Cp.1-3 Passionate/Scarlet Knight(3)

 その日、空には鼠色の雲が垂れ込めていた。陽の光が暗い雲に遮られ、どこかで空鳴りが轟いて空気を震わせていた。まるで嵐が来る前のようだった。

 そんなくぐもった空の下、屋上には既にティムと、姿を現した灼蘭が待ち構えていた。

「やっと来たか。エルシア様を待たせるとは、いい度胸をしているな」

「待ってたわよ、ルミナ。もっとこっちにいらっしゃい。せっかく再会できたんだから」

 姿を現した拓矢達を一瞥し、ティムと灼蘭は不遜な態度を一切隠さずに言った。

 拓矢はそんな敵を、燃え上がる感情のままに睨みつける。その脇に瑠水も姿を現し、彼女の相手――ティムの脇に立つ彩姫・灼蘭エルシアに話しかけた。

「エルシア。あなたも無事にお相手と出逢えていたようですね。祝福します」

「ふふん、ありがと。自慢の彼よ。あなたも、だいぶ待った時間が長かったけど、一緒になれてよかったわね。さて、それじゃそろそろ戦いを始めましょうか」

 それに興気に答えた灼蘭は、早々に話を打ち切って臨戦に入ろうとする。

「あたしもあなたが無事に現界できたことは嬉しいけど、今はもうお互いこんな立場だもの。余計な挨拶や無駄話はナシにしましょ。あんまり喋ると情が移ってやりづらくなるでしょ?」

 早々に話を繰り上げようとする灼蘭に、瑠水はせめてもの交渉を試みた。

「エルシア。私達イリアの争いは避け得ないものであることは事実です。その点に関してあなたを責めることはしません。けれど」

 瑠水はそこでひときわ表情を険しくし、灼蘭を非難する言葉を発した。

「私達の戦いに関係のない人を巻き込むとは何事ですか。罪なき人を傷つけるなど、明らかに私達の『善の意志』から外れています!」

「あら、そうかしら?」

「何ですって……?」

 あまりに飄然と返ってきた灼蘭の答えに、瑠水は一瞬言葉を失くす。

「あなたはよくわかってないのかしら。あたし達の抱くべき『善』っていうのがどういうものなのか」

 赤の彩姫・灼蘭はそう言うとビッと拓矢達を指差し、堂々と宣言した。

「ティムの行動は『善』よ。彼はあたしのために行動することを絶対の善としてる。あたしの望むことを叶え、あたしに邪魔なものは全て排除する……それが彼の、ティムの『人間の在り方としての善』に他ならないのよ」

 突き付けられたその言葉に、瑠水は愕然となりながら抗議した。

「そんな……だからって、関係のない人を無闇に傷付けていいわけがないでしょう!」

「いいのよ。まだわからないの、ルミナ? この世界があたし達をどう見るかなんて、あたし達の戦いには関係ない。あたし達はあたし達の『善』を全うすれば、それでいいのよ。どうせ、あたし達の生き方に文句を言う神様なんて、この世界にはいないんだもの」

 灼蘭は一切のためらいなく告げる。

 彼女は世界のことなど考えてはいなかった。ただひたすらに自らの使命と在り方だけに忠実で、それ以外の余計な観念に全く囚われていない。

 瑠水は愕然とした。実のところ灼蘭の考え方は彩姫としては何も間違ってはいない。生き残る使命のためだけに行動し生きる。それは使命の達成というだけで見れば確かに理想的でもあった。だが、灼蘭の言葉を聞いてわかる通り、それを実際に実践してしまえば、その行動はもはや自己中を通り越して周囲への害悪にまでなりうる。己の正義だけを貫くことは、他者との関わり合いの中で生きる人間社会の中では異端なのである。

 瑠水は灼蘭がそれを実践している、そして宿主のティムにも完全にその思想を実践させていることに何より驚きを禁じ得なかった。彼も彼女が宿るまでは、どんな事情があれこの関係性の世界に生きる人間であったはずだが、先の話を聞く限り、どうやら彼は完全に灼蘭とその理念に心酔しているようだった。

 そして瑠水はそれを、羨ましいと思った。

 無論、灼蘭達のやっていること自体は褒められたものではないが、彼女達の「自分達の信念を貫く」という気構え、そしてその心を共有するシンクロ率は本物だ。存在を賭けた使命に対する姿勢というだけで考えれば、この二人は既にかなり強い。瑠水が拓矢の心の弱さを考える故にできなかった状態を、この二人は実践しているのだった。

 だが、戸惑いに心を揺らしかけた瑠水は、怒りに燃える拓矢の声を聞いた。

「ふざけるな、お前ら。よくもみんなを」

 瑠水は拓矢のその溢れ出す怒りの感情の滲む声でハッと感傷から覚めた。

 彼らにどんな理念が在ろうと、彼にとって、灼蘭とティムの行動は到底許せるものではなかった。同時に、その感情に従い、それを言葉にした彼もまた、良識や常識といったものに一切縛られていなかった。己の感情、心の奥にある剥き出しの感情に身を任せようとしている状態。奇妙なことだが、この、自分の心を一切隠さない状態こそ、彼女達の言う「善」の状態に最も近いのだった。

(拓矢……)

