第1章 王都編 第3話(2)

 団長室にはクラウディアと、ルベール、セリナ、そしてエメリアが待っていた。

「あれ……エメリア、もう帰ってきてたの?」

「あらぁ、クランツさんたらもしかしてエメリアちゃんの無事が心配だったんですかぁ? エメリアちゃん、嬉しいですぅ」

 エメリアは彼女の早い帰還に虚を衝かれたクランツを茶化すようにおどけてみせた。戸惑うクランツとエメリアのやり取りに、セリナは面白くなさそうな顔をし、ルベールは逆に面白がるような眼差しで小さく笑っていた。

「待っていたよ。早速だが任務の説明を始めたい。いいか?」

 その最中に、クラウディアの声が割って入った。クランツは目を覚まされたように気持ちが切り替わる。

「あ、団長……これ、記入終わりました。これって……」

「ああ、私が預かろう」

 クランツの言葉にクラウディアは応え、彼から確認用紙を受け取る。ざっと目を通し、ある一点にわずかに視線を留めると、クランツを見て薄く微笑んだ。

「確かに確認した。研修終了の暁には、君の希望も汲んで処遇を考えさせてもらうよ」

「は、はい。よろしくお願いします」

 クランツは彼女の言葉に背筋を伸ばして答えた。彼女の先程の意味深な微笑みはどこから来たのかが気になっていた。

 クラウディアはクランツの手首に目を遣り、そこに昨夜渡した腕輪があるのを確認した。

「腕輪はちゃんと着けてきているようだな」

「あ、それ測定器メーターだよね。もう媒介軸ターミネーター入ってるの?」

「だろうね。いよいよクランツも正式入団目前ってことか」

 それを聞いたセリナとルベールが自分達の当時を懐かしげに振り返る。

「あたしも研修終わりにそれ着けて任務に出たなぁ。大急ぎで王都中に届け物をしてほしいって依頼で、必死で走り回ってたら属性判定は『空』って出たのよね。それで走る力を高くする魔導器を作ってもらったんだけど、あたしのはそのまんまって感じで全然捻りなかったなあ。ま、あたしは走り回る仕事の方が合ってるからよかったんだけどさ」

「適性審査の修了任務は、その団員の特徴をよく見られるものが選ばれてるらしいね。僕は事務班希望でもあったから、オルガノ博士のところに送られて魔導器の修理を手伝ったんだよね。結局属性判定は『風』って出て、博士が適性武器の風銃を作ってくれたんだったな。君は事務能力には不足がないから戦闘力が必要だ、って博士に言われてね」

 入団当時のことを振り返りながら、ルベールが適性審査について思う所を口にした。

「確かに、あの人の適性の見方はちょっと意外な所もあったな。けど、結局はその団員に最も合ったものを用意してくれるみたいだ」

「作業自体と判定自体にはあんまり関係がないんですよぉ。魔力の特性っていうのは、その人個人の生体リズムの波長みたいなものですから、どんな力が出ても人それぞれってことです。だからそんなに難しく考えない方がいいですよぉ。ね、ゲルマントさん?」

「ま、そういうことだな。適性はお前さんが無我夢中で任務に追われてるうちに自動で測られる。ごまかしは効かないが、変に意識する必要もない。精一杯頑張った結果がそのままお前さんの適性として現れるだけってこった。あんまり難しく考えないでやれるだけやる、ってのがコツだな」

 さらにエメリアに話を振られたゲルマントが、クランツに先達としての心得を授けた。

「君の誠意ある全力を見せてもらう。楽しみにしているよ、クランツ」

「は、はい! 頑張ります!」

 止めのようなクラウディアのその言葉に、クランツは内から湧き出る熱い思いに乗せられ、大きな声で返事をしていた。敬愛する彼女からの期待を受けて、彼が奮い立たないはずがなかった。左手首に着けた腕輪が、彼の想いを引き締めていた。

 その様子を成長する子供を慈しむような目で見ると、クラウディアは眼差しを真剣なものに切り替えた。

「ではこれより、改めて今回の任務について説明する」

 クラウディアは決然と告げ、その場の五人の顔を視線の内に収め、説明を始めた。

「今回の任務の目標は、先に説明した通り、セフィラスさんの店を襲撃した犯人達の拘束だ。そしておそらく、その前段階として戦闘による制圧が必要になる」

 そう言ってクラウディアは王都の地図を取り出して机の上に広げた。

「エメリアが早くに情報収集を完遂してくれたおかげで、こちらはかなり動きやすくなった。彼女の情報から、すでに先の襲撃の犯人達とそのグループの拠点は特定済みだ」

 クラウディアはそう言うと、地図の一点を指差した。赤い目印がつけてある。

「彼らの拠点はここ、西街区の外れにある」

「何か……襲われた店より随分遠いですね」

「遠い方が居所を探られにくいからじゃない? それともあいつらが元々そこにいたからとか」

「たぶん後者だろうね。彼らの性質からして、たむろする場所を拠点としてたところに、おそらく彼らの言っていた役人からの『依頼』が来たんだと思う。セフィラスさんの店が彼らの拠点と遠かったのは、単なる偶然だと思うよ。……それにしても、空間転移の魔術でこの距離を戻られたんじゃ、探すのに難儀するわけだ」

