二章 ⑫彼女と俺の事情

 その夜、俺は丸一日以上放置してしまった自分のスレッドを開いた。現状を書き込む。


「中二病美少女が秘密結社を結成して俺も手伝うことに。

 金髪巨乳童顔と眼鏡巨乳先輩も加わって俺ハーレム万歳」


 ……こうして書くと勝ち組みたいだけど、実際、何にも勝っている気がしないのは何故だろう。まだ定番の「お風呂でばったり」イベントが発生していないからだろうか。

 首を捻りながらエンターキーを押した俺は、パソコンの脇で蜷局を巻くレオンが頭をもたげたのに気付いた。その目線を追う。

「っ!」

 薄く開いたドアの隙間から、少女がこっちを覗いていた。俺と目が合った瞬間、ビクリとなる。

「……何だよ」

 訊くと、バツが悪そうに紫が入ってくる。そして、手を差し出した。


「はい、今日の卵」


 今、はっきりとわかった。いくらハーレムになっても、そもそも契約に敗北しているんだった。

 がっくりとうなだれる俺に「……ねえ」と躊躇いがちな声がかかる。


「地獄に帰らないの……?」


 目を上げると、紫が落ち着かなくパジャマの裾をいじっていた。


「ノアが言ってたじゃない。地獄にいないと、新しい契約が取れないって。真理須は、本当は帰りたいんでしょう? ここにいたら、魂が取れないわけだし……」


 いつかは言われると思ってた。昨日は話題を逸らすことに成功したが、それで根本的な問題が解決したわけではない。


「おまえにしては殊勝なことだな。で、おまえは俺にどうして欲しいんだ?」


 え、と紫は小さく言った。

 最初になされた命令はしっかり覚えている。常にわたしの傍から離れず、わたしを護衛しなさい。俺史上に残る珍命令だ。


「常に護衛しろ、と命令されたから俺はここにいる。でも、おまえがそれを撤回したいというのなら、いつでも可能だ。俺を地獄に帰したければ、言ってくれれば……」

「撤回したいわけないでしょ! イルミナティがいつ襲ってくるかわからないのよ! いざというときに、いなかったら困るし、そんなの護衛として失格よ! でも……」

「だったら、おまえは自分の望みを貫けばいい」


 遮って言う。

「俺たち悪魔は、人間の望みを叶えるためにいるんだ。俺のことを気遣っておまえが望みを引っ込めるのは、本末転倒なんだよ。おまえはそんなこと気にせず、いつも通りワガママでいればいい」

 紫が息を呑んで、胸を押さえた。大きく見開いた瞳が真夜中の湖面のように揺れている。


「……ほんとに、ずっと傍にいてくれるの? 朝起きたら、いなくなってたりしない?」


 ああ、と言いかけた俺は、その言葉に引っかかりを覚えた。

 朝起きたら……?

 ドアから覗いていた少女。真っ赤に充血した目。授業中の度重なる爆睡に欠伸。

 ここ二日の少女の様子が、やっと一本の線に繋がった。

 どこか不安げに見つめてくる紫に、俺は笑みを向けた。


「――悪魔の尊厳に誓って。それが契約だ」


 だから、安心して寝ろ、と続けた俺に、紫は頬を赤らめて俯いた。

 広い家だ。十五歳の少女が独りで住むには、広すぎる。

 どんな事情があるのか知らないが、こんなところにいたら心細くなるのは間違いないだろう。草木も眠る静謐な夜ならば、なおさらだ。

 紫が部屋を出て行った後、俺はじっと頬に注がれているレオンの視線に気が付いた。人間だったら、ジト目だろう。


「……何だよ。何十年も指名ないのがデフォだから、どうせ帰ったって意味ないしとか、天井と壁があるから地獄の屋敷よりここのほうが快適だなんて、俺の切実な事情を赤裸々に言う必要ないだろ。少しくらい俺にもカッコつけさせてくれよ」

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