二章 ②学校

「今日から転校してきました安藤真理須(あんどうまりす)です」


 カツカツと白墨の音を響かせながら、俺はつい数時間前に決めた名前を黒板に書いていた。

 登校中、紫が俺に人間としての名前を付けると言い、俺の本名を三回唱えたら「あんどうまりす」になった。漢字は最初、「魔裏棲」と紫が決めたのだが、それはない、と思って自分で変更した。そんなキラキラネームもびっくりな名前にされてたまるか。


 登校した俺はいきなり校長室へ連れていかれ、面談だけで正式に転入できることになった。話していてわかったのだが、どうやら校長は紫(というか荊原家)に頭が上がらないらしい。紫の従兄ということで妙に丁重な扱いを受けてしまった。

 そして俺は今、クラスメートとなった一年二組の三十人ばかりの生徒を前に挨拶をしているわけで。なんか面白いこと言ったほうがいいのかなと口を開いた矢先、横に立つ担任教師のやる気のない声を聞いた。

「あー、安藤くんは荊原さんの従兄だそうだ」

 途端に教室がざわっ、と動く。まるで示し合わせたように逸らされる視線。教科書を出したりスマホをいじり始める生徒たち。落胆とも諦観ともつかない微妙な雰囲気が、さして広くない教室に漂う。


 え、何この空気。みんな、諦めたらそこで試合終了だよ?


 助けを求め紫を見るが、つまらなさそうに頬杖をついた少女は窓の外を眺めて欠伸をするばかりで。

「安藤くんはそこの席だから」

 訳がわからないまま、俺は教師の指示で空いている一番後ろの席へ着く。

 このときから何かがおかしいと思っていたのだ。その予感は次第に確信へと変わる。


 昼休み。

 こんなはずじゃなかった、と俺は天を仰いだ。俺の後ろを生徒たちが楽しそうに談笑しながら通りすぎていく。

 ぼーっと教室に視線を漂わせると、窓際の自席で一人パンを齧る紫が目に入った。


 何が二十一世紀最大の魔術師だ、中二病め。俺の青春生活を返せ。


 胸中で毒づくが、漫画を読んでいる少女は集中しているのか俺の視線に気付きもしない。ちらりと見えた漫画のタイトルは『悪魔執事』。……悪魔ものかよ。

 紫はクラスで浮きまくっていた。授業中も自らの設定を公言して憚らず、都合の悪いことは全部、悪の秘密結社のせいにする。休み時間も刺々しい雰囲気を放ち、宿題プリントの回収にきたクラスメートを刺客呼ばわりだ。そんな中二病患者に好んで近付く物好きはいない。

 まあ、そこまではいい。自らの設定に浸るのは個人の自由だ。自分が後悔しない程度に、勝手にやってくれ。だが、それが身内設定の俺にまで及ぶのはいただけない。紫の従兄というだけで、俺はクラスメートから嫌厭されているのだった。


 こっちに気付かない紫へ念を送るのもバカらしくなり、俺は机に突っ伏した。顔を右側へ向ける。

 唯一の救いは、隣に童顔の金髪少女が座っていることだろうか。

 キラキラと輝く金色のツインテールに、美しい勿忘草色の瞳。全体的に色素が薄く、儚げな印象の女子生徒だが、胸だけはブレザーを着ていても圧倒的な存在感を放っている。うーん、おっきい……。彼女は、女の子らしいお弁当箱を机に広げ、誰と机をくっ付けることもなく箸を口に運んでいた。


 暦は四月中旬。もう仲良しグループは形成されつつある頃だ。そんな時期に一人で昼食を摂っていることから、彼女もぼっち候補であるようだ。目立つ容姿をしているからクラスメートも話しかけづらいのかもしれない。

 妙な親近感を覚えて少女を眺めていると、ふと彼女がこっちを見た。淡いブルーの瞳が俺をちらりと捉える。

「……安藤くん、お弁当食べないんですか?」

 え、ああ、と俺はみっともなく狼狽えた。話しかけられるとは思わなかったのだ。

 悪魔だから昼食はいらない、と言うわけにもいかず、返答に困っていると彼女は自分のお弁当を「食べますか?」と持ち上げる。


「はい、あーん」


 箸で摘まれたのは、卵焼き。

 昨日の今日で卵に、うっとなったものの、大人しく口を開く。綺麗な焼き目がついた黄色い塊が口に放り込まれた。

「美味しいですか? 手作りなんですけど、どうでしょう……?」

 上目遣いの少女に、俺はモゴモゴと口を動かしながら「美味しい」という意思表示をするためにしきりに頷いてみせる。実際、この展開がメッチャおいしいです。

 俺の反応を見て彼女は嬉しそうに笑う。

「よかったです。そうだ、安藤くん。お昼食べたら、校舎の案内とかしましょうか? 転校してきたばかりで、まだわからないですよね?」

 期待を裏切らないチャンス到来である。卵焼きを飲み込んだ俺は、逸る心を抑えて口を開く。


「マジで? ありがとう、えーと……」

「あたし、飛鳥(あすか)ノアです。留学生なので、同じ中学の友達とかいなくて、心細かったんですよ。隣同士、仲良くしてくださいね、安藤くん」


 にっこりと俺に微笑みかけるノアはまさに天使だった。その眩しい笑顔に見惚れ、これから始まる青春生活に思いを馳せていると、

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