第1章 王都編 第2話(3)

 クランツがクラウディアとのそんなやり取りを経て、意気揚々と眠りにつく頃。

 夜の街を駆けていたエメリアは、早くも犯人の尻尾を掴みかけていた。

 自警団の中では「愛され系小悪魔美少女メイド(自称)」のポジションを確立(?)している彼女であったが、その裏、隠密としての彼女は凄腕だった。常人離れした感覚能力と冷静な思考能力、それらから来る卓越した情報収集・判断能力。そして単騎での戦闘力。その可愛らしい外見からは想像できない内なる力を秘めた裏の顔を彼女は有している。

 彼女はまず渡された情報を確認してから、町全体を把握できる高い場所、中央広場の建物の屋根に登り、意識を集中、耳を澄ませた。彼女は耳が良く、聴覚を研ぎ澄ませれば、半径30レングス距離以内の声を一つ一つに至るまで聞き分けることができる。先に聴いた証拠音声の中の声を町の中から耳で、声質や口調などを踏まえて聞き分け探し出す。少しずつ聞き取るポイントを変えながら声の捜索を続け、やがて西街区の外れまで来た辺りで、該当する声を感知した。方角の見当をつけて、高所から猫のように飛び降り、音もなく着地、走り出す。

 声は一所に固まっており、どうやら拠点のようらしい。

(よかったぁ。街を走り回って一人ずつ探す手間が省けましたねぇ)

 エメリアはそんなことを考えながら、宵闇の満ちていく街路を音源の元へ走る。

 声のしたそこは、事件現場からはかなり離れた、西街区の外周の閑散とした区画にある、さびれた一軒の石造りの酒場の跡だった。王都内でもはぐれ者の溜まり場として知られ、自警団員以外の一般住民はなるべく出入りを避けようとする、荒んだ区域だ。

 エメリアは声のする建物から少し離れた物陰に隠れ、気配を殺して様子を窺う。

 建物の中からは鈍い明かりが漏れ、時折下卑た笑い声が聞こえてくる。その笑い声を事前に覚えた犯人のものと照会して、エメリアは間違いない、と判断した。

(さて、どうしましょう……場所の特定、という任務ならもうこれで引き上げてもよさそうなものですけど……)

 そう考えたエメリアは、何かを思いついたように悪戯っぽく、ふふ、と小さく笑った。

(やっぱり、これだけじゃ面白くありません。幸いこちらに気づく様子はなさそうですし、もう少し様子を見てみましょうか)

 そう心中で判断したエメリアは、腰のポーチから小型の映写用魔道具を取り出した。証拠撮影・情報記録用の道具、いわゆるカメラだ。情報収集に携わることも多い彼女の任務携行用のそれは、映像拡大/縮小、その他様々の機能も持つ。

 映写機を起動させ、エメリアは気配を消しながら音もなく酒場に近づく。

 エメリアが窓から空き家の中を窺うと、さらにいくつかの情報を手に入れた。

 中にいるのは視認できる範囲で7人、全員男。事前に知らされていた情報と同じである。酒瓶を置いたテーブルを囲み、何やらくだらない話をして下品に笑っている。光源はランプ型の魔道具が三か所に配置してあり、奥の方には黒い布に覆われた箱のようなものが置いてあった。彼らの手元には鈍く光る鉄槍や銃などの武器が投げ出されており、おそらくあれが裏取引で手に入れた危険な魔導武器の類でしょうか、とエメリアは見当をつける。そして、気配を殺しているとはいえ、窓からこっそり覗いている彼女に誰も気づかないところから、やはりそこまでレベルの高い相手ではなさそうだった。

 気付かれていないのをいいことに、エメリアは壁に耳をつけ、中で交わされている会話を聞き取ろうと耳を澄ませた。

「にしてもよぉ。一体何だったんだろうな、あいつ」

 哄笑が収まった後に、男の声が一つ。

「あいつって?」

「バカ、あいつっつったらあいつしかいねえだろ。俺らンとこにいきなり来て『革命の時が近い』だとかなんとか抜かして取引を持ちかけてきたあの役人のことだよ」

「あー、あのジジイか。『力が欲しくないか』だったか? 今考えると胡散臭すぎだよなぁ」

 重要な情報の予感に、エメリアは聞き漏らすまいと神経を集中させる。

「強力な魔道具をタダで分けてやるうえに、自分の権力で俺らを守ってやるから、代わりに頼み事を聞いてくれ、か。よくあんなの信じたな、ティーズ」

「ああ、あれか。あそこまで舐められて黙ってるわけにもいかなかったからな」

 別の男の声に、座の中央に居座る男がゆるりと首をもたげた。声の質から、資料にあったティーズという男だとエメリアは確認する。会話の流れや事件時の状況からして、この集団のリーダー格であるらしい。