 感情をさらけ出すその言葉、心に、一切の曇りはなかった。

 かつてない激情を顕わにする拓矢の「真意」の強さに、瑠水の心が打ち震える。

 拓矢の睨む視線を浴びながら、ティムは興気に鼻を鳴らし、

「ふん、戦う意志はできたようだな。面白い」

『そうね。それじゃあ、あたし達も支度しましょ、ティム』

御意Alla

 灼蘭の声に湧き立つ闘志が混ざり、それに応えたティムも不敵な笑みを浮かべる。

 ティムは腰に下げた細剣をすらりと抜くと、眼前に垂直にそれを立てた。高揚する士気の高まりの迸るように、その全身から赤い揺光が立ち昇り始める。

 灼蘭は軽く地を蹴るとふわりと浮遊してティムを抱くように背に回り、愛しげに目を閉じると意識を集中させ、秘められた力を召喚する神霊の詞を唱え始めた。

『《虹の欠片たる我が身に流れし熱き愛の血潮よ(Al breve elfende crtz o'meitzi)、彼の願いに震え血気と燃え上がれ(Zym lave raziom wal gregbelt)

 我が身の火焔(le scerzo)、出でよ熾剣(ling kernigt)。我、この身を捧げし汝に焔の剣を与えん(la crs she kelt blazo)》』

 灼蘭の紡ぐ歌を聴くティムの金色の瞳に、ちり、と赤い火花のような光が揺らめいた。意識を集中するように、ティムは静かにその目を閉じる。

 次の瞬間、ティムの身の回りを赤い円陣が囲み、その体から火柱のような赤い光が噴き出した。空気を震わすその力に、拓矢達は思わず身構える。

 吹き飛ばされないように踏ん張る中、拓矢は赤い円陣に囲われたティムの体が赤い炎の幻影と化した灼蘭に抱かれるように包まれていくのを見た。それはまるで、紅い翼となった炎の女神の抱擁だった。

「『《聖域エリア》展開、《神装アルマ》発現――紅華灼麗アータル・ミカエル形相エイドス勝利ネツァク』《熾天炎フラム覇紅蓮セラフィ熾剣形態フォルマ・ブレイド』」

 呪文のように紡ぐ言葉と共に、ティムを包む赤い光の柱が一筋に集束する。

 光が消えた後、そこに立っていたティムは、異様な風体をしていた。

 全身と右手に携えた洋剣から血潮のような紅い揺らめきが立ち上り、両手両足には先程まではなかった緋色の籠手と脛当てのような装飾の防具が装着されていた。そして彼の体を囲うように赤い色の円陣が宙に描かれ、その額には力の顕現の証のような、赤く光る紋章が刻まれていた。

 悪魔の翼のように湾曲した、死神の鎌のような刻印。

 彩姫の力を纏う武器と装束――《神装アルマ》を纏ったティムが、拓矢を見る。

「さあ、構えろ。貴様の力を見せてみるがいい」

 そして、言葉と共に剣の切っ先を拓矢に向け、挑発の意を示してみせた。炎のような光が立ち昇っているその全身から圧倒的なプレッシャーが熱量を持って放たれ、周囲の空気を赤い熱気に染めていく。瑠水の力に守られている拓矢や頑丈な幸紀はかろうじて立つことができていたが、その後ろにいる奈美と由果那はその圧力に当てられ、近づくことすら叶わなかった。

 既に臨戦態勢のティムと灼蘭に、瑠水は焼け石に水と思いながら訊いた。

「エルシア。やはり、私達は戦うしかないのですか」

「やっぱりね。あなたならそんな風に言ってくると思ってたわ」

 灼蘭は小さくため息を吐くと、ビッと突き付けるように瑠水を指差した。

「本当にそう思ってるのなら、甘いわね。あたしに訊く前にあなたの心に訊いてみなさいよ。あなた、あたし達があなた達を引き裂こうとするのを容認できるの? あなたの覚悟はそんなもの?」

 灼蘭は燃え立つような目を向け、瑠水を試すように口にする。

「あなたがその気じゃないのなら別にいいけど、あたし達はもう腹を決めてるの。あたし達はあたし達の存在のために、いかなるものとも戦う覚悟を決めてるわ。あなた達が抵抗しないっていうのなら、悪いけどその存在、喰らわせてもらうわよ」

 灼蘭の迷いのない宣戦に、瑠水は自らの心を見るように目を閉じる。

 既に決意を固めている目の前の「相手」に、瑠水は心を決めざるを得なかった。

 避けようのない運命を前に、瑠水は現状を再把握し、自らも決意を新たにする。

 今、自分がなすべきこと。

 それは、自分の信じる人――拓矢の力になること。それが、自分の最善。

 瑠水は心を切り替え、拓矢に決意を促す言葉を送る。

「拓矢、あの二人は私達を狙ってきたようです。もはや戦いは避けられそうにありません」

 瑠水の声が心に透き通り、拓矢の湧き上がる怒りに燃える心に一滴の冷静さが宿る。瑠水は拓矢が自分の声を聞いていることを感じ取り、心の声を送り続ける。

「あの二人は、おそらく戦い慣れています。命士のティムは剣を持っているうえ、彩姫のエルシアも好戦的な性格です。すでに神装を使って戦ったこともあるかもしれません。技量と経験の上では、少なくとも私達より上でしょう。あらゆる要素において、難敵です」

