Cp.4-2 Invitation from Gold's(5)

 お茶会は、全員が目の前に給仕されたティーカップに口を付ける所から始まった。

(美味しい……!)

 透き通った琥珀色の紅茶が口に入り舌を熱した瞬間、拓矢は迷うことなくそう感じた。尖った刺激が少なく、それでいて豊満な香りと風味に、思わず息が漏れてしまう。ここが敵地のようなものだということを一瞬忘れてしまうくらい、それは美しい味だった。

(あの人……イザークさんは、この町に来て見つけたお店だって言ってたけど……)

 その風味に思わず当惑のようなものを感じながら、拓矢はちらと幸紀の対面に座るイザークの方に視線を向ける。

「うん、なかなかの美味だ。やはり僕の選定に迷いはなかったみたいだね」

 と、同じ紅茶を嗜んでいた当のイザークが、それに気づいて視線を返してきた。

「楽しんでもらえているみたいだね、碧青命士ラピス=イクサ。そう言えば名前を聞いていたかな?」

「あ、その……えっと、白崎拓矢、です」

 奔放なペースに呑まれそうになりながら名乗りを返した拓矢に、イザークは訊いた。

「そうか。タクヤ、君は今、幸せかい?」

「えっ……」

 思わぬ問いかけに面食らう拓矢に、イザークは平然とした様子で言った。

「僕は、訊いておいた方が良いことはなるべく優先して訊くようにしている。ましてや僕らのこのお茶会はおそらくこれっきりだ。聞き残しはしないようにしたいからね」

 自然な調子で語るイザークに、拓矢は思わず訊いていた。

「それって、それが一番最初に聞いておきたいことってこと、ですか……?」

「ウィ。幸せか否か……人間、まずはそれ以上に大事なことなんてないだろう?」

 イザークは視線で答えを促してくる。拓矢はそれにいつの間にか周囲の注意が向いていることに気づくと、少々考えた末に、自分にとっての答えを簡潔に返した。

「今は、幸せです。僕を大事にしてくれて、僕も大切にしたい人達が、周りにいるから」

「そうか。他者との連関、いわば絆か。それが君の幸せの基準ということだね」

 まるで分析するように言うイザークに、拓矢は興味本位で訊き返していた。

「イザークさんは、その……幸せ、なんですか?」

「おっと、意趣返しと来たか。これは一本取られたな」

 そう言って楽しそうに笑うと、イザークの目は真っすぐなものに変わった。

「まあ、今は幸せだよ。マリィがいるからね。君もそうだろう、我が愛しのマリィ?」

「当然のことをあけすけにひけらかさないでくださいなイザーク。品位に欠けましてよ」

 イザークとマリィの一見噛み合わない会話に、拓矢は隣にいる瑠水に話し掛けていた。

「なんか、けっこう温度差がある人達だね……」

「そうですね。ですが彼らは心の深い所で通じ合っているのを感じます。イザークという命士もただの無思慮ではなく、マリィもただ無関心というわけではない……それを互いに信じあっているからこそ、ああいう形でも通じ合っていられるのでしょう」

