Cp.2-2 Fuzzy Sky Color(2)

 楽しかった夕食も一時間ほどでお開きになり、乙姫はさっそく寝床の手筈を整えた。

 四人いるとはいえ、実際に寝床が必要なのは拓矢と真事の二人分である。そうすると流れ的に拓矢と瑠水、真事と翠莉は一つの床を共にすることになるのだが、乙姫はあえて深くは考えず、拓矢と真事の意見も汲んで、拓矢の部屋の隣にある、普段乙姫が寝ている亡き母優子の部屋を来客である真事に貸すことにした。

 そのことを伝えられると、なぜか真事は緊張する様子を見せていた。

「お姉さんの普段寝てる部屋で……そんな、いいんですか?」

「構いやしないわよ。お客さんに床で寝かせるわけにもいかないし、私は他の空き部屋でも寝られるしね。タクと一緒の部屋でもいいんだけど、それは嫌なんでしょ?」

「いや、嫌っていうか……その、ちょっと気まずいので」

「あ、マコト恥ずかしがってるでしょ。マコト、このお姉さんのこと」

「翠莉、お願いだからやめてわかっていてもそれは言わないで」

 真事が必死で翠莉の口にしようとした何かを制する。拓矢はあえてそこに言及せず、

「僕は別に一緒の部屋でも構わないんだけどね。でも、真事くんの言いたいこともわかるよ。まあ、姉さんの寝てる部屋で、っていうのもそれはそれで少し寝づらいかもしれないけどね」

「あら、どういう意味かしら、タク?」

「そりゃそうでしょ。姉さんみたいな美人が普段寝てる所で寝るなんて、年頃の男の子には刺激が強すぎると思うよ」

「あら、言ってくれるじゃない」

「すみません、拓矢さん」

 拓矢の気遣いに真事はすっかり頭が上がらない。隣では翠莉が不思議そうに頭を傾げていた。

「でも何でタクヤと一緒の部屋嫌なのマコト? わたし夜もルミィとお話したいんだけどなあ」

「たぶんあなたのせいなのよ、スィリ。あなたはもう少し遠慮を覚えた方が彼のためね」

「えぇー! マコト、ごめんね! わたし何かいけないことしてた⁉」

「いや、君は何も気にしなくていいから、少しだけ落ち着いてくれないかな」

 などの会話を交えながら、三人(五人)は部屋割りを決め、就寝前の時間をくつろぐ。

 一方で、奈美の帰宅を考え出した乙姫が時計を見やり、拓矢に言った。

「タク、お風呂入っちゃいなさい。後片付けはやっておいてあげるから」

「あ、でも、後でいいよ。奈美を送っていかないと」

「それならいいわよ。奈美ちゃん、あなたが上がるまで待ってるって」

 乙姫の言葉に、拓矢は奈美を見る。

「いいの、奈美?」

「うん。こんな時間までお邪魔したんだもん、ちょっとくらい大丈夫。家にも連絡は入れてあるし、拓くんが送ってくれるなら、心配はしないから。それに、乙姫さんと少しお話したいこともあるし。拓くんも、湯上りの散歩の方が好きでしょ?」

 奈美は信頼を表して小さく笑んでいた。その言葉に拓矢は背中を押された。

「わかった。それじゃあ、すぐに入ってくるから待ってて」

 拓矢はいそいそと浴室に向かう。部屋から拓矢がいなくなったことを見計らって、――ついでに瑠水が拓矢の浴室について行ったことに気を揉まれながら、奈美は乙姫に声をかけた。

「あの……乙姫さん」

「ん? なあに、奈美ちゃん」

 気軽に返す乙姫に、わずかに逡巡した後、意を決したように奈美は訊いた。

「あの……拓くんに、その、彼女ができたって話、知ってますか?」

「ん?」

 乙姫は一瞬頭を回し、すぐにその言葉の意味するところに思い至る。

(瑠水ちゃんのことね)

 乙姫は少し考え込み、困ったように言った。

「ええ、知ってるわ。でも、何て言えばいいのかしらね……その子、普通の人じゃないの」

「あ……」

 乙姫としては瑠水の――異次元の彼女のことをぼかしたつもりだったのだが、それに奈美が意外な反応を見せたことに乙姫は驚いた。

 まるで何か、心当たりがあるかのような驚きの表情。

 それと同時に、今度は乙姫の方が思い当たった。

《瑠水ちゃん……私、負けないから》

 先日の神殿での一件の際、奈美は瑠水に対して、直接そう宣言していたではないか。

 その会話で、乙姫と奈美、双方の心の氷が一つ、融けたようだった。

「じゃあ、その彼女って」

「ええ、そう。あなたも、あの子のことがわかるんだったわね」

 乙姫の言葉に、奈美はわずかに安堵していた。少なくとも、拓矢の言う「彼女」というのが全くの見知らぬ女ではないことがわかったから。

 しかし、それはそれで引っかかるものは残る。

「あの子……瑠水ちゃんって、その……何者なんですか?」

 奈美の疑問に、乙姫は再び困ったような顔になった。

「うーん。それが私にもうまく説明できないのよね。一応あの子とタクから説明は受けたけど、やっぱりまだはっきりとは掴めない感じはあるわね。その上、まだここに来て1か月も経ってないし、まだまだ知らないことが多い気はしてるわ」