「確かに胡散臭いとは思ったが、何よりその場で証拠のブツを渡してきたんだ。俺らを摘発する魂胆でもあるならこんな回りくどいことはしねえだろ。あんな大役がこんな所まで出張ってここまでやったハッタリだったらむしろ感心ものだけどな」

 違いねえ、と笑いが巻き起こる。

「さんざん舐められたのは癪だが、うまい話がのこのこ寄ってきたんだ。ここは素直に頂いとくのが吉ってもんだろ。それに、あいつの行動にもちゃんと裏があるんだよ」

 ティーズの口にした言葉に、疑問を感じた一同は耳を傾ける。

「あいつの頼み事ってのは、あの魔女のババアを殺して、こいつで魂を回収した後、なるべくド派手に大暴れして魔女に関わることのイメージを悪くしてくれってことだった。これにはちゃんと事情があるってことだ」

 左手の指輪を見せつけながら語るティーズの言葉を、エメリアは漏らさず聞いた。

(役人さんの依頼で、魔女を襲撃、魔女のイメージダウン……魂を、回収?)

 一つ一つ、情報を記憶に刻み付ける。どうしても引っかかる情報が一つあったが、言葉が続くのを聞くと、その吟味は一旦後に回して、情報収集を続けた。

「今、この国は帝国との緊張状態の真っ只中だが、例の魔導金属と魔導兵器の開発で、王国は次第に有利になってきてる。聞いた話じゃ、敵の帝国を盛り返す勢いだそうだ」

「マジで⁉」「すげえ!」

 ティーズの得意げな説明に不良達が感心の声を上げる一方で、エメリアはその阿保っぽさに内心呆れながらも認識を改めた。戦場の現状は、少なくとも何らかの情報に触れていなければ知ることはできない。件の役人から聞いたにしても、どこまで情報が割れているのか。事は思っていた以上に深い所に関わっているものかもしれない。

 エメリアがそう憶測を進めていた所に、ティーズの口から無視できない情報が飛び込んできた。

「でな、今国の奥の方で、戦争を終わらせるためのでっかい兵器を作ってるんだそうだ」

「でっかい兵器?」

「そう。国一つを一撃で吹っ飛ばせるほどの威力らしいぜ。魔女の魂を集めてるのもそのためなんだと。俺らはその計画――《革命》の尖兵なんだとさ。あいつの計画が成功すれば、俺達は王国の窮地を盛り返すその計画の立役者だ。そのための力も守りも与えられてるし、たとえぶち込まれても俺達の身柄は保証してくれるときた。手先として動くのが癪なことを除けば、いいことずくめだ」

 ティーズの言葉のスケールの大きさに一同が息を呑む。

(強力な兵器……そのために、魔女の魂を集める……?)

 一方でエメリアは、ティーズの口から発された事実に背筋を寒くした。

 兵器と魔女の魂、その言葉の関連から推測できることのおぞましさというだけではない。自警団の情報員として、業務に関わるもの以外にも様々な情報を日頃から集めてはいるし、戦況が王国の有利に傾いていることは知っていた。だが、今耳にした事実――国家機関の上位機密クラスの情報がこんな末端のごろつきに流出しているというのか。だとしたら、情報の重大性以外にも、これはゆゆしき事態だった。

