(二)

 闇雲に歩き続けているうちに、いつの間にか市街地を抜けていた。ちょうどそのタイミングで空が白み始めた。構造物による視界の閉鎖が解かれて、僕の目の前に広い開放空間が現れた。そこが市街地と外界とを区切る境界線なんだろう。

 そして、市街地のあちこちに無造作に転がっていた同型機の残骸が、境界線の向こうには全く存在しないように見えた。まるで、そこから先に行くのを拒まれているかのように。捨てられてあてどなくさまよった彼らも、街を離れることには強い抵抗があったんだろうか。境界線上に立った僕も、恐怖に近い制止衝動を感じた。そこから先に行ってはいけないと。

 でも、その衝動が僕の足を止めることはなかった。灰色の瓦礫が支配する街から、緑たくましい草原へ……。僕は迷いなく踏み込んで行った。


 一マイルも進まないうちに、僕の足は止まった。何かに強制的に止められたわけじゃなく、ここでは見られないと思い込んでいたものが目の前に突然現れたからだ。

 僕と同型のヒューマノイド。残骸じゃなく、稼働している。草むらの中に膝を抱えて座っている。外形は僕と全く同じだから、それが『何』かは分からないけど。


 そいつは、奇妙な行動を繰り返していた。赤みの抜け始めた青空に向かってまっすぐに右腕を伸ばし、指先で8の字……いや、無限大のマークを描き続けていた。一つ描いては腕をおろし。しばらくして、また腕を上げてマークを描く。淡々とそれを繰り返す。機体が故障しているのかと思ってがっかりしたんだけど、僕に気付いた機体から音声が出た。


「よう」


 正常稼働しているのか。慌てて返事をする。


「こんにちは」

「捨てられたんだろ?」


 僕の心情に一切配慮しない直言に、ひどく傷付く。でも、彼のいうことは紛れもなく事実だ。


「ええ」

「あんたが最後か」

「わかるんですか?」

「俺が捨てられる前に、もうほとんど気配は残っていなかった。それからもう何百年か経ってるんだ。あんたがいるのを見てびっくりしたよ。間違いなく、あんたが最後だろ」


 びっくりしたのは、僕も同じだ。

 彼の横に、同じような姿勢で座る。


「さっきから、何をしてるんですか?」

「ああ、蝶を描いてたんだ」

「どうして?」

「好きだからだよ。ここでも蝶は見られるが、白いの、赤いの、黒いの、黄色いの、茶色いのはいても、青いのはいないんだ」

「青い蝶……ですか」

「そう。輝く青い蝶。モルフォ。ずっと南、熱帯域に行かないと見られない」

「行かないんですか?」

「行けないのさ。俺らが旧式化したのと同時に、全ての移動手段が廃止されてる。いくら俺らが頑丈で長持ちに出来てるといっても、それは通常の街暮らし前提だ」

「そうか……」

「険しい山をいくつも越え、広い海を渡り、深い密林をかき分けて蝶を探すのは無理だよ」


 そこでぴたりと口をつぐんだ彼は、しばらくの間、空に蝶を描く動作を繰り返した。僕は、何か言うことも、彼に何か訊くこともできず、空に差し伸べられる彼の指先だけをずっと見つめていた。


◇ ◇ ◇


「まだ慣れないなあ。機体がある時の感覚が抜けない」

「あたしもそうだったよ。周りがみんなバーチャルに移行していくのに、自分だけ旧式でやだなって思ってたけど。その分、リアルだったんだよね」

「まあな。だからこそのバーチャル移行なんだろ。リアリティへのこだわりがいつまでも残っていると、意識の集約化がひどく面倒になるから」

「……そうね」

「ごく初期の現実は、機体の改良のたびに現実ではなくなっていった。俺らは現実を捨て続けてきたから、今はのんびりリゾート気分でいられるってことさ」

「じゃあ、これから誰が機体の改良をしてくれるんだろ。今までは、改良が必要だったからこそリアル機体だったわけでしょ?」

「今までの機体一台分で数億、数兆という意識を管理できるんだから、機体改良のペースをいたずらに上げなくてもいいってことじゃないか?」

「ふうん……」


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