 瑠水のその言葉に、拓矢は力強い頷きと共に、迷いのない言葉を返した。

「戦うよ。瑠水、力を貸して」

 心の中の渦巻く激情と冷静な判断を同時に抱えながら、迷いのない言葉を告げた拓矢のその独り立つ言葉の強さに、瑠水は胸がじわりと滲むのを感じた。

 今まで彼はここまで強い感情を見せたことはなかった。しかし、彼の奥にはこれだけの燃える心と、それを制御できる心の力が眠っていたのである。一体何が彼をここまで突き動かしているのか、それを瑠水は読み取ることができた。

 彼の心に火が点いた理由はただ、大切な仲間を傷つけられたからだった。言い換えればそれは、大切な人のために怒り、自分を動かしたということ。

 拓矢の心にある力、それは「大切な人のために」という心の力だった。

(この人は……やはり、私の選んだ人に、間違いはなかった……)

 瑠水はそれを感じて、誇らしくなった。拓矢のその心の在り方は、彼と存在を繋ぐ彼女の心に、どこまでも強く、正しく、美しく、輝いて映った。

 そして、信じる人を助けるために、自分のできることを始める。

「わかりました。私があなたの力になります。あの時教えたようにしてください」

「わかった」

 瑠水の言葉に、拓矢は力強く答える。彼の心は徐々に冷静に激情を研ぎ澄ませていた。

 拓矢の戦意の精神が高い臨界状態にあるのを瑠水は感じる。今なら、自分の力もかなりの濃度で発現できるかもしれない。

 瑠水が精神体である体を静め、拓矢に魂を、存在を重ねる。その体が羽衣のように解かれ、拓矢を包み込んでいく。瑠水が冷たい清水のように自分の中に流れ込んでくるのを感じながら、拓矢は目を閉じて精神を鎮め、瞑想の中に瑠水の淡く輝く光を捉えた。

『目を閉じて……呼吸を深く……心を鎮めて……私を感じて……』

 瑠水は拓矢と心を繋ぎ、指導を始める。拓矢は熱さの極限状態ゆえにかえって冷静になって、素直に瑠水の言葉を心に沁み渡らせた。

『私の力を求める想いを……あなたの心を、聴かせてください』

 閉じた瞼の裏、地獄のように熱い心の暗闇の中、瑠水の灯す淡い光を見る。

 心。想い。望み。――戦意。

 拓矢は彼女の言葉に従い、その光に向けて、臨戦の意志を矢のように放った。

『《僕は、戦う……力をくれ、瑠水!》』

 放たれた想いは一筋の光の矢となって、青い光の乙女の胸の中央を射抜いた。

 その瞬間、魂が繋がる感覚と共に、青い光が爆ぜて暗闇を埋め尽くした。心を占める光が自分の中に流れ込んで、全身が熱く清らかな血潮で満たされていく。

(感じる……これが、瑠水の力……!)

 全身に力が満ちていくのを感じながら、拓矢は、瑠水から聞いた「彩姫の力」についての話を思い出していた。

 彼女曰く、彩姫と命士の発現できる力には、三つの精神的な要素が関わっているという。

 「真」。「善」。「美」。

 使命に臨むこの三つの精神力が柱となって、力の強さが変わってくる、と。

 瑠水曰く、具体的に言うと、

「真」とは、自分の眼力で自らにとっての真なる理を見極める、理性の力。

「善」とは、自分の思う正しさを信じ、貫き通す思いが生み出す、意志の力。

「美」とは、自分の愛を自覚し、心から欲することにより生まれる、欲望の力。

 ――言葉では実感が湧きにくいでしょうが、戦いに臨んだ時にきっとわかるはずです。

 拓矢は瑠水にそう諭されながら、「力」の使い方を教わった。

 そして今、どうだろうか。

 自分の奥に意識を潜らせると、胸の奥、心の真ん中に、「何か」があるような気がする。様々な想いの入り混じった、煌々と燃える星の核のような、自分を衝き動かす、強いもの。それは、瑠水の言った「真」「善」「美」の全てに通じるもののように思えた。

 この想いが――僕の力なのか。

 そう思った時、拓矢は一つの確信を得た気がした。

 この力を使うことができるのなら――僕はきっと、戦える。

 拓矢のその確信を見取った瑠水が、その力の発現を開始していた。

『《母なる虹より零れし青の滴(Alli fam folt aine mas minde)、今、縋りし愛の岸辺の願いに心打ち震わせ応えん(shes le'nne melta ilka linsphr)。

 水なる魂(she maia filka)、勝利の器(pres mia laikt)。我、愛なる汝に魂の剣を授けん(la cris misti rei cliz fourte)……!》」

 天上の調べのような言葉が紡ぐ歌声が、胸の奥、魂を震わせるように響く。

 彼女の持つ神秘の力を宿して詠われる妙なる調べのその言葉は、それ自体が創造の力を持ち、現世の理を越えた奇跡を実現する、幻想界の存在に与えられた秘法――創造言語の秘法 (イデオマ・ミスティカ)。

