一章 ②リストラ宣告

「それで、今日はどういったご用件でしょうか」


 七君主であるベルゼブブが俺の領地まで赴いてくる理由がわからなかった。必要があれば、俺を放送で呼び出せばいいだけなのに。

 ベルゼブブは眼鏡を神経質そうに持ち上げて俺を見た。

「おまえ、最後に仕事をしたのは、いつだ?」

 仕事。人間の魂を持ち帰ること。

「……えーっと、三年くらい前、ですかね……?」

 唐突に問われた俺は、曖昧に答えた。瞬間、ベルゼブブの目がぎろりと光る。

「誤魔化すな、十年だ! 最後に貴様が人間に召喚され、魂を持ち帰ったのは十年前! それも報告書によると、契約者の余命が少なく、わずかな魂ポイントしか得られなかったようだな!」


 ちなみに魂ポイントというのは、人間の魂を地獄に持ち帰った際に得られる数値のことである。ぶっちゃけ人間の魂には、悪魔の独断と偏見で決められた価値が存在する。例えば若くて容姿がよかったり、社会的身分が高かったりするとポイントが高い。逆に、社会に影響を及ぼさないニートとか余命の少ない病人だとポイントは低い。

 地上へ外勤する悪魔は、獲得したポイント数が成績となり、給与や賞与、身分が決まるのだ。ポイントを稼ぐ奴は出世するし、稼げない奴は貧困に喘ぐことになる。シビアな世界だ。


 おもむろにベルゼブブはパソコンを出した。俺のと並べるのが恥ずかしいほど新品だ。そのパソコンなら、OSが古くてエロゲができない、なんてことはないんだろうな……。羨望の眼差しを送っていると、ベルゼブブは画面を見つめ忌々しげな顔になる。

「貴様の成績を調べさせてもらったが、ひどいものだ。貴様が仕事をするのは、数十年に一回か。爵位のない奴でも年に数回は契約を取っているというのに、伯爵の貴様は何をしているんだ!?」

「しょ、召喚されたときに備え、日々、地上のニュースをチェックし、コミュニケーション能力向上のために人間の創作物に触れ……」

「パソコンで娯楽に興じていた、との違いを説明してもらおうか」

 看破され、俺は目を逸らした。掲示板を見てエロゲをして掲示板を見てを繰り返すのが、俺の日常だった。仕方ないのだ。だって――

「……指名がないので、他にすることがなく……」

「それは貴様自身のせいだろう。人間の望みを叶えられない悪魔に価値はない。私は魔術師たちが話しているのを聞いたことがあるぞ。アンドロマリウスは『正義』だから、役に立たないとな」

 その言葉は冷たく俺の胸に刺さった。

 ベルゼブブは薄い唇を歪め、俺を見上げる。

「正義の悪魔とは滑稽なものだ。聞けば、おまえはその役にも立たない職能を遵守しているとか、それでは人間に求められないのも無理はない」

「職能のせいじゃありません! レメゲトンの順番と俺の召喚運が悪くて……!」

「言い訳は結構だ!」

 ぴしゃりと言ったベルゼブブは、テーブルに手のひらを叩きつけた。その下には、白い紙がある。『退職勧告書』という文字が見えた。

「地獄も今や一万年に一度の大不況。ポイントも稼がず、最低賃金をもらい続けるばかりの給料泥棒を養う余力はない。先日の全王会議で、人件費削減のための大規模リストラが決定した。これは、おまえにだ」

「リス、トラ……?」

 聞き慣れない単語だ。四千年悪魔やってるけど、リストラなんてあったのか……。

「リストラされたら俺、どうなるんですか……? 無職? ニート?」

「地獄追放だ。早々に転職と引っ越し準備をするがいい。かといって、天界も早期退職者を募っているくらいだからな。転職が決まらず、消された奴も……おっと、これは機密事項だったな。気にしないでくれ」

 さらっと口を滑らせたベルゼブブを、俺は真顔で見つめた。

 何今の。超怖いんですけど。

 ベルゼブブは退職勧告書を指でトントンしながら、俺を煽る。

「こちらとしては、解雇される前に自主退職を強く推奨している。貴様も経歴に傷を付けたくはないだろう? 辞表を今ここで書くなら受け取るが。提出に行く手間が省けるぞ」

「ま、待ってください! そんなこと、いきなり言われても……!」

 そのとき、救いのようにその呼出音は鳴った。


 ピンポンパンポーン。

『お呼び出し致します。アンドロマリウスさん、ご指名が入りました。至急、地上への門(東の六六六番)にお越しください。繰り返します……』

  一瞬、誰の名前が呼ばれているのか理解できなかった。繰り返されたアナウンスでようやく俺は十年ぶりの呼び出しを自覚する。

「ほ、ほら! 呼び出しですよ! ちゃんと呼ばれてますよ、俺! 今リストラしちゃマズいんじゃないですかね!?」

 放送を続ける天を指す。睨むように俺と天を見比べたベルゼブブは、小さく舌打ちをした。え、なんで舌打ち?

「……いいだろう。ひとまずリストラの件は保留にしておいてやる。ただし、」

 俺は腕にいるレオンを促し、パソコンを吞み込ませた。こいつは無限喰間(インフィニティ・グラ)という能力を持っていて、身体のサイズに見合わないものでも吞み込み、吐き出せる。カバンとしては最高に優秀だ。

「もし契約が取れなければ、即刻リストラだ! 覚悟しておけ!」

 凄んだベルゼブブの声を背に、俺は自分の領地を後にした。

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