「ってことは、ティーズ。さっき言ってたネタってのは……」

「ああ、そういうことさ。次に狙い目なのは、あのギルドの女だってことだ」

 野太い声――声質からするに、資料にあったディングという男だろう――に対し、ティーズは忍び笑いを漏らしながら明かした。

「あの『紅勇』の団長の他に、たしかもう一人、『青聖』っていう女もいる。ギルドにも目を付けられちまったし、因縁が付いた以上、これはもうやるしかないだろ」

「でもよぉ……相手は七年前の戦役の時の英雄だろ? 俺達でやれんのか?」

「それに、俺達殺しやっちまったし、捕まったら俺ら――」

「あんだぁ、ビビってんじゃねえよお前らぁ! あんま腑抜けた口叩いてっと脳天ぶち抜くぞコラァ!」

 いきなりエキセントリックなキンキン声が響き、その場の反論を黙らせる。おそらく資料にあった最後の一人、ゼルだろう。完全に良識を失っている声だった。

「へっ、なあに、心配することはないさ。俺達には力がある。あいつから大量に貰った魔導武器と、あの役人のジジイの後ろ盾がな。それに、もう片足突っ込んじまってるんだ。やっちまった以上今さら後には退けねえだろ。どうせ俺らには他にやることもねえんだし、毒を食うなら皿までだ。どこまで暴れられるかやってみようじゃねえか」

 ティーズは鈍色の銃を弄びながらそう言って一同の不安を鎮めると、煽るように言った。

「それより、次のターゲットにはあんなにいい女が二人もいるんだ。ババアを殺した気分直しに、あいつらをどんなふうにイかすか考えようぜ」

 二重の意味を含んだ淫猥な隠語に、一同が揃って下卑た笑いを漏らす。

(なるほどぉ……この方達、だいぶ酔っぱらってらっしゃいますねぇ)

 それがエメリアの印象だった。常識的なブレーキがあるのならばいくら不良とはいえそう易々と人を殺したりなどはしないだろう。彼らはその良識の境を見失っているようにエメリアには感じられた。酔っぱらっている、というのはそれを揶揄した言い方だった。

 エメリアはそこまで聞いて、状況を頭の中で整理した。

 不良達の常軌を逸した行動、それを導く後ろ盾。裏ルートで流通する魔導武器。帝国との戦況を決定づける強大な兵器の開発計画。そのために魔女を犠牲にしようとする国府の裏側の動き。国家機密クラスの状況が関与する陰謀。そして――「革命の尖兵」という話。

(大変ですぅ……事態も事態だし、このままじゃギルドにいるお二人が危ないかも……)

 実際に考えれば、この程度のごろつきが束になってかかってもクラウディアを倒せるわけもないのだったが、エメリアは事態の大きさから不安がいつも以上に膨らんでいた。

(サリューさん達の言ったとおり、どうやら裏がありそうなのは間違いなさそうですねぇ。もう少し張っていれば、何かもっとおっきなシッポがつかめるかもですけど……)

 エメリアはそこで再び状況を判断する。犯人の特定は完璧な上に、重要な情報をいくつも聴き出せた。あとはここで離脱して報告に帰るか、さらなる収穫――彼らに裏で糸を引いている役人の情報がつかめるまでもう少し待つか。

 エメリアは頭を悩ませかけた。しかし、その悩みは長くは続かなかった。

「そこで何をしているのかな、お嬢さん」

「!」

 呼びかける声に振り向く間もなく、ゾクリと全身を駆け抜けた怖気による反射からエメリアは大きく上空に飛びあがった。間一髪、彼女が身を潜めていた地点に銃声が響く。

 さらに追撃してくる銃口から、エメリアは建物の壁を蹴って空中に舞い、空を蹴って一気に接近、鋭い飛び蹴りを放った。男は身を引き、その美しくも鮮烈な一撃を躱す。

 エメリアは猫のように着地して態勢を整え、身構えながらその男と間合いを計った。

 全身を覆うローブの色は夜闇を凝縮したように黒く、亡霊のような幽気を纏っている。体型は幅広の服に隠れて判別できないが、顔面まで覆う刺繍入りの布の隙間から唯一見える目元に刻まれた皺から年を取っていることが推察できた。暗闇に溶け込むようなその姿は、幽界の中に彷徨う隠者を彷彿とさせた。

(うわぁ……これは当たりですねぇ。探す手間が省けてラッキーですぅ)