 清澄な光に包み込まれる感覚を得る中、熱く迸る力が心の奥から溢れ出した。

『《聖域エリア》展開、《神装アルマ》発現――蒼聖碧流フル・エリミエル形相エイドス勝利ネツァク』《水衣フルヴェール瑠璃水奈月ルリミナヅキ纏剣形態フォルマ・ブレイド

 瑠水の詠う声が心の芯に響くと共に、額に烙印を捺されるような熱が宿る。

 魂の内から湧き出る泉のような熱い思いに動かされ、拓矢は両手を前に翳した。その手に青白い光が集まり、幻想としての質量を持って一つの形に収束していく。

 胸に満ち溢れる清流のような感情の怒涛を潜り抜け、拓矢はゆっくりと目を開け、眼前に翳していた両手を刀の鞘を掴むように握り、それを鞘から刀を引き抜くように動かした。

 その体は青い揺光と透き通る水色の衣に覆われ、引き抜いた右手には左手から引き抜かれたような形で、虚空から現れた青白い光でできた剣が握られていた。

 水が形を成したかのように流麗なフォルムの、青みを帯びて透き通った1メートルほどの剣。全く重さを感じない上、手に持っているだけで心が冷水に洗われるように澄まされ、冷熱に高揚するのを感じる。まるで瑠水の手を取っているようだ。

 彩姫の力のひとつである、霊戦装束「神装アルマ」と、その力の一部である武器「神器ソーマ」の発現。

 青の彩姫・瑠水の霊体存在を勝利の力の証たる武装の形に顕現させた、戦いのための形相。

 蒼聖碧流フル・エリミエル・勝利の形相(エイドス・ネツァク)《水衣フルヴェール瑠璃水奈月ルリミナヅキ》纏剣の姿(フォルマ・ブレイド)――そしてその神器・瑠水月剣ルミナス・ソード

 力の発現を示すように、額には青く光る紋章が刻まれている。

 弓矢のように交差する、月と十字の印。

 その烙印から意識に直接語りかけるように、瑠水の声が透明に響く。

『発現、成功です。拓矢、具合はどうですか?』

 全身に流れる血潮の熱に上気したような、熱く潤んだ声。

 拓矢は瑠水の声がいつも以上に強く自分の芯を熱く震わせ、力を与えるのを感じていた。

(やっぱり、すごい……この剣、持ってるだけで、力が漲ってくる)

 そして、手にした神器もまた、瑠水の心を映す剣として拓矢に力を与えていた。神に創られた魂の粋の存在たる瑠水が血潮となって全身に循環し、戦闘経験のない拓矢の経験知を意志の力と連動させて補う。瑠水の力が、拓矢をただの高校生から神の戦士に変える。ティムと同じようにその体からは熱気のような青い揺らめきが纏われ、全身を覆う透き通るような薄い水衣が朝露のような光の粒を空気に放っている。

 ちなみに拓矢とティムの二人は今、彩姫の持つ存在次元変換能力「聖域(エリア)」を展開している。これを発動すると命士は現在界から幻想界の存在へと存在次元を変換し、現在界では不可能な彩姫の持つ精神体次元の能力を発現させることができると同時に、現在界の存在と次元を隔絶させることで、一切の現在界存在の干渉を受けなくなる。

 戦える実感を得て、よし、と頷くと、拓矢はふと、背後にいる三人の方に目を向けた。

「何、それ……? 拓矢、あんた……!」

「拓くん……」

 光に包まれた拓矢を目に息を呑む奈美と由果那を、幸紀が庇うように前に出た。

 驚きに目を瞠る彼らの視線を背に、拓矢は改めて、目の前の敵を睨みつけた。

 大切な仲間を傷つけ、瑠水を手にかけようとする敵。決して、許すわけにはいかない。

 瑠水の力と重なる熱情が全身に巡り、その想いに熱い勇気の滾りを与える。迷いも恐れもその想いに浄水のように流され、冷熱を帯びて澄んだ心は、ただ目の前の敵を見据えていた。

 その目を見たティムは、一興、といったような顔をして、

「ふ、力の発現程度はさすがに習得していたか。だが見た所、実戦の経験は皆無に見える」

 そう言うや否や、ティムはおもむろに拓矢に紅く燃える剣先を向けた。

「いいだろう。見せてもらおう、お前の力」

 次の瞬間、ティムが一足の踏み込みで、一気に拓矢の眼前に迫っていた。

「はぁっ!」

 気合一声、ティムは神速の斬撃を繰り出した。脳の電気信号の反応ですら遅く、鮮鋭たる剣閃が赤い残光を引き、拓矢の肩口を狙い袈裟懸けに迫る。

『拓矢、剣で受けて!』

 瑠水の思念の声が全身に光のように行き渡り、拓矢は咄嗟に剣を体の前に出していた。反射というのすら遅い、それは人智の速度を超越した伝達。

 拓矢の狼狽、瑠水の指示、意識の修正、ティムの接近、瞬速の斬撃、咄嗟の防御。全てが一瞬というにも僅かな間のことだった。

 ギィン、と刀身のぶつかり合う澄んだ音が空気に響き、青と赤の光が火花のように散る。

 ティムは交差する剣越しに拓矢を睨みつけ、すぐに身を離して後ろへ飛び退る。振り払われた細剣から赤い光が仄火の花弁のように零れ落ちた。その反応を見た灼蘭が、ティムと意識を連動させながら興気に言う。

『へぇ。初撃とはいえティムの踏み込みに反応するなんて、大したものじゃない』

「こんなもの、小手調べにもなりません。この程度に反応できないようでは拍子抜けも過ぎます」

『相変わらずねえ。ま、勝負を挑んだ以上、無様に負けるわけにはいかないわ。さあ、いくわよティム! あたしに恥じない戦いをしてみせなさい!』

「仰せのままに」

 そう応えると、ティムは威圧するように赤く燃える洋剣を突き出して構えた。

 一方の拓矢は、相手の想像以上の実力と、命のやり取りの戦いに際する緊張に息を呑んでいた。ましてや戦いはこれが初めてである。極度の緊張に体の奥が捩じ切れるようだった。

 彼の身に宿り、力を供給している瑠水が、素早くフォローを出す。

『拓矢、落ち着いて。教えた通り、私と心を一つにしてください』

「わかった」

 その言葉に気付けられ、拓矢は気を取り直し、目の前の敵を見る。

 戦いの感覚を体感し、相手の力も感じて、拓矢は背筋が冷えるのを感じていた。

 だが、自分の後ろにいる奈美達のことを思えば、逃げるという選択肢はあり得なかった。友を、瑠水を、大切な人達を守るために、たとえ相手がどれほどの脅威でも、退くわけにはいかない。使命も通り越した純粋な想いが、今の拓矢を衝き動かす力だった。

『大丈夫。私を信じて。あなたを負けさせはしません』

 決意を帯びて語りかける瑠水の声が、冷たく燃える心の芯に響く。

 拓矢は目を閉じ、ひとつ深呼吸をして心を鎮めると、瞼の裏の闇の中で瑠水の光を強くイメージした。やがて瑠水の姿である青い光の輪郭が閉じた瞳の奥に映る。魂を繋ぐ感覚に、彼女と自分が触れあい、融け合い、ひとつになるのを感じる。

 静かに流れる聖水のような瑠水の魂とその力が全身に熱い血潮のように巡り渡ったのを感じて、拓矢は目を開けた。その瞳の色は海のように深く澄んだ青色に変わっていた。

 体が熱く、軽くなる。心が冷まされ、研ぎ澄まされ、湧き満ちる想いが魂を奮わせる。

 瑠水の聖なる魂の熱に澄んでゆく戦意に心身が奮い立つのを感じ、拓矢は青く透き通った剣を両手で持ち、正面の相手に向けて挑むように青眼に構えた。

「ふ……その力、我がエルシア様のお目に適うほどのものか」

 それを向けられたティムも、手にした洋剣の切っ先を拓矢に向け、戦意を示す。

 睨みあう二人。その精神の高まりに応じて、拓矢の体から青い燐光が、ティムの体から赤い揺光がそれぞれ溢れ出す。二人の瞳の色は、いつしか身から溢れ出す光のそれと同じになっていた。

 刹那、先陣を切る視線が交錯する。そして、

「試してやる!」

 ティムは再び攻勢を開始した。滑るような速さで一気に距離を詰め、鋭い一撃を次々に繰り出し、そして素早く距離を置き直すという神速の一撃離脱戦法ヒットアンドアウェイを繰り返す。その攻撃は一つ一つが鋭く、視認が追いつかないほどに速い。

 拓矢は決して退かず、剣を握る手に力を込めながらほとんど反射だけで剣を相手の剣跡に合わせる。ティムの猛攻に対してとても反撃に転じられる余裕はなく、攻撃を受け流すだけで手一杯だった。高速で繰り出される剣戟が肌を掠め、痺れるような衝撃が剣を持つ手に走る。

 だが一方で、拓矢はこれだけの速度の鋭く重い攻撃を自分が防げていることに驚いていた。目まぐるしくも、体はどうにか攻撃に反応できている。それは無論自分の力だけではなかった。

 拓矢は自分が行動するたびに、瑠水が自分の体を支え動かしているのを感じた。目で相手の行動を視認する時にも、手に持った剣で相手の攻撃を受け止める時にも、瑠水の思念が自らのそれと重なるように体を過ぎるのだ。全身に意思を巡らせた血液が循環し、拓矢自身の体を動かす意志と重なり合って、心身の動きの速度と精度、強度を飛躍的に上昇させている。まさにそれは、瑠水という魂を巡らせる精神経路の力だった。

 赤と青、揺らめく光を溢れさせる二人が、紅蓮の疾風と蒼の大渦のようにお互いをその力の奔流に巻き込むように激しく絡み合い、擦れる炎刃と水晶の剣から火花のような光の欠片が弾けるように零れ落ちる。一瞬たりとも止まらない彼らの動きの跡に、炎と水の揺らめきのようなゆらりとした残影が漂う。

 一方、瑠水は拓矢の動きを魂の根元から指示・支援し、自分の力を拓矢に貸し与えながら、相手の戦法を冷静に分析していた。そして、奇妙なことに気付いた。

 相手の、ティムの一撃離脱戦法である。

 経験値的に見ても、彼らの力は現在の拓矢を優に超えている。全力で猛攻をかければ簡単に沈められるようなものを、なぜ攻める度に一旦引くなどという手のかかることをしているのか。

 やがて、ティムの攻勢が一旦止んだ。

 拓矢は目を上げながら荒く息を吐く。瑠水の援助でどうにか戦えてはいるが、極度の緊張でかなりの気力を消耗していた。気を抜くと眩暈で倒れそうになる。

 ティムはその様を鋭い目で静かに見ていた。そして、ゆっくりと構えを解くと、

「ふん、どうした。来ないのか?」

 憮然とした声と目を向けて、挑発するように言った。

「え?」

「聞こえなかったのか。ただ攻められるだけか、と言ったのだ。迫り来る刃を受け止めるしか能のないその脆弱さ、彩姫に仕える命士とあろう者が聞いて呆れるな」

 その身に纏う空気に油断や隙を一切見せないまま、ティムは言った。

「少しは貴様の力を見せてみろ。エルシア様はつまらない戦いを好まない」

『そうよ、こっちからだけじゃつまんないわ。見せてみなさいよルミナ、あなた達の力を!』

「…………」

 拓矢はその言葉を聞きながら、瑠水と意識を交わしあっていた。

「瑠水……これって、チャンス、なんじゃない?」

『ええ。どうやら彼……ティムもエルシアと同じように、戦いに祭儀的な趣を求めているようですね。これがいわゆる騎士道というものなのでしょうか』

「いや、今はそれよりも」

 やや的外れな瑠水の理解を指摘しつつ、拓矢は唐突な好機の使い所を迷う。彼らの気質的にそう長く待ってくれるとは思えない。早めに行動を起こさないと。

「どうしよう?」

 拓矢の問いかけに、瑠水はわずかに思案した後、言った。

『こちらの全力をぶつけましょう。うまくいけば、彼らを一撃で下せるかもしれません』

 その、賭けにも似た判断に、拓矢は思わず息を呑んだ。

「そんなことが?」

『エルシアは派手な戦いが好きです。おそらく真っ向勝負に乗るでしょう』

 決然と断言した瑠水は、拓矢の見せる疲弊の色を気遣うように続けた。

『それに、あなたはまだ戦い慣れていません。このまま戦いが長引けば、場馴れしている彼らのペースになるでしょう。そうなればますます勝機はなくなる。何より、あなたの身がもちません。ここは速やかに決着をつけましょう』

「っ……わかった」

 拓矢はその言葉を理解した。否、理解せざるを得なかった。肉体的にか精神的にか、疲労で足が震えている。確かに長引かせるのは危険だった。

『《我は知れり(Als del inne)。望まれし形姿(keines kwerdo)、其は深淵を穿つ蒼光の一矢(le wilis reiu sari faima)。我、汝の力にならんと欲す(li air mel keid)》』

 拓矢の了解を見取った瑠水が心中で唱えると共に、二人の心が響き合い、共鳴して溢れ出す心の力に呼応するように、拓矢の手に握られた剣が青い光を放ち始める。揺らめく青の光は陽炎のように冷たく熱い耀光となり、白い刀身は融解した鉄のように手の中で形を変えた。

形態変化フォルマ・チェンジ――《水衣フルヴェール瑠璃水奈月ルリミナヅキ穿弓形態フォルマ・アーチェ

 光と共に拓矢の手の中にあったのは、青白い光を放つ弓だった。生まれてこの方弓など握ったこともない拓矢だったが、その弓は不思議なほどに手に馴染むように感じていた。

 手にした弓に心の熱が注ぎ込まれていくのを感じながら、拓矢は瑠水の声を聞いた。

『そのまま弦を引いて、あなたの想いをその手に引く矢に注ぎ込んでください。その矢に宿るのはあなたの想いの力です。あなたの想いを、私はこの一矢の力に変えることができる』

「想いの……力」

『想いは光よりも速く走ります。あなたの全ての想いを、弓を引く力に込めて』

 夢の中の指導を思いだしながら、瑠水の導きの力も借りて、拓矢は青い光を纏う弓を番え、矢先をティム達の方向に向けて、弦を引く。青い光でできた弓弦を引くにつれ、昂っていた感情が弦を引く力へと収束し、弓弦を引く力を強めるだけ心が冷静になっていく。そしてその想いが形となって凝縮していくかのように、弓弦を引く拓矢の手元に一本の光の矢が番えられた。

 大切な人を脅かした者。自分のこの力の向かう先に、倒すべき敵がいる。

 その思いは拓矢の闘志となっていた感情を一層増幅させた。冷たく、鋭く、しかし同時に熱くなるその想いが拓矢の体から放たれる青白い熱を放つ光となり、弓弦の先に収束していく。

(この一撃で……あいつを倒す!)

 心が昂ぶるに連れ、引き絞られた弓に番えられた光の矢が輝きを増していく。

「ふん。この実力差で真っ向勝負とは向こう見ずな。いいだろう、受けてやる」

『へえ、面白いじゃない。ティム、警戒しときなさい。いくらお淑やかなルミナの力って言っても、アレをまともに喰らったら死ぬわよ』

「御意。御身に仕える騎士として、どんな火の粉もこの剣で払ってみせましょう」

 ティムと灼蘭もその力の大きさを警戒し、力を研ぎ澄ませていく。彼の左手の籠手から、全身から赤い揺らめく光が立ち上り、炎が勢いを増すように大きく膨れ上がっていく。

 熱に浮かされるように上気していた拓矢の感情が、一本の矢の形に鋭く研ぎ澄まされていく。それはやがて矢の向く先にいる敵の姿と、それへのただ一つの意識しかなくなった。

(お前を……倒す!)