「そっか……そういう絆っていうのも、あるんだね」

 拓矢が得心している横では、マリィが奈美と由果那に話しかけていた。

「どうですか、お嬢様方。楽しんでいただけておりまして?」

「なんか、素直に楽しめる雰囲気じゃないでしょ。さっきのあんなの見せられたらさ」

「物言いが実直でいらっしゃいますのね。私、嫌いではありませんわよ」

 由果那の物言いを愉しむようにくすりと笑むと、マリィはおもむろに言った。

「時に、お二人のお嬢様方。貴女達、意中の方などはおりまして?」

「は?」「え……」

 由果那と奈美、正反対の反応を面白がるように、マリィが興気に笑む。

「これはこれは、随分と温度差があられるようですね。話の聞きがいがありますわ」

「あんたの相方も相当だと思ってたけど、あんたも大概ね……」

 呆れたように言う由果那の横から、奈美がおずおずと口を出していた。

「あの、イザークさん。今は、ってことは……これまでに、何か、あったんですか?」

 奈美の疑問に、イザークは黄金色の瞳をわずかに細めて、奈美を見た。

「んん、なぜそれに興味を持ったのか訊いてもいいかな、御令嬢?」

「いえ、その……何となく、言い方が気になって……少し、影があったように感じて」

「へぇ、これはなかなかに鋭いお嬢さんだ。なるほど君は人に恵まれているね、タクヤ」

 感心したように言うイザークに、呼びかけられた拓矢も興味を惹かれて訊いていた。

「ってことは、やっぱり……」

「うん。まあこれこそひけらかしても仕方のないような話なんだけれどね。せっかく興味を持ってもらえたのならお聞かせしようか。僕のマリィとの馴れ初め、旅の始まりをね」

 意気揚々とした様子のイザークを、隣にいたマリィが半ば呆れ顔で窘めた。

「自分の幸せを人に理解してもらおうとするのは悪い癖ですわよ、イザーク」

「いいじゃないか、僕が僕の幸せを語るだけさ。何か不満かい、愛しのマリィ?」

「お好きになさいな。お話が終わるまで、私はしばらくお茶を楽しませて頂きますわ」

 マリィが話からの辞意を表明したのを受け、イザークは咳払いを一つして語り始めた。

「僕の家はとある小国の名家でね。家の者が規律にうるさかったことを除けば、生活に困ることは一切なかった。けれど、何をしても満たされないように感じていてね」

 そう言うと、イザークは雨の降りしきる窓の外を眺めながら、遠望のように言った。

「物心ついた頃から、僕は《永遠》に憧れていた」

「永遠……?」

「そう。文字通り、終わりのない無限の時さ。憧れたことはないかい?」

 イザークの問い返しに、拓矢は思わず思案に入る。

 もしも、奈美達や乙姫、瑠水達――大切な人達といつまでも過ごせるのなら、それは幸せなことだろうと思う。だが、そんなことを考えたことは正直なかった。

 何より――永遠に続く者よりも、永遠に失われた者を、連想してしまうから。

「失敬、少々デリケートな話に触れてしまったようだね。まあ永遠を連想できる者は得てして皆何かしらの失望者だ。現世に満足できるようならそんなものを求めようという気にもならない。だから君に永遠について何か思う所があるだけでも僕は嬉しいよ」

 拓矢の内心に生じたその影を見取ったイザークは申し訳なさそうな笑みを浮かべると、己の過去を概観するように語った。

「この現在界のあらゆる事物も事象も、一つの例外もなく有限だ。時の流れの中で風化して朽ちて塵となって消え失せていく。後に何も残らないなんてつまらなくて仕方がない。僕はただ時に朽ちる塵芥として生きる気はさらさらなかった。だから僕は何かを残そうとして、詩人として生きる道を選ぼうとした。けれど家の者がひたすらにそれを拒んでね。家督を継げとばかり、僕に生きる道を押し付けてくる。ほとほと嫌になってね」

 やれやれとばかりに肩を竦めると、イザークは隣で紅茶を味わうマリィに目を向けた。

「僕はささやかながらこの現世に失望を抱いた。そして故に尚更幼い頃からの永遠への憧れが強くなった。そんな時に僕の元に舞い降りてくれたのが、夢の中から生まれた永遠の使徒――マリィだったというわけさ」

 そう言って、イザークは隣で紅茶を味わうマリィに緩やかな視線を向けた。

「マリィは僕が必要だと言ってくれた。そして僕はマリィを欲した。彼女となら永遠を目指せると思った。僕は彼女の誘いを受け、永久を生きる者となって、時に別れを告げた」

 得意げに語るイザークに、あることに引っ掛かった由果那が訝しげに訊いていた。

「ねえ、あのさ……あんた、いくつ?」

「ああ、悪いが歳なら聞かないでくれ。もう数えるのも面倒になってしまった」

「まあ、目安としては現在界の時間軸で二百年ほどは経っていますわね」

「二百年……⁉」

 その場の誰もが驚きに息を呑む中、イザークは何でもないことのように言う。

聖域エリアの使い方は知っているだろう。存在を時空間の流れから切り離す、あれを常態化させればいいだけのことさ。君にだってできるはずだよ?」

 そう言いながらイザークは拓矢の目の色を見て、結論付けるように言った。

「まあ君は今の所やりそうにないけれどね。永遠でないこの世界に、置いて行けない大切な人がいるようだし」

「っ……」

 言葉を返せない拓矢を前に、まあとにかくだ、とイザークは話を引き戻す。

「僕はマリィと共に悠久の時の旅人として、あらゆるものを一緒に見ようと決めた。そして、永い間この世界のいろいろな場所、いろいろなものを楽しんできた。楽しかったよ、本当に。時空や家なんかに閉じ込められていては、こんな体験はできなかったろう」

