り合うように交錯する。


「……どういうつもりだ?」


 ベリアルの真意がわからず唸った俺に、美青年はニヤリと凶悪な笑みを零した。顔を隣のテーブルへ向ける。


「ねえ、キミたち。さっきから聞き耳立ててるとこ悪いんだけど、俺はこれからマリウスと内緒話があるんだ。邪魔だから席を外してくれないかな?」

「おい……」


 そんな直接的な言い方があるか、と口を挟もうとした俺は、ベリアルに口を塞がれ目を瞠った。ベリアルはノアと合戦峯に深紅の双眸を据えたまま、艶然と微笑む。


「席を外してもらおうか。ついでに、お友達も連れ出してあげて」


 その微笑は見る者を魅了する――。


 ベリアルを見つめていたノアと合戦峯が同時に立ち上がった。そのまま、カバンを持って出口へと向かう。その途中にいた紫の腕を二人が捕らえた。「え、ちょっと、何!?」と言う紫を引きずって女子高生たちはジョナクンから消えた。


「これが本当の堕天使の微笑(フォールイントラップ)だよ。軽い催眠だから、五分ももたないけどね」


 ベリアルの説明に、俺は眩暈がして頭を軽く振った。


「さて、邪魔者がいないうちに話を戻そうか。あのスレを読んだら、さすがに俺もキミが不憫に思えてね。マリウスにも落ち度があるとはいえ、あまりに悪魔を侮辱した待遇だ。魔術師にああいう輩がいるのは嘆かわしいことだよ」


 わかってくれるか、と俺は深いため息をついた。同じ悪魔から賛同を得られると心強い。


「本来、これはマリウスとマスターの問題だから俺が口を出すことじゃない。だが、どうやらキミの手には余るようだ。分をわきまえない魔術師に制裁を与える、ということなら同業者として協力してやらないでもない。キミが望むなら、俺の力で契約破棄に追い込んでやろうか?」

「……できるのか?」

「できるさ。俺を誰だと思っている?」


 絶対的な自信。まあ、こいつならできるんだろう。友達だから畏まって接したりはしないが、こいつだって「王」だ。伯爵の俺とは悪魔としての格が違う。


「それで、俺がおまえに払う報酬は?」


 少し迷ってから訊くと、嫌がるレオンにいらない野菜を押しつけていたベリアルは「おいおい」と大仰に肩を竦めた。呆れたように俺を見遣る。


「見くびるなよ、マリウス。貧困に苦しむ親友に分け前を要求するほど、俺は狭量じゃない。心配しなくても、俺は俺なりに楽しませてもらうさ。じゃあ、いいんだな?」


 ベリアルの最終確認に、俺はようやくジョナクンに戻ってきた美少女に目を遣り、頷いた。


「――頼む」

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