 エメリアは警戒を解かずに、しかしいつもの調子で老人に答えた。

「お待ちしてましたぁ。一拍遅れてしまいましたがお答えしますと、あなたのいらっしゃるのを待っていたんですよぉ」

「おや、これは異な。まるで私がここに来ることがわかっていたようだね。君は一体何者かな」

「通りすがりの美少女メイドですぅ。わけあって名乗りませんが、どうぞお見知りおきを~」

 双方、軽口ながら緊張感に満ちたやり取りが交わされる間に酒場の中が騒がしくなる。今の銃声に気付いたらしい。

 事が大きくなる前に、とエメリアは老人に問いかけた。

「時間がなさそうなので、騒がしくなる前にお答えくださぁい。あなたは何者ですかぁ?」

「これは失礼。だが、私も生憎と名前を明かすわけにはいかない身分でな。それに――」

 老人は不敵に笑うと、銃口をエメリアに向けた。全身から静かな敵意が漂ってくる。

「冥土の土産には、そんな話ではいささかつまらなくはないかね?」

「メイドの土産ですかぁ……お爺さん、冗談がお上手ですねぇ」

 うふふ、とエメリアは冗談めかして言いながらも、思考を戦意に研ぎ澄ませ始める。この老人、未知数ではあるが、全身に纏う空気の密度からして、只者ではなさそうだった。

 そこに、酒場の中から不良たちがぞろぞろと現れてきた。全員、鈍く光る槍や小銃などの武器を持っている。彼らは対峙している老人とエメリアを見ると、最初に驚きを見せ、次いでエメリアのメイド姿と場の空気とのそぐわなさに呆気にとられたような顔をした。

「おい、ジジイ! 何があった?」

「やあ、君達か。見ての通りだ。こちらの可愛らしいお嬢さんが、君達の会話を盗み聞いていたようだよ」

「何だと……?」

 不良の質問に老人がそう答えると、一同はざわめき、次いで注意をエメリアに向ける。老人はそれを見取って、言葉を継いだ。

「重大な情報を聞かれてしまったかもしれない。そこのお嬢さんが何者なのかは知らないが、機密を知られてしまったのなら黙って帰すわけにはいかないだろう」

 そして、不良に向けて扇動するように告げる。

「そこのお嬢さんの口を塞ぎなさい。うまくやれば、追加で報酬を与えよう」

 老人の提示した条件に不良たちは色めき立ち、すぐにエメリアを取り囲む。多人数で一人を囲むのは、彼らに取って絶対有利の鉄則だ。

「おいコラァ、なーにをコソコソと盗み聞きなんてしちまったんだぁ」

「さっきの話がばれてるんなら、生かして帰すわけにはいかねぇなあ」

「よく見りゃ随分カワイイじゃねぇか。口がきけなくなるまで可愛がってやるよ」

 ごろつき達が下劣な感情を露わにエメリアをなじる。視線と敵意が集中する中、

「やぁ~ん、そんなにジロジロ舐め回すように見ないでくださぁい♡ そんなナメナメされるみたいに見つめられたら、エメリアちゃん、発情しちゃいますぅ」

 エメリアは恐怖感一切なく、ぶりっ子モード全開でこれ見よがしにしなを作ってみせた。

 不良達にとってこの状況でそれはからかいや色仕掛けよりも、挑発に見えたようだ。

「ああ⁉ 何だテメエ、ナメてんのかゴルァ!」

 一人の怒声を皮切りに、男たちがじりじりとエメリアに距離を詰める。

「なめ回そうとしてるのはあなた達でしょぅ。もうぅ、野獣さんなんだからぁ」

 エメリアは、小悪魔めいたプリティヴォイスのまま、

「でも、すぐに地面をなめ回すことになりますけどねぇ。野獣なだけに?」

 悪魔のように赤い光を灯した瞳をキラリと光らせて、殺然と言い放った。

 直後、微かな地面を蹴る音と土煙を残して、エメリアの姿が消えた。

「⁉」

 不良達が標的を見失い、きょろきょろと周囲を見回す。

 その姿を再び捉えられるよりも早く、深青の夜空を背景に宙を舞うエメリア。白金色の髪が月の光を受けて、鱗粉のような光を暗闇に振りまく。

「ぐがっ⁉」

 不良の一人が天空から降ってきた強烈な踵落としを脳天に喰らい、気を失っていた。

 天空から一撃を見舞ったエメリアは脳天に落とした踵を力点に、蹴りの反動を生かして空中でくるりと華麗に宙返りし、もんどりうって倒れる輩の背後にすたっと着地、そして、

「エメリアちゃんは女の子を弄ぶ輩さんは嫌いですから、許しませんよぉ!」

 気合一声、怯んだ不良達に猛攻を仕掛けた。

 エメリアは俊敏な動きとしなやかな身のこなしで不良たちを翻弄し、容赦のない一撃を見舞っていく。掌底、肘鉄、ハイキック、横回し蹴り、金的、踵落とし、ムーンサルトキック。エメリアは夜の街路に舞うように戦い、ものの十数秒ほどで、七人いた不良はなす術もなく地に倒されていた。可愛らしい外見に似ず、その実力はまさに圧倒的だった。