 乙姫の言葉に、奈美もまた言葉を出せなくなってしまう。瑠水の存在が普通の感覚では捉えられないものであることは何となくわかっていたし、乙姫にしてもそれが同じであるのなら、そこの説明を貰えないのは仕方がない。

 代わりに、奈美はより自分自身の問題としての話を乙姫に切り出す。

「乙姫さんは」

「ん?」

「あの子の……瑠水ちゃんのこと、その……どう思ってるんですか?」

 奈美なりの探りだった。

 彼女の意図と、その裏にある本心が読めてしまう分、乙姫は答えに困る。

(うーん……どう言ったものかな)

 乙姫にしてみれば、拓矢の身を何よりも案じ、そのために瑠水の存在を認める一方で、長いこと一途に拓矢のことを想い続けてきた奈美のことを純粋に応援したいと思っている。そういう意味ではどちらの味方でもあるのだが、この手の話の場合、どちらかにつかざるをえない場合が多い。

 乙姫はそれらを考えた上で、素直に話すことにした。そのような立場をとるつもりである以上、下手に自分を偽るのは自分にとっても奈美にとってもよくない。

「そうね……確かに、出自どころかこの世界の人ですらないから奇妙って言えば奇妙だけど、様子を見る限り悪い子じゃなさそうだし、何より、タクが大切にしてるみたいだからね。まだまだわからないことも多いけど、一応私はあの子を新しい家族だと思ってるわよ。それが、タクのためにもなりそうだからね。もしも悪霊だったら神社に頼んで全力で追い払ってるわ」

「そう、ですか……」

 明らかに声の元気を落とした奈美に、乙姫が励ましの言葉をかける。

「でも、それで奈美ちゃんが気を落とすことはないと思うわよ」

「えっ?」

 顔を上げた奈美に、乙姫は奈美を勇気づけるようにやわらかくも力のある口調で言った。

「奈美ちゃんは誰よりもタクと一緒にいてきたじゃない。タクを想ってきた時間の中で育ててきたものの大きさなら、誰にも負けないはずよ。不安になることなんてないわ」

「乙姫さん、その……し、知ってたんですか? その、私の……」

「ん? タクが好きってこと? 知らないと思ってた?」

 乙姫は何を今さらとばかりに、あはは、と愉快そうに笑ってみせた。奈美が顔を赤らめる。

「まあね。こっちに来てタクと暮らし始めて、初めてタクと一緒にいるのを見た時から何となくそんな気はしてたわよ。奈美ちゃん、そういうの隠そうとしても隠せないでしょう? 何か、私にもジェラシー感じてた時なかった?」

「ひゃあっ⁉ そ、それは……」

 からかい交じりの乙姫の指摘に、奈美が爆発しそうな林檎のように真っ赤になる。乙姫はそんな奈美の縮こまる様を面白そうに眺めながら、

「まあ、私は拓矢の保護者だから、拓矢のことを考えたらどっちの味方に付くってわけでもないんだけど、奈美ちゃんの昔からの想いもそれなりには知ってるつもりだからさ。応援してるわよ、お姉ちゃんは」

「乙姫さん……」

 顔を上げた奈美に、乙姫はニヤリと悪戯っぽく笑んでみせた。

「いくらタクが朴念仁でも、あの子も男の子だもの。あなたみたいな魅力的な女の子に迫られて心揺れないわけがないわ。ただでさえ瑠水ちゃんの密着アタックでもなかなか濃い攻勢なんだから、あんまり引っ込んでると押し負けちゃうわよ。タクだって意識はあるはずなんだし、ガンガンいっちゃえばいいじゃない。何せ、あなたには生身のいい体があるんだからさ。瑠水ちゃんのことに触れるわけじゃないけど、それはあなたの武器になるんじゃないかしら」

「へ、え、えぇっ⁉ そ、そんな、体なんて……」

(体を使って、拓くんに迫るなんて……そ、そんなことっ……!)

 乙姫のアドバイスに奈美はさらに赤くなってあたふたした。言われたことを意識してしまっているのか、体から熱が迸っている。

(可愛いなあ、ホント。こんないい子に想われるなんて、タクも幸せ者ね)

 その様を眺めながら、乙姫は拓矢の姉として奈美に助言を贈る。

「大丈夫よ。あなたがタクと一緒に生きて育ててきた絆は本物だし、タクだってそれはわかってるはず。タクも誠実な子だし、頑張ればきっと想いは届くはずよ。それを信じて頑張ってみなさい」

「あ……はい。ありがとうございます、乙姫さん」

 礼を告げる奈美に、乙姫はからっと笑んでみせた。

「いいわよ。女同士だし、少しは話し相手にでもなるでしょ。タクのそばにいるから情報も入るしね。何か気になることがあればいつでも話を聞くわ。頑張ってね、奈美ちゃん」

 協力者と助言を得て、奈美はほっと胸のつかえが下りた気がした。

 何だか、慰められたようにも、励まされたようにも思えた。


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