 満足げにそう言ったイザークの瞳に、微かな影が過ぎった。

「ただ、ここに来てその永遠に少々問題が起こってね。僕らがこんな場を設けたのも、もっと広く言えば君達に逢おうとしたのも、それが目的だったのさ」

 イザークのその言葉に、幸紀が再び鎮めていた警戒心を露わにする。

「茶番はここまでっていうことか?」

「文字通りね。元々ただ慣れ合うために来たわけじゃないのは知ってると思うけれど」

 そう言って、イザークは不敵な笑みを浮かべながら本意を告げた。

「僕はこの先も、マリィと一緒に永遠の旅を続けたいと思ってる。そのためには、《月壊》なんていう不安要素は取り除かないといけない。心を脅かされるのは御免だからね」

「それが本音か」

「もちろん。僕達は僕達のために行動する。何も迷うことはないだろう」

 一切の忌憚なくそう返すと、イザークは幸紀に試すような目を向けた。

虚黒命士ベルゼ=イクサ。君の願いは何だい?」

 イザークの問いかけに、幸紀は厳しい視線を向け返しながら、微動だにせずに言った。

「あいつ……永琉に、ちゃんとあの時のけじめをつけることだ。そのためにはまず、お前達からあいつを取り戻さないといけないけどな」

「なるほど、やはりそれが君の一番の罪ということかな?」

 論うようなイザークの言葉に、睨み返す幸紀の視線が一層険しくなった。

「お前が俺の罪に軽々と口を出すな」

「おや、失敬。だが、君がどれだけその気だったとして、果たして上手くいくものかな」

 概観するように呟いたイザークに、幸紀が詰め寄る。

「何が言いたい」

「僕らから彼女を奪い返すこととは別に、君に彼女を救えるのかっていうことさ。彼女は君に裏切られたと思っているんだろう。果たして君の言葉が届くのかなと思ってね」

 概観するようなイザークの言葉に、幸紀は苛立ちを見せながら詰め寄った。

「黄金の命士。お前、何を考えてる」

「そうだね。君達とまた会う時が楽しみだなと考えていたよ」

「とぼけるな」

「本当さ。次に会う時には僕らも君達もおそらく立場が変わっているだろう。その間にどんな変化があって、次に会う時の僕らがどんなふうになっているのか、まるで想像がつかないからね。今ここに無いものを想像するのも楽しいことじゃないか」

 まるで運命を掌で転がしているようなイザークの物言いに、幸紀の怒りが募る。

「ふざけるな」

「そうか、納得してもらえないのか。君は僕に悪漢でいてもらいたいのかな?」

 怒気を漲らせて迫る幸紀の眼をイザークは不敵に見返し、言った。

「それじゃあ……今ここで君達を葬り去る算段を立てている、とでも答えれば、君の腹の虫は治まるのかな?」

「っ……」

「あまり逸るなよ、親友ブラザー。急いては事を仕損じるというだろう?」

 言葉を封じられた幸紀を前に、イザークは話を締めにかかる。

「まあ冗談はともかくとして、今この場の僕らに害意が無いのも、この場で話し合えることには限界があるのも事実だ。続きは次に見える場、おそらくは幽白の彩命が設ける会合の場に立ち会ってからになるだろう。今は来るべき場を待つべき時ってことさ」

 そこでイザークは「ああ、そうそう」と、思い出したように言った。

「言い忘れていたけれど、今この場で僕らから無理やりに彼女――虚黒彩姫ベルゼ=イリアを奪い返そうとしない方がいい。彼女は非常に不安定な状態なのを僕らの力で抑え込んでいるんだ。今強引に箱を開ければ、おそらく周囲のあらゆるものに被害が生まれる。危険だ」