「はい、チーズ♡ ……ふぅ。ちょっとやりすぎちゃいました。でも、これでゆっくりお話ができますねぇ」

 抜け目なく映写器で不良の写真を撮影すると、エメリアは老人の方に向き直った。

 老人は倒れている不良達を見回すと、感心したようにエメリアに言葉をかけた。

「まだ若いだろうに、見事な腕前だ。敵にするのが惜しいな」

「お褒め頂き光栄ですぅ。エメリアちゃんはまだまだピッチピチの現役ですからぁ、皺くちゃのお爺さんに後れを取るわけにはいかないんですよぉ」

 対してエメリアもいつもの調子で返す。老人はそれを聞いて、ふふ、と小さく笑った。

 そのまま二人の間の空気に隙間が生まれる。それを好機と見て、エメリアは再び老人に話しかけた。

「お邪魔さんがいなくなったところで、改めてお話を伺わせていただきたいんですけどぉ」

「今のような光景を見せられては、少々自分の身の安全が危ぶまれるのだがね」

「またまたぁ、ご謙遜しちゃってぇ」

 老人の冗談めかした言葉に、エメリアも茶化すように返した後、大きな金色の瞳をきらりと光らせた。この老人の実力は、推し測れる限りでもこの不良達とは比較にならないほど上だろう。まさしく謙遜、あるいは油断を誘う話術だ。

「ご心配には及びませぇん。今日のところはあなたをとっ捕まえるために来たわけではありませんのでぇ。その代わりに、あなたにいくつかお聞きしたいことがあるんですぅ」

「今日のところは、か。どうやら私は尻尾を掴まれたようだな。下手を打ってしまったか」

「お生憎ですがご賢察の通りですぅ。この可愛いメイドちゃんのお願いに免じて、あなたの素性について色々教えてくれませんかぁ? こちらからは何もお渡しできませんけどぉ」

 そう言うエメリアの目は、獲物を狙う猫のように油断なく爛々と光っていた。老人も彼女の実力を感じ取りながら、悠々とした調子を崩さすに言う。

「ふむ。見かけによらず随分と豪胆なお嬢さんだな。だが、君はどうやら我々の計画の反抗分子のようだ。残念だがこちらもこの情勢で敵に易々と渡せる情報はないのだよ」

 そう言った途端、老人の全身から放たれる威圧がエメリアに押し寄せる。どうやら話し合いの余地はないということらしい。エメリアは露出している二の腕の肌が威圧の空気にピリピリと震えるのを感じながら、しかし気勢を乱すことなく冷静に身構えた。

 老人が鋭い猛禽のような目でエメリアを射抜くように捉え、銃口を向ける。

「撃たれるかもしれない覚悟で、私に話を訊くかね?」

「よろこんで♡」

 エメリアがパァッとスマイルでそう返した直後、戦いの火蓋は切られた。

 老人が白銀色の拳銃の引き金を引いた瞬間、目を光らせたエメリアは神業的な反応で身を躱し、軽い身の踏み込みで一気に間合いを詰めた。そのまま疾走の勢いを乗せた蹴り上げを繰り出し、老人の右手にある銃を蹴り飛ばそうとする。

 常人――先ほどまでの不良程度の相手なら反応すらできないスピード。だが、老人はその鋭い蹴り上げを、咄嗟に体を右回りに旋回させてかわした。一瞬、幻影のように残像が残る。続いて、老人の左手がローブの中で微かに光ったのをエメリアは見た。

「!」

 攻撃を避けられたエメリアは、直感的に危険を察して大きく跳び退った。間一髪、彼女がいた場所に白い光の粒子がどこからか収束し、小さく炸裂する。

 あの場に留まっていれば光の爆発に巻き込まれていた、とエメリアは内心肝を冷やしながらも、見るべきものを見た。

 老人がローブから外に出した左手には、黄金色の指輪が嵌めてあった。先の挙動と現象からしても、あの炸裂を引き起こした力が老人の左手にあったと考えるのは想像に難くなかった。