 一本に縒り合される感情と共に、光の矢はより強く、その輝きと鋭さを増す。

 青く輝く瞳で、狙いを定める。瑠水が、その手に心を添えた。

『解き放ちましょう――あなたの想いに、勝利を!』

 瑠水に心を押され、拓矢は魂を静める深い呼吸と共に、限界まで引き絞った弓弦を放った。

『《蒼聖碧流フル・エリミエル・光輝の形相(エイドス・ホド)・決戦の弓(アーチェ・フィナーリア)――《蒼穹の光矢(アレーゼ・リュート)》!》』

「『射(schezwen)』‼」

 心を重ねた発気の声に乗り、弓弦から放たれた青白い光矢が彗星のような勢いで空を裂いて走り、赤の騎士に殺到する。

『《紅華灼麗アータル・ミカエル・光輝の形相(エイドス・ホド)・決戦の剣(ブレイド・フィナーリア)――《紅刃・炎光閃(リスタ・フィエンデ)》!》』

「『斬(wlise)』‼」

 ティムは騎士としての礼儀とばかりに、炎の如き赤い光を纏った剣を踊るように回りながら横殴りに叩きつけ、迫り来た青の光矢を真正面から受けた。

 激突は、一瞬だった。

 拓矢の放った青の光矢は、ティムの剣に衝突し、その膨大なエネルギーを爆裂させた。青と赤、二つの光撃の激突の瞬間、目を焼くほどの眩しい光が炸裂し、凄まじい轟音と衝撃が屋上に広がる。

「うわ……っ」

 拓矢は震える足で踏ん張ってどうにか最後の衝撃を堪えた。咄嗟に背後にいる奈美達を振り返る。幸紀が身を挺して二人を庇っていたことと、瑠水が咄嗟に展開した水光の障壁に風圧が阻まれたことのおかげで、どうにか三人とも無事だった。

「はぁ、はあ、っ……やった……?」

 それに安堵した拓矢は、体から魂が抜けたような猛烈な虚脱感に襲われながら、いまだ白い残光の消えない光の爆心を見ていた。どうやら手の中の弓に力を注ぎ込んだことで体だけでなく心の方にもかなりの負荷がかかったらしく、心身ともに疲労の限界に達しようとしていた。

 そんな彼に、瑠水は、驚愕を含んだ声で、最悪の事態を告げた。

『ッ……まだです、拓矢……‼』

 直後、爆心に漂っていた光が赤い衝撃と共に爆散した。

(っ……まだ……!)

 その爆心を見た拓矢は、驚愕した。

 爆心に立つティムの服は乱れ、全身に焦げたような跡がある。だが、全身を覆っていた赤い光の紋様の色と輝きが、毒々しいまでに強くなっていた。それはまるで外側を剥がされた真の力の露出の表れのようにも見えた。

「ふっ……少しはやるな。だが、まだまだだ。私達の絆と力には及ばない」

『ふー、危なかった。あたしの力と真っ向からぶつかって打ち消し合うなんて、やっぱり侮れない力ね。だけどその様子じゃ、この勝負、あたし達がもらったかな?』

 傷の色を滲ませながら、ティムと灼蘭はしかし勝ち誇るようにそう告げた。

 瑠水はそれを見て、苦境の表情を浮かべた。

 全力の一撃を以てしても、仕留めることができなかった。先の一撃で拓矢は力を消耗しきっているのに対し、ティムはおそらく先程まで本気を出していなかったのだろう、まるでこれからが本番だと言わんばかりに力を解放し、ダメージこそ受けているがその表情には余裕がある。

 対する拓矢にはもはや余力がない。こちらからの攻勢にかけられる力も、相手の次からの攻勢に耐える体力も残っていない。そして、彼の発言の意味も瑠水は理解できていた。彼らは自分達の力をやはり数段上回っている。敗色濃厚だった。

 そんな拓矢の様を見て、ティムは勝利を告げるような声を放つ。

「どうやら、ここまでのようだな」

 そして、無慈悲に手にした剣の切っ先を拓矢に向ける。その剣先から光が伸び、焼けた鉄のように赤い刃を形成した。

「未熟だが、なかなかいい力を見せてもらった。最後に、礼としての一撃を贈ろう」

 その言葉と共に、ティムの体から炎光が溢れ出す。彼の力の高まりを表すように徐々に輝きを増していくその光は、先にもまして凄まじい威圧感を感じさせた。

 脅威を目前にしながら、拓矢は必死で体勢を立て直そうとするが、全身に回る疲労で体が思うように動かない。目が霞む。体が震える。灼光の輝きが大きくなるにつれ、焦りが募る。

(く、っそ……動け……動けっ……このままじゃ……!)

『落ち着いてください、拓矢。まだ終わりではありません。反撃を……』

 内から語りかけてくる瑠水の声も、一見冷静でありながらもやはり焦燥の色を募らせていた。そして、拓矢はその冷静な言葉を理解できる頭の余裕がなかった。

(ごめんなさい、拓矢……かくなる上は……!)

 危機を察した瑠水は、拓矢を助けるために強行手段を取る判断をした。

 瑠水が拓矢の全身に行き渡っている力の血流を通して、拓矢の体に自身の意識を同化させる。

 すなわち、存在の同調を利用した強制操作だった。できれば使いたくない手段ではあったが、拓矢が動けないのであれば、彼を守るためにはこの方法しかなかった。

 何としても、拓矢を守らなければならない。たとえ、自らが傷付くことになっても。

(お叱りなら後でいくらでも受けます。今は、あなたを助けなくては……!)

 瑠水は悲壮な決意を固め、拓矢の中から反撃の機を窺う。

 満身創痍の拓矢と反撃の機会を窺う瑠水が意思の疎通を乱す中、

「ふ……散れ!」

 真紅の揺光を纏ったティムが、光跡を引く速度で一気に拓矢に迫った。

「拓くん‼」

「拓矢――――ッ!」

 聖域の外から、奈美と由果那の悲痛な叫びが響く。

(死、ぬ――――?)

 全身に回る虚脱感と、朦朧とする意識の中、拓矢は漠然と死を思った。

 その時、不意に、奈美の泣く光景が脳裏に過ぎった。

 あの日と同じ、胸を揺さぶる泣声と、涙を流す姿。

 奈美が、泣いている。自分のせいで。

 それを思うだけで、全身が突き刺されるようにずきりと痛んだ。

(死ねない……!) 

 その刹那、拓矢の疲労に沈みかけた心に火が点いた。

 迫りくる赤い光を目に映しながら、拓矢の四肢に魂の神経が通る。

(死ねない……僕は、まだ、死ねない‼)

「ぁぁぁぁあああああああアアアアッ!」

 拓矢の心の奥で、感情の光が炸裂した。その瞳が、七色の煌きを宿す。

(拓矢……? 力が……!)

 悲しみ、怒り、諦め、絶望――いくつもの暗い感情を塗り替えるほどの色鮮やかな衝動が、拓矢の心を染め上げ、人体の理すら無視して体を動かした。その純粋な感情の力は、瑠水が体に巡らせていた意識と力と融け合い、常人の領域を超える鮮烈な動きを生み出す。

 青い光が、瞳の奥に一瞬煌めいた気がした。

 白い騎士の紅に光る瞳が、一瞬驚愕に揺れたのが見えた。

 拓矢は判断を失い衝動に身を任せ、最後の反撃とばかりに手にあった青い光剣を振り抜いた。完全に不意を衝き、逆境を覆して放たれたそれは、必殺の一撃になるはずのものだった。

(いけない、拓矢!)

「拓矢ッ‼」

 その時、何かに気付いた瑠水の切迫した声が響くのと、拓矢の目の前に黒い影が過ぎったのは、同時のことだった。

 瑠水が、精神の力を総動員して拓矢の体に干渉し、振り抜く剣を止める。

 同時、袈裟に振るわれた赤い光の刃が、拓矢を庇うように立ち塞がったその影を切り裂いた。

「え……?」

 拓矢は、なぜ瑠水が動きを止めたのかを理解する間もなく、眼前にある人影を目にした。

 それを見た瞬間、拓矢の全ての思惟が停止した。

 拓矢の目の前で、彼を庇うように灼光の斬撃をその身で受けた、黒い背中。

「ユキ……?」

 呆気にとられた拓矢の眼前、そこにいたのは、幸紀だった。

(何で、ユキがこんなところに……)

 拓矢は呆然と目の前の光景を見ていた。思考が完全に凍りついていた。

 聖域には、幸紀も干渉できないはずなのに。

 幸紀が掴んでいた剣を通して、彼の意思が拓矢の意識の中に流れ込んでくる。

《だめだ……死ぬな、拓矢》

 その言葉を最後に彼は意識を失い、どさりとその場に倒れた。

 瞬間、止まっていた思考が動き始めた拓矢に、恐慌が一気に押し寄せた。

「ユキ……ユキ――――‼」

 叫ぶ拓矢、そして奈美と由果那が倒れた幸紀に駆け寄る。

「ユキ、しっかりしなさい! あんたまで死んだらただじゃおかないわよ‼」

「由果那ちゃん、待って……これって」

「え? 何よ奈美、こんな時に⁉」

 一刻の猶予もない状況に気が逸る中、奈美が「それ」に気づいて由果那を制止した。由果那も少し遅れてそれに気づいた。

 由果那が強引に幸紀の制服を引っぺがす。

 彼の体には、腰元から左肩にかけて一閃、赤い傷跡が走っていた。しかし出血はなく、服が破れた形跡もない。明らかに異常な傷の付き方だった。

「なにこれ……火傷……?」

「でも、どうしよう、意識がないよ……このままじゃ……!」

 異様な事態に戸惑う由果那と奈美。その様を見ていたティムと灼蘭が告げた。

「物質体は斬らないでおいた。神器ソーマは魂、霊体を討つための武装だ。たとえ私の剣のような場合でも、聖域内でなら加減次第で心身への傷の性質は変えられる」

『あたし達の今のは斬撃そのものが精神干渉のようなものだから、その彼の現実体は崩れたりしてないはずよ。まあそのかわり、魂を焼き斬る斬撃だから、精神の方はもろにバッサリいってるでしょうけどね』

 それを聞いた時、拓矢は全身の血の気が引いた。

「そんな……それじゃあ、ユキは!」

『精神の耐久力にもよるけど、あたし達の一閃をもろに喰らっちゃったからね。よくてしばらくの昏睡は避けられないんじゃないかしら』

「場合によっては、精神損傷ということもありえるな」

「そんな……」

 愕然とする拓矢を前に、灼蘭は瑠水に終戦の意思を告げた。

『どうやら勝負はついたみたいね。今回はあたし達の勝ちってことでいいかしら、ルミナ?』

『……とどめを刺して、私を奪わないのですか』

 絶望に苛まれながらも訊ねる瑠水に、灼蘭は余裕を漂わせながら告げた。

『初顔合わせで終わりってのもつまんないし、今日は最初の手合わせってことで見逃してあげるわ。あなただってこんなあっさり終わりたくはないでしょ?』

『