三章 不当待遇に反逆の狼煙を上げろ!①

「今日は秘密結社の活動はないから」


 その日の終礼直後、いち早く帰り支度をした紫は俺の席まで来るとそう告げた。まだクラスメートの大半が残っている雑然とした教室で、隣のノアが首を傾げる。


「どうしたんですか、荊原さん。昨日、合戦峯先輩が入ったばかりなのに」

「今日はバイトの日なの」

「「バイト!?」」


 俺とノアの声が綺麗にハモった。

「咲羅先輩にはメールで伝えてあるから大丈夫よ。先輩は特にびっくりしてなかったけど、なんであんたたち、そんなに驚いてるのよ」


 いや、だって、紫がバイトとか似合わなすぎだろ。中二病がバイトできるとこってどこだろ?


「荊原さん、何のバイトしてるんですか?」

「ファミレスよ。駅前のジョナクン」


 うわ、と俺は顔を引きつらせた。

 紫がウエイトレスをしているところなんか、全然想像できない。こいつは客にきちんと頭を下げることができているんだろうか。

 経営者でもないのに不安になった俺の横では、ノアがコメントに困った顔をしている。

 俺たちの表情に何かを汲み取ったのか、紫は不満げに顎を持ち上げる。


「二十一世紀最大の魔術師とはいえ、わたしも人間よ。生きていくにはお金がいるの。学費は父親の遺産から出ているけど、それ以外は自分でなんとかしないといけないんだから」


 話題的にそれ以上突っ込むのは気が引けて、俺もノアも黙り込む。そんな俺たちを見て、紫が「というわけで行くわよ、真理須」と教室の出口へ向かった。

 ノアにバイバイと手を振り、俺はその後を追う。


「じゃあな。バイト頑張って」


 歩道に並ぶ街路樹には、新緑の若葉が芽吹いている。高校の最寄り駅に直結した商業ビルの二階にジョナクンの看板を認め、俺は言った。途端に紫の表情が訝しげなものになる。


「は? 何言ってんの?」

「何って……」


 労いの言葉をかけてしかるべきシーンだと思ったのだが、何か間違えただろうか。首を捻る俺に、紫は地動説を説くように告げる。


「あんたも一緒にバイトするに決まってるじゃない」

「…………………はい?」


 俺が? バイト? ファミレスで?

 思考がエラーを起こしている間に、紫は商業ビルの自動ドアを潜っていく。艶やかな黒髪が揺れる後ろ姿を呆然と見送っていると、少女は振り返った。


「なに突っ立ってるのよ。あんた、わたしの護衛でしょ? バイトしている最中も、いてもらわないと困るわよ。一緒にバイトすれば、護衛もバイトもできて一石二鳥じゃない」

「えーっと、だったら、おまえがバイトしている間、俺がジョナクンに客としていればいいだろ。俺、バイトする必要ないし……」

「あんた、パソコンが欲しいんじゃなかったの? ちょうどよかったじゃない。自分でバイトして買ったら?」


 契約前のやり取りでそれはバレている。よく覚えているな、と思いつつ俺は「そ、それは、そうだけど……」と目線を漂わせた。

 悪魔が地上でバイトするなど前代未聞だ。契約の対価として魂を取るのが外勤悪魔の労働であり、人間と同じ労働に従事するのは、悪魔にとって卑しいこととされている。

 しかし、パソコンを買うカネがないのもまた事実だった。魂ポイントは地上の通貨にも換えられるが、最低賃金の俺はワイファイ料金を支払うので精一杯ときている。

 悪魔のプライドか、最新のパソコンか。

 究極の選択で迷う俺へ、ダメ押しとばかりに紫は無情な事実を告げる。


「言っとくけど、あんたに拒否権はないわよ。もう店長には話を通してあるから。海外留学中に飲食店でバイトしてて、悪魔の力で愛想ばっちりになった従兄っていう設定だからよろしく」


 だからなんでおまえはそんな出鱈目な設定を押しつけるんだ……!

 呆れを通り越して怒りすら覚えた俺に、紫は霧吹きを掲げて見せた。

 こうなってしまえば、俺は従う以外にない。聖水を浴びる前に俺はジョナクンへの階段へ足をかけたのだった。

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