(白金色……色彩系統からするに、光か空間属性の魔導器アーティファクトですね)

 エメリアは目にしたものから、即座に先の現象を看破した。

 魔導器とは、魔導金属により作られた魔道具の一種であるが、主に道具としての使用ではなく、魔法の本来の力――魔術を行使するためのものである。魔道具が「道具の形状と本来の用途に魔法の力を加えている」形式であるのに対し、魔導器は魔術を行使するために使われるものであるために、その形状は機能を備えた道具である必要はない。ゆえに、老人が装備しているような指輪型やアクセサリー型など、身に着けやすい形状のものが多く普及している。そしてその用途は、主として魔術の超常的な力が必要になるもの。その中には戦闘も含まれる。事実、魔導器は王国の戦場での主力兵器として活用されている。

 あの指輪に読み込ませてある魔法で、空間座標を指定して光を炸裂させる小規模な爆発系魔術を引き起こしたのだろう、とエメリアが脳内で瞬時に整理するのと同時に、

「あまり派手な攻撃だと目立つのでね。これならば何も証拠は残らない」

 老人はニヤリと笑って指輪を嵌めた左手と右手の銃を彼女に向けた。

 老人の一斉攻撃が始まる。右手は銃でエメリアを狙い、左手の魔導器で空間内に爆弾を設置して彼女の行動範囲を制限する。初撃の奇襲をかわされた後、エメリアはあろうことか回避と防戦一方で、攻撃に転じられる隙が無かった。

 あの老人、有している魔導兵器の性能だけでなく、しかもそれらを使いこなしてエメリアを寄せ付けないでいる。やはり只者ではないようだった。

「お話するヒマは作っていただけそうにないみたいですねぇ」

「話せることも何もないし、話したところで君の口が動かなくなるのなら、いずれにせよ意味がないだろう。顔と現場を見られた以上、帰すわけにもいかないのでね」

「残念ですぅ。なら、なおのことやられっぱなしじゃ帰れませんねぇ」

 エメリアは老人の猛攻を回避しながらそう口にし、勝負をかけるべく一気に加速した。四肢が光跡を引き、残像が残るほどの速度で老人の周囲を飛び回る。老人に狙いを定めさせず、攪乱により生じた隙に一気に突っ込む手筈だった。

 そうして老人の照準から完全に外れ、エメリアは老人の死角に紛れた。一瞬の判断で、エメリアは突っ込もうとする。

(今……ッ⁉)

 だが、老人はそれすらも読んでいたのか、驚くべき対応策をとった。

 老人の全周囲を取り囲むように光の球が現れ、彼を守るように浮遊した。これならエメリアがその超スピードでどこから飛び込もうとしても、光の爆弾に阻まれる。

 エメリアは咄嗟に地を横飛びに蹴って、老人の周囲を大回りしながら突進の勢いを殺し、どうにか光の爆弾の罠に突っ込むことを回避した。直後、老人とエメリアの間を阻んでいた光球が一斉に炸裂する。寸での所で難を逃れたエメリアは肝を冷やしたが、さらにエメリアの周囲にも彼女を取り囲むように光球が出現した。逃さないつもりらしい。

 老人は再度周囲を囲む光の球の幕に守られながら、エメリアを一瞥する。その間、老人は一歩も動かず、自分が安全地帯の中にいる余裕からか、銃を撃つこともしなかった。

「ふふ、いくら速かろうがこれならば近づけまい。もはや君に勝ち目はない。せっかくなので一緒に来てもらおうか。君のその力も抽出できれば計画の足しになるだろう」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、老人は光の球に囲まれるエメリアに銃口を向ける。

