【悲報】俺が卵一個で残念な美少女と契約してた件【悪魔失格】
ミサキナギ
序章
その部屋に降り立ったとき、俺は自分の運のなさを嘆き、深いため息を洩らしていた。
鼻をくすぐる仄かな甘い乳香の香り。キャンドルだけで明かりを取った部屋は漆黒のカーテンに覆われ、一切の外光が遮断されている。黒く塗られた床には、細緻な魔法円が俺の足元を取り囲むように白墨で描かれていた。
この室内を見ただけで、今回俺を召喚した術師がいかに優れているか窺えるというものだ。
だが、当の術師は倒れていた。
うつ伏せになっているため容貌はわからないが、その男は三十代後半くらいに見えた。背中には刃物で刺されたような痛々しい傷があり、男の脈に合わせるようにドクドクと鮮血を溢れさせている。
「あー、こりゃ参ったなー……」
思わず独りごちる。腕に巻きついている相棒の黒蛇、レオンがドンマイと言うように細い舌で俺の首を舐めた。
と、術師の手が動いた。
俺が見守る前で、術師は震える左手で持っていたハシバミの杖を、果敢にも俺へ向ける。
「……神の、み、御名の元……我は、悪魔アンドロマリウス……命、じる。我の……に従い、我の願いを……聞き届け……」
「あのさ、頑張って言おうとしてるとこ悪いんだけど」
息も絶え絶えな声を遮って言う。彼の頭がわずかに横へ倒れ、漆黒の瞳が俺を映した。
「あんたの今の状態からして、契約書に目を通してサインできるとは思えないんだが。たとえ契約できたとしても、望みを叶える前にあんたの命は――」
みなまで言わず俺は術師を見下ろす。流れ出る鮮血は俺の靴を濡らしていた。ぬらりとした液体が侵食するように広がっていく。
ずり、と術師の腕が伸びた。握られた右手が魔法円の内側にかかる。
それは極めて危険で、魔術師としては失格の行為だった。いくら魔術師といえども所詮は人間。生身の身体で悪魔に勝てるはずはない。その悪魔を円の内側に閉じ込め、人智を超えた力から身を守るために引いた魔法円を自ら乗り越えるなど、正気の沙汰ではない。
だが、そんな重大な禁忌を犯したことにも気付いていないのだろう。彼は続ける。
「……頼む、正義の伯爵……だから、おまえに……この命で、我が娘を、陰謀の毒牙から護り……」
正義の伯爵、か。
俺は自嘲気味に苦笑を零した。確かに俺はそう呼ばれる。俺たち悪魔にはそれぞれ個性ともいうべき職能があり、それが俺は「正義」というわけだ。
けれど、それとこれは別だ。
「悪いな。俺もボランティアで悪魔やってるわけじゃないんだ。契約を結んだ人間の望みを叶え、その対価に魂を受け取る。それが悪魔の契約だ。もうすぐ死にそうな奴と契約はできない」
術師の強い瞳が懇願するように細められ、目蓋が落ちる。
それっきり、彼は沈黙した。
大人しくなった身体を前に、俺は、はあぁーと息をついていた。
「ついてねえな……せっかく久しぶりにまともな術師だったのに。なんで俺、こんな召喚運悪いんだろ。呪われてんのかな……」
ぶつぶつと呟きながら俺は地獄へ帰ろうとして、
カラン、と音がした。
術師を見ると、力を失った右手が開いていた。
床に落ちた金のロケットペンダント。足元に転がったそれを俺は拾った。五芒星と魔法円が刻まれた蓋を開く。
中にあったのは写真だった。五、六歳の女の子。ペンダントの中で、あどけない少女は慈愛の天使ガブリエルの微笑みが霞んで見えるほどに無邪気に笑っている。
ああ、そういえば娘とか言ってたな、と思っていると、術師の右手が微かに動いた。まだ息があったらしい。
俺は術師の手にペンダントを返そうとして、ふと、ある誘惑が胸の内に湧き上がった。
魔がさした、と言うべきだろうか。
それは正義とは言えない行為。契約もしていないのに一方的にこの消えかかっている魂を奪うなどと、正義を信条とする悪魔のすることでは、ない。
が。
俺は魔法円を越えてしまった術師へ手を伸ばし―――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます