(二)

 わたしは、大学に入るまで全く恋愛経験がなかった。小中高と友達がきゃあきゃあ賑やかに恋バナをぶちかましている真横で、それをへらへらと聞き流していた。恋愛に興味がなかったわけじゃない。単に、わたしが……どうしようもなくとろかったからだ。

 容姿が水準以上なら、こんなぼけっぱあなわたしにも一人や二人興味を示してくれた男の子がいたかもしれない。でも、わたしの見てくれは十人並みだったし、外見を魅力的に見せようとする気力もなかった。いつも勉強に背中をつつかれていて、恋愛に目を向ける余裕なんかどこにもなかったんだ。

 男の子の目を気にして機敏に立ち回れる子が眩しかった。うらやましかった。恨めしかった。だけどとろくさいわたしが一度学業から気を逸らしたら、周回遅れどころか社会の落伍者になってしまう。もやもやした感情をいつも持て余しながら、それでも高校までは我慢し切った。高校までは、ね。


 大学に入ってから、背中に象がどすんと乗っかっていたような学業の重荷が嘘のように消え去った。わたしは身も心も軽くなった。その軽くなった心に、最初にふわっと入り込んだのがサトシだった。


 大学に入るまで、わたしの余暇は全部勉強で埋まっていた。勉強が好きだからじゃなく、そうしないと授業に付いていけなかったからだ。大学に進んでからは、勉強に注ぎ込む時間がぽかんと空いた。わたしはそこにアルバイトを入れることにしたんだ。

 遊びたい。おしゃれしたい。自分を磨きたい。その欲求を現実化するには、どうしてもお金が必要だった。勉強には惜しみなく投資してくれた両親も、家を出た成人間近の娘に泡銭あぶくぜにを施してくれるほど寛大ではなかった。財源は自力で確保するしかなかったんだ。

 大学近くのコンビニで生まれて初めてバイトをしたけど、とろいわたしは求められるタスクを全然こなせなかった。役立たずのわたしを辛抱強くサポートしてくれたのが、同じ講座の一年先輩サトシだった。


 髪を金髪にし、アクセをじゃらつかせ、いつも口の端に歪んだ笑いを張り付けているちゃら男。わたしがサトシを最初に見た時の印象は、むしろ最悪だった。でもサトシは見かけによらず、いや見かけとまるっきり反対で、とても真面目で朴訥だったんだ。付き合い始めたばかりの時に、どうして尖った格好にするのか聞いてみたことがある。


「俺は……普通の格好すると周りからナメられるんだよ。すぐパシリにされちまう。しかも、俺自身がそれでいいかって受け入れちまうんだ。自分でも、まずいなと思ってさ」


 しっかり自分を見て、その欠点をどうやったら解消できるか考えて、自己改革を実行する。サトシの選んだ手段もその効果も、必ずしも褒められたものではないのかもしれない。でも彼はちゃんと挑んでる。わたしみたいに中途半端に放り出していない。すごいなあと。素直に、すごいなあと思ったんだ。その憧憬は、あっという間に強烈な恋心にまで膨れ上がった。

 どちらが最初に付き合おうと言い出したのか、わたしははっきり覚えていない。はっと気づいたら、わたしの生活は何から何までサトシ一色に染め上げられていた。


 もしサトシがちゃらい見かけ通りのちゃらい性格だったなら、わたしの恋情はすぐに燃え尽きただろう。その方がよかったのかもしれない。でも、サトシはわたしを雑に扱わなかった。真面目な性格そのままに、とろいわたしを急かさず辛抱強く付き合ってくれた。このままずっと幸せな時が続いてくれればと、どれほど強く祈り続けただろう。

 でも、たった一年すら保たなかった。先にサトシの恋愛燃料が切れてしまったんだ。わたしの想いがなんだ坂こんな坂と頂点を目指している間にサトシの想いは急速に冷め、坂を転げ落ちていったらしい。そう、わたしは。恋愛でも、あまりに……とろ過ぎたんだ。


 別れを切り出したサトシに理由は聞かなかった。いや……聞けなかった。心変わりしたサトシが悪いんじゃない。サトシを繋ぎ止める魅力がわたしになかっただけ。

 なぜわたしじゃダメなの? その答えがわたしを無情に打ち砕くことは最初からわかってた。だから……逃げた。泣くことも、喚き散らすこともできず。何一つ、言葉を返すこともできず。ただ、黙って……逃げた。


 あとには。膨れ上がったままぎらぎら輝いている不気味な恋心だけが残った。


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