 クラウディアが指差した拠点の位置について、クランツ、セリナ、ルベールが意見を交わす。続いてクラウディアが作戦要員について話そうとするのを先回りするように、エメリアが進言を入れた。

「あのぉ、お嬢様。こんなことを申し上げるのは大変失礼かもしれないんですけどぉ、あのごろつきさん達だけでしたらエメリアちゃんは一人の方がやりやすいですぅ。他のお仕事とかもあるでしょうから何人か付いていただけるのは助かるんですけどぉ、制圧っていうことでしたら動きにくくなっちゃうので、そんなに大人数は要りませぇん」

「む……だが敵は毒系魔法武器を持っている分危険であることには変わりはないだろう。万が一の可能性を考えて、せめて信頼のおける応援ぐらいはつけて行け」

 クラウディアの言葉に、エメリアは、うーん、と悩むふりを見せながら、その場にいたクランツ、セリナ、ルベールを見回し、得心したようにパンと手を叩いた。

「そうですねぇ。それでしたらやっぱりこの場の皆さんにお願いしますぅ。皆さんはもうこのお話に足を突っ込んでおられますし、一番お話が回しやすいんじゃないでしょうかぁ。戦闘以外のお仕事も任せやすそうですし、皆さんならエメリアちゃんもお仕事しやすそうですぅ」

「あんたに言われなくても、あたし達は元々そのつもりでここに来てんのよ。ま、そういうことならあんたの力も貸してもらうってことね」

「そうですね。どういう分業をするかにもよりますけど、彼女がそう言ってくれるなら作業の効率も上がるかもしれない。これくらい少数なら動きやすそうですし、僕の方もそれで異存はありません」

 エメリアの提案に、セリナとルベールは揃って同意を示す。クランツに関しては、今回自分がどういう仕事ができるのかが判明していないため何も言えなかった。彼らの実力は信頼できるが、自分抜きで話がどんどん進んでいることが少し不安ではあった。

 クラウディアは何やら思案に入っていたが、やがて組んでいた腕を解くと、言った。

「そうだな。ここは私も行こう」

「え⁉」

 唐突に告げられたその提案に、クランツ達は度肝を抜かれた。同時に、クランツの中に複雑な思いが生まれた。

「だ、団長」

「何だ、クランツ」

「その……何で団長も来る、いや、来てくれるんですか?」

 クランツは思わず口に出さずにはいられなかった。一任務に団長直々に出動というのが意外だと思ったのもあったが、その他にも、自分の試験でもある任務に彼女が力を貸してくれることへの畏れ多さや、それと同時に「自分の力だけでやり遂げてみせたい」といった少年らしい自負の感情などが混ざり合ってもいた。

「決まっているだろう。君を守るためだ」

「え……」

 真っ直ぐに告げられた言葉に、クランツの息が一瞬止まる。

 だが酷なことに、クラウディアの答えは、クランツをひどく傷つけることになった。

「もちろん、私は保険として同行する程度だ。本来なら君達に任せたいところだが、今回は相手が相手だからな。クランツもいることだし、新人の彼の安全と不測の事態も考えると、少し不安が残る。院長先生から君の身を預からせてもらっている者として、君を下手な危険に晒すわけにもいかないからな。危険と見れば私がフォローしよう。念のためだ」

 不安。

 クラウディアは事実としてのことを告げ、またそれはクランツの安全を守ろうとする彼女の思惑からすれば全く正当だったのだが、それはクランツの自尊心を抉った。

 暴徒の鎮圧は、実働班の実際の任務として普通に有りうるケースのひとつである。確かに危険性が高いと判断された場合には保険戦力としてクラウディアやゲルマントなどの実力者が出動することもあるにはあるが、基本的には担当の団員に任せられる。つまり、よほどの危険でもない限り、わざわざ団長であるクラウディアが出動することは少ない。

 そして、自らが出るというクラウディアのその判断は、敵の危険性とは別なものによるものであるようにクランツには思えた。つまり。

 僕らだけじゃ不安? それってつまり、経験の浅い僕が不安材料やくたたずってことじゃないか?

 実際にクラウディアにそのような感情はなかったのだろうが、クランツにはそう聞こえてしまった。その考えに陥った時、クランツはどうしようもない悔しさに苛まれた。結局自分は、普通の任務も任せられない役立たずということか。

(僕は……ただの荷物か……っ!)

 やっと、彼女の力になれる所を見せたかったのに。

 クラウディアの「気遣い」に、自分はまだ、彼女を助けるどころか、彼女に助けられる身でしかないことを、クランツは痛感させられることになった。

「団長は……僕を、信頼してくれないんですか」

 零すように口にしたクランツに、クラウディアは諭すような口調で告げる。

「クランツ。勘違いするな。危険に意味もなく自ら飛び込んでいくことを勇気とは言わないし、無謀な危険に大切な人が飛び込むのを黙って見送ることを信頼とは言わない。下手な危険に軽々しく踏み込んで君が死んだりしたら、その損失はどうやっても償えない。何より、君は私が救った命だ。死なれては私が困る。命を大事にしなさい」

「っ……!」

 死んでほしくない、と暗にクラウディアの口から聞いたクランツは激しく胸を打たれた。だが彼女のその心遣いが、自分を示したい思いと衝突する。

 唇を噛み目を伏せるクランツに、クラウディアは心配そうな顔で口にする。

「君はまだ研修生だし、可能な限りの安全を期することは君の身を預かる者として当然の義務だ。もし無理だと感じるなら言いなさい。急いて身を削っては元も子もない」

「いえ……すみませんでした。行けます」

 危うく作戦から外されそうになったクランツは、せめてものプライドを守るためにそう答えざるを得なかった。彼女が自分を心配してくれているのは事実だし、目をかけてくれているというそれは嬉しいことでもある。それに自分のわがままで「一人でやりたい」などということが言えるわけがない。

 だがそれゆえに、クランツの胸はクラウディアに良くも悪くも「心配されている」ということのせめぎ合いで痛くなっていた。真っ直ぐな想いで見つめてくるクラウディアの真摯な眼差しが、クランツの胸を刺してくる。

「大丈夫だ。君は私が守る。それにあまり大人数を君一人のために割くよりは、私一人が保険に入るくらいが君の試験のバランスから見てもちょうどいいだろう。だから君は心配しないで、自分の任務に取り組みなさい。私も現場の様子見にもなってちょうどいいしな」

「……はい」

 クラウディアの立場としての純粋な優しさに、クランツはますます打ちひしがれていく。

 クランツのそんな様子を気遣わしげに目に入れつつ、クラウディアは説明を再開した。

「襲撃があったことで警戒を強めている可能性は高いだろう。彼らの気質からして、逆上してさらなる行動に出ないとも限らない。これ以上の暴挙を許さないためにも、早急に手を打つ必要がある。準備が終わり次第早速出動するぞ」

「……っ」

「了解しました、団長」

「お嬢様の意志でしたら、エメリアちゃんは何も申し上げることはありませぇん。ぱぱっといってちゃちゃっと帰ってきちゃいましょう」

「セフィラスお婆ちゃんの敵討ちだもんね。張り切っていくよ!」

 彼女の勅命に、ルベール・エメリア・セリナが三者三様の返事を返す。対し、クランツはクラウディアの提案に胸が重くなって、言葉を出せないでいた。

「んじゃまあ、任務の詳細についての説明はそれでよし。ってことで次は俺の話か、クラウディア」

 そこで、彼らの話を傍観するように聞いていたゲルマントがようやく話に入ってきた。

「ええ。よろしく、ゲルマント」

「はいよ。で、何の話だって?」

 話を聞く姿勢を取ったゲルマントに、クラウディアは事情を話した。

「既にサリューから聞き及んでいると思うけれど、今回の襲撃者には裏で糸を引いている存在がいる可能性が高いの」

「裏ねえ……大方、王城でその探りを入れてみてくれってとこか?」

「ええ。エメリアが偵察の際にそれらしき人物と遭遇したらしいわ。エメリア、写真を」

「はぁい」

 クラウディアの言葉に応え、エメリアは映写機を取り出して、昨夜撮影した映像を映写した。暗闇の中、黒い僧衣に身を包んだ老人の姿が空中に映される。

「このような方に見覚えはありませんかぁ?」

「んー、どれどれ……」

 ゲルマントは映写された映像を眺め、しばし自分の中の記憶を漁っていたようだったが、やがてうーむ、と唸って顔をしかめた。

「悪いが、顔が隠れすぎてて判別できんな……あいつとの連絡役で国府の人間と顔を合わすことは多いが、俺の記憶の大きな部分じゃ、こんな悪人面した目元の奴は一人しか思い当たらん」

 ゲルマントのその見解に、周囲から総ツッコミが入る。

「一人しか思い当たらん……って、いるんじゃないですか」

 ルベールの指摘に、ゲルマントは渋い顔をした。

「いや……確信はない。それに、俺の知ってるそいつがこんな所に来るとは思えん」

「記憶の漁り方が足りないんじゃないですかぁ? もっと奥まで探ってみてくださいよぉ」

「記憶の大きな部分ってそもそも何よ。だったら小さい部分もあるってことじゃないの?」

「うるせえな小娘たち。揃っておっさんを責めるんじゃない」

 エメリアとセリナの集中攻撃を、ゲルマントは軽くあしらった。彼は実働班長という立場でありながら変に固い所がなく、気さくで親しみやすい人柄をしている。気品のあるクラウディアや大人の雰囲気ムードを漂わせるサリューとはいいバランスを持った人間だった。

「手がかりはどんなものでもあるに越したことはありませんよ。誰なんですか?」

 ルベールの催促に、ゲルマントは参ったように頭を掻くと、渋々というように言った。

「ベリアル・クロイツ。この王国の宰相だよ。そんな奴がこんな端までノコノコ出てくるとは思えん。わざわざ足をつけさせるようなもんじゃねえか。あいつがそんな下手を打つとは思えんしな。どう考えても影武者がいい所だ。あいつ本人って可能性は限りなく低いと思うぜ。エメリア、お前が対峙した時、その野郎は何かブツを持ってたか」

「はぇ? あ、はい、金色の銃を持ってエメリアちゃんにこれでもかって撃ち込んできましたよぉ。こんないたいけな女の子に何発も撃ち込むなんて、ホント乱暴なお爺さんだったんですからぁ」

 これ見よがしに頬を膨らませてみせるエメリアを脇目に、ゲルマントは推理を深める。

「だとするとやはり幻像ってセンは消えるな。だがあいつがわざわざここに来る目的は何だ? 実際にごろつき共との取引があったとして、足を掴まれる危険をあいつが予期していなかったとは考えられん。それとも本当にあいつがこんな下手を打ったってのか……?」

 不可解な状況の袋小路に入りかけるゲルマントに、ルベールが口を挟んだ。

「あるいは、その状況効果を利用しているのかもしれないですね」

「何?」

「ベリアル宰相のような大物が、こんな末端の場所にやすやすと姿を見せるわけがない――宰相は、その心理を利用していたのかもしれないです。あり得ないこととして、その可能性が普通の判断の中で揉み消されるように。正体がはっきりしていないなら、事実を撹乱する効果はあるはずです。それかあるいは本当に本人が出向くことで、何らかの目的のためにわざと足をつけさせようとしているのかもしれません。随分と危ないやり方だとは思いますけどね」

 ルベールの推理に、ゲルマントは参ったかのように重い息を吐いた。

「なるほどな……釣りを仕掛けてる可能性もあるって訳か。さすがはあの狐ジジイだ。セコい知恵は馬鹿みたいに回りやがる」

「でも、そうですねぇ。あのお爺さん、手を抜いていたとはいえけっこう本気でエメリアちゃんを消しにかかってましたし、やっぱり秘密の隠蔽は必要だったんじゃないでしょうかぁ。だとすると、やっぱりあれはご本人様だったセンが濃くなってきますねぇ。企みがうまくいったのか下手を打ったのかよくわからない結果になってますけどねぇ」

「状況だけでは真実の判断ができない、ということですか……」

「それもあのジジイの狙いなのかもしれんな……ったく、引っ掻きまわしやがって」

 ゲルマントは頭を掻くと、複雑になって来た状況を考えて、言った。

「だがもしこれがあいつ本人だとしたらかなりデカい尻尾を掴んだことになるが、かといって直接談判に行くにもこちらの手持ちが少ない。あの狐ジジイのことだ、探りを入れようにも適当な筋をつけて躱されるのが関の山だろうな」

 クラウディアはその言葉を聞き、微かに目元を険しくする。

「そう……手がかりは十分に得られたけれど、それではこの先が繋がりにくいかしら」

「なに、探る手がないってわけでもねえさ」

 彼女をフォローするように、ゲルマントは軽い調子で言った。

「ちょうど今日はあいつへの伝令の日だ。伝言ついでに暇があったら少し城内をうろついてみてやるよ。何か手がかりになるものが見つかるかもしれん」

「そう……助かるわ。ではすまないけれどよろしく頼むわね」

「いいってことよ。それよりお前らは自分の任務に集中しな」

 ゲルマントのその言葉を区切りに、クラウディアは凛とした目でクランツ達を見た。

「よし。各自、準備を整え次第出動するぞ」

「「「了解!」」」

 クラウディアの鶴の一声を受け、自警団の面々は威勢よく返事を返した。

 ただ、最も意気揚々となるはずだったクランツの返事には、完全に覇気が抜けていた。

 その様子を、そこに至る彼の心情を、彼の隣にいたルベールは見抜いていた。

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