 だが、エメリアは目を光らせた。その瞬間こそ、エメリアが狙っていたものだった。

「お見事ですねぇ。だけど残念、あなたは三つの大きな間違いを犯してしまいましたぁ」

「何?」

「あとの二つはすぐにわかるので、一番大きなことだけ教えてあげますねぇ。――エメリアちゃんをナメてかかる人は、痛い目にあうんですよぉ!」

 気合一声と共に、エメリアは呼吸を整えて意識を集中させ、彼女の内に眠る力を呼び覚ます。その全身から、彼女の力の迸りである、まばゆい白金色の光が溢れ出した。

 老人が驚きに目を瞠った、次の瞬間。

「はあっ!」

 短い気声と同時に、エメリアの体から迸る光が稲妻のように空を走り、光の球を貫いた。

 老人とエメリアを囲んでいた光の球が、針で突かれた風船のように一斉に破裂する。

「むっ⁉」

 老人の視界が光で埋め尽くされる。そのとき、老人は致命的な事実――エメリアの言う残り二つの間違いに気がついた。

 自分はその間、動きを止め、視界を完全に失っていたということに。

 そして、彼女の速度からすれば、その隙にあらゆる死角に移動し、奇襲をかけることも十二分に可能だろうことも。

 光が収まった時、目の前、老人の視界からエメリアは姿を消していた。それが、老人の焦りに拍車をかけた。

 老人は何とか気の揺れを押し殺し、全神経を研ぎ澄ませて敵の気配を探した。しかし、不可思議なことに、先程までの少女の気配は、周辺のどこにも感じられなかった。

 老人はその後もしばらく警戒を続けたが、やはり気配は感じられなかった。

 そこまでしてようやく、老人は小さくゆっくりと首を振り、

(逃げられた、か。なかなか抜け目のない仔猫だ)

 彼女の策に嵌ったことを自覚し、やられたとばかりに苦笑した。


(えへへ。ナイスショット、です♡)

 老人がそれに気づいた頃、エメリアは既に不良達のアジトを離れ、夜の街をギルドに向けて駆け戻っていた。

 その手に、最大のお手柄である、役人の姿を収めた映写器を持って。

 老人がエメリアの奇襲を警戒して構築した光の球の全周囲防御は、結果的に老人の視界を奪い、動きを止めて隙が生じることに繋がった。光球を破裂させて視界を奪ったその隙に、エメリアはすぐさま爆発から逃れると映写器を取り出して老人の顔を撮影し、気づかれる前にそそくさと退散したのである(高性能の映写用魔道具は光に対する補正が効き、逆光の状態でも被写体を鮮明に撮影することもできる)。今回の彼女の目的はあの役人を捕まえることではなく、あくまで捜査に有用な情報を得ることだったのだから。

(本当はまだまだ戦いたい気持ちもあるにはありましたけど、あれ以上は本当に任された任務の域を越えちゃいますし。皆さんの活躍のためにも、ここはガマンガマンです)

 それに、とエメリアは考える。推し量れる限りでも、あの老人の実力はかなりのものだった。魔導兵器の習熟度の高さに加え、あの眼は業を宿した修羅のそれだった。自分もかなり力を抑えた戦いだったとはいえ、痛み分けで済んだのは幸運だったかもしれない。

(本気はまだまだとはいえ、このエメリアちゃんとタメを張れるなんて、なかなかのものでしたねぇ。次にお会いできれば、ぜひとも決着をつけたいものです)

 うふふ、とエメリアは妖しくほくそ笑み、そして、

(それにしても……さっきのお爺さんといい不良さんのお話といい、ずいぶんおっきな話が動いてるみたいですねぇ)

 唯一の懸念を心の奥にそっとしまいながら、思考を切り替えた。

 今回の任務で得た情報。

 犯人のグループの規模、その本拠地。その裏で手を引いている役人の繋がりの存在と、その実力の一端。彼らの動きから見えてくる、国の奥部で進みつつある計画。その規模の大きさと機密性の高さ。そして、それらが統合される《革命》という言葉の意味。

 どれも断片的なものだが、事態の認識を掴むには十分なものと言えるだろう。

 そして、魔女が――クラウディア達が狙われているという事実。

(これは、やっぱりアレですよねぇ……いよいよ動き出すってことでしょうか)

 エメリアは、わずかに表情を曇らせた。

 彼女には、この事件の裏で進行している計画、その正体に心当たりがあった。もし彼女のその推測が当たりなら、事は想像以上に大事である可能性があった。

 だが、それは彼女の推測でしかなく、奥にある真実がどうであるかは蓋を開けてみなければわからない。現時点で推測を深めるよりも、今は。

「現状を変えるには今できることをするしかない……貴方の信念ですよね、アルベルト様」

 エメリアはいつもより深みのある声で小さく呟くように口にすると、一刻も早くギルドに情報を持ち帰るために、深い闇の満ちる空の下、颯爽と夜の王都を疾駆した。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る