一章 サインの前に契約内容はよく確認しよう①こんな地獄は嫌だ

 世の中は理不尽だと思う。それは地上に限った話ではなく、地獄でも。


『カスタム制服美少女オンライン運営チームです。

 お問い合わせ頂いた件ですが、当ゲームはタブレット端末専用となり、お使いのOSには対応しておりません。ご了承ください』

 廃材をテーブル代わりに年代物のノートパソコンを睨んでいた俺は、ちっと舌打ちをしていた。これで何通目かわからないエロゲの非対応宣告メールである。

 腕に巻きついて一緒に画面を覗き込んでいた黒蛇レオンが、気落ちしたように頭を垂らしたとき、上空からピンポンパンポーンという放送音が響き渡る。

『お呼び出し致します。ベリアルさん、ご指名が入りました。至急、地上への門(西の四四四番)にお越しください。繰り返します……』

 本日三度目のベリアルの呼び出しだった。自分じゃなかったことに落胆し、俺は視線を画質の悪い液晶から周囲へと投げた。

 どこまでも続く、ぬばたまよりも黒い大地。決して光射すことのない澱んだ空。湿気を多分に含んだ大気は身体に纏わりつくように重く、硫黄と死臭が混ざったようなひどい臭いが鼻を刺激する。


 ここは地獄。悪魔のホームグラウンドだった。

 人間に呼び出されていないとき、悪魔はここで待機が義務付けられている。今から四百年くらい前までは悪魔は自由に地上へ行けたのだが、あまりにも人間界での所業が悪すぎると天界からクレームが来て、地上への門が潜れるのは呼び出しがあったときのみと制限がかけられてしまった。

 人間に直接、営業できなくなった悪魔の仕事は激減し、昨今の人類の科学技術発展も影響して大不況に陥っているというのが悪魔業界の現状だ。それでも、ルシファーみたいに知名度があったり、レメゲトン(世界最大級の悪魔召喚書)の最初のほうに紹介されている悪魔だったら話は別だ。一日に何度も指名が入る。


 俺の名はアンドロマリウス。レメゲトンに載っている悪魔七十二体のうち、七十二番目に紹介されている悪魔である。

 よく考えてみて欲しい。例えばタウンページなどで店を探すとき、まず最初のページから見ていくのが一般的であろう。誰がただでさえ読む気の失せる分厚い雑誌を捲り、わざわざ一番最後の店に連絡を取るだろうか。

 俺の場合も同じである。レメゲトンの最後に載っている俺は、そもそも人間の目に留まる機会すら少ないわけで。

 こんな理不尽が許されていることが腹立たしい。レメゲトンは毎年、悪魔の順番を入れ替えてしかるべきだ。


 ブン、と蠅が目の前を掠めた。それを追って顔を上げたとき、

「これが伯爵邸か。無様なもんだな」

 かつて立派な門があった場所に、闇色のスーツを着た男が立っていた。黒ぶちの眼鏡をかけ、いかにもできる奴みたいなオーラを出している。そのスーツにびっしりと蠅がたかっているのを認めた俺は、慌てて立ち上がった。

「ベ、ベルゼブブ王! お久しぶりです!」

 腰をきっちり三十度折って一礼。悪魔は厳格な縦社会である。地獄の支配者であるルシファーを筆頭に、七君主(取締役員)、王(本部長)、公爵(部長)、侯爵(課長)、伯爵(係長)、子爵(リーダー)……と続く。俺の階級は伯爵、ベルゼブブは七君主。緊張するのがわかるだろ?

 身体を強張らせる俺を、ベルゼブブは柳葉を思わせる細い目で一瞥した。

「挨拶はいい。それより、さっさとおまえの屋敷に案内してくれないか。まさかこの私に立ち話をさせるつもりじゃないだろう?」

「えっ、あ、はい、失礼しました。こちらへどうぞ」

 言いながら、俺の背には滝のような冷や汗が伝っていた。何故なら――

「こ、こちらにおかけください」

 示したのは、さっきまで俺が座っていた廃材。テーブルのパソコンをずざざざと端へ寄せる。

 エリートサラリーマンみたいなベルゼブブは薄汚れた廃材をしばし見つめ、

「……私を愚弄する気か、アンドロマリウス」

 低い声を発した。スーツを覆う蠅がぶわりと質量を増したのを見て、俺はぶんぶんと首を振った。

「と、とんでもございません! ベルゼブブ王を愚弄する気はこれっぽっちも……!」

「私は屋敷へ案内しろと言ったはずだが? 貴様には私を屋敷へ入れる気がないと……」

「ここが俺の屋敷ですよ! ほら、テーブルもイスもあるでしょう!? 他に何がいるってんですか!? そこに丸まっているのは布団ですよ! それを地べたに敷けばベッドになります!」

「……天井と壁が見当たらないようだが」

「天井!? 雨も雪も降らない地獄に天井が必要なんですか!? 壁なんてものは、住人が複数いるから必要なんですよ! 使用人もとっくの昔に解雇して一人暮らしの俺に、どうして部屋を区切る壁がいるんですか!?」

 ただの荒れ地でしかない領地を指しながら主張した。俺の力説(逆ギレ)にベルゼブブは納得したのか、ふん、と鼻を鳴らすと、廃材に腰を下ろす。

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