 辛辣な表情でそう言うと、イザークは申し訳なさそうな目を幸紀に向けて、言った。

虚黒命士ベルゼ=イクサ、君には悪いけれど、ここは僕らを信じて彼女の身を預からせてほしい。今の彼女はおそらく、君の元に戻ることですら正常な精神でいられないだろう」

 イザークのその言葉に、幸紀は今にも破裂しそうな感情を抑え込みながら、言った。

「俺には……永琉を元に戻せないって言いたいのか?」

「言っただろう、今は機を待つべき時ってことさ。少なくとも次に会う時まで、彼女の身柄は僕らが責任を持って保護する。約束するよ」

「とても信用できないな」

「僕は冗談は言うけれど、大事なことで嘘は絶対に吐かない。信じてもらえないかい?」

 真っすぐに向けられるイザークの目に、幸紀は逡巡した後、苦々しげに言った。

「俺は、永琉を元に戻したい。そのためにお前の保護が役に立つっていうのなら、利用させてもらう。ただし、勝手に永琉を傷付けてみろ。何をしてでもお前の首を狩ってやる」

「ユキ……」

 幸紀の鬼気迫る表情に拓矢達が恐れを抱く中、磨理とイザークは興気に言った。

「利に適う判断ができるだけの冷静さはお持ちですのね。上々ですこと」

「ウィ。こちらとしても、今彼女に壊れられては困るからね。利害の一致、取引成立だ」

「知ったことか。俺はただ、永琉を取り戻せればいいだけだ」

 そう零した幸紀の表情には、かつて見たことのない焦燥と悲愴が現れていた。

(ユキ……)

 拓矢がその表情に胸を痛める傍ら、イザークは鷹揚に手を広げて会の終わりを告げる。

「さて、この場で話すべきことはどうやら無くなった。頃合いのようだし、そろそろお開きとしようか。勘定は僕らが持とう。行こうか、マリィ」

 そして、颯爽と席を立って会計台へと向かう。その背を見送った磨理が言った。

「私が選んだ人に間違いはないですが、相も変わらず奔放な人ですこと」

 呆れ交じりの磨理の慨嘆には、瑠水が微笑みと共に返した。

「けれど貴女はそこに惚れたのではないですか、マリィ?」

「違いありませんわね。私はイザークのそういう所も愛しいですわ」

 嬉しそうに言うと、磨理は、ルミナ、と呼びかけた。

「貴女方がこの先どのような道を選択するかは、私達の与り知る所ではありません。時が来れば、いずれ相見えることになるでしょう。私達か別の彩命、あるいはそれ以外の過酷な状況に。その時の選択もまた貴女方次第ですが、これだけは覚えておきなさい」

 そして、好敵手たる青の姫――瑠水に、ささやかな忠告を授けた。

「今の私達に安寧は約束されていません。それはいつ崩れ落ちるとも知れないもの。故に、今の幸せに漫然と浸かっていては、貴女方は今に身を亡ぼすでしょう。貴女方が直面しうる過酷を常に意識なさい。それに直面した時、貴女方が何を望み、何を選び、何を犠牲にして何を得るのか……せいぜい、それを忘れないようになさい」

 敵であるにも関わらず誠意の込められたその言葉に、瑠水は素直に礼を述べた。

「忠告、痛み入ります。相変わらず見えない所で優しいのですね、貴女は」

「貴女があまりにも人が良すぎるから、放っておけないだけですわ」

 何でもないことのように返すと、磨理は傍らの拓矢にも目を向け、告げた。

「それは貴方様にも言えることですわよ、タクヤ様。ゆめゆめ忘れないことですわね」

「あ……」

 虚を突かれた拓矢に不敵な視線を返し、マリィも優雅な身のこなしで席を降りた。

「では皆様、御機嫌よう。時が許せば、またお会いできるのを楽しみにしておりますわ」

 そして、くるりと身を翻し、戸口で待っていたイザークと並んで店を出て行った。

 後に残された拓矢達の間に、嵐が過ぎ去ったような空虚感が満ちる。

「行っちゃったね……」

「話すだけ話して帰ったって感じね。何だったのよ、いったい……」

 奈美と由果那が呆気に取られている間、拓矢は幸紀と瑠水の様子を見ていた。特に、瑠水にはさほどの不調も見られなかったものの、幸紀の憔悴の具合は見るに堪えないものがあった。拓矢はそれを、自分のことのように感じて、胸が軋むように感じた。

 幸紀が永琉を失い、今のこの状況に落とされた原因は――元を辿れば。

 その情動を察した瑠水が、そっと拓矢の心に触れた。優しく傷に触れられる感触に波立つ心がわずかに鎮まる。その様子を見た幸紀が、後を濁さないようにとばかりに言った。

「俺達も出よう。ここに留まる理由もない」

 幸紀のその一言を受け、拓矢達も席を立ち、店を後にした。

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