二章 ③正体

 スパ―――ン。

 突如、脳天を襲った打撃に俺は頭を抱えた。


「何してるの、真理須」


 俺が何か言う前に降ってくる不機嫌な声。振り仰ぐと、漫画を片手に俺を見下ろしてくるルシファー……じゃなくて紫がいた。おまえ、本の背で叩いただろ。天地大戦時のルシファーを彷彿とさせる視線に寒気を覚えたが、俺はじんじんとする頭の痛みに任せて言っていた。


「おまえこそ何すんだ、紫……」

「わたしのことはセルシアと呼びなさい」


 出た、中二病。

 呆れた俺をおいて紫はノアを見遣る。紫の眼光に圧され、金髪の少女がびくりと身体を竦ませた。

「校舎の案内はわたしがするから結構よ。忠告しとくわ、飛鳥ノア。隣だからって不用意にこいつに関わらないことね」

「おい、そんな言い方はないだろ。せっかく案内してくれるって言ってるのに……」

 可愛い女子と親密になれるチャンスを潰されてたまるか、と反発した俺に、紫はぴしゃりと言う。


「真理須は黙ってなさい。……いい? よーく聞きなさい。あんたの目にこいつは普通の男子としか映らないかもしれないけど、正体は、わたしが地獄から召喚した悪魔なのよ!」

「ちょ、おい! それは……!」


 慌てて紫の口を塞ごうと手を伸ばす。だが、それより早く霧吹きから放たれた聖水が俺の手を襲った。飛び退いた俺に見向きもせず紫は続ける。


「ふふふ、驚いたみたいね。わたしは二十一世紀最大の魔術師。悪の秘密結社イルミナティに対抗できる、最強にして唯一の魔術師よ。こいつはわたしに仕える悪魔の一人で、軍隊十個分の戦力を持ち、その気になったら衛星だって撃ち落とせるんだからね!」


 設定盛りすぎだ。実際は成人男性一人分の戦力で、ハエを落とすのがせいぜいなんだが……とキョドる俺をおいて、紫は何故か胸を張る。なんでおまえが威張るんだよ。

 と、横から「え……?」と微かな声がした。ノアが真剣な顔で俺を凝視している。

 ヤバい。これ、信じちゃってる系だ。俺はごく普通の青春生活を送りたいだけなのに! 悪魔だって思われたらノアにまで避けられちまう!


「ほ、本気にしちゃダメだよ! 今のは全部、こいつの設定で嘘だからね! そもそも、悪魔が高校生やってるっておかしいでしょ? イケメンでもないし、強そうでもない俺が悪魔に見える?」

「……見えないです」


 正直な回答をどうもありがとう。言ってる俺も、なんかとっても哀しくなったよ。

 だが、せっかく納得しかけたノアに、俺の涙ぐましい努力を台無しにする紫の声がかかる。

「そう思うでしょ? じゃあ、特別よ。こいつが悪魔という証拠を見せてあげる」

 唐突にネクタイを引っ張られ、俺は「ぐえ」と声を上げた。やめろ、人間だったら絞殺もんだぞ。

 しかし、そんな抗議を口にする余裕はなかった。紫はあろうことか霧吹きの首を外し、それを俺の頭上へ掲げ、


「こうして聖水をかけると……」


 俺は化学の実験材料じゃねえ!

 避けようにもネクタイを掴まれている俺に術はなく。

 覚悟して首を竦めたとき、


「ダメですっ!」


 バシャと音がして、俺は目蓋を開けた。見ると、キョトンとした表情の紫が尻餅をついている。その脇には、霧吹きの容器が転がっていた。

 ノアはというと、俺を庇うように立って両手を突き出している。状況から察するに、ノアが紫を突き飛ばしたらしい。

 呆気にとられる俺の前で、ノアはあたふたと紫に言う。


「ダ、ダメですよ。聖水なんかかけて、もしほんとに安藤くんが悪魔だったら、どうするんですか。そんなことしなくたって、悪魔かどうか確かめる方法はあるんですから……」

 ノアがくるりとこっちを向き、上目遣いで見た。その手が俺のワイシャツにかかる。

 えーと。

 ぷちぷちとボタンを外されていく俺。これってノアのブラウスのボタンも外してあげるべき?

「……ちょ、ちょっと、何してるのよ……!」

 我に返った紫が上擦った声を上げる。けれど、ノアがボタンを全部外すことはなく、その手は途中で止まる。残念。

 俺の胸に刻まれた印章を見つけたノアは息を呑んで俺を見上げ、紫を振り返った。


「……荊原さん。アンドロマリウスと安藤真理須って、捻りなさすぎませんか?」


 それ、俺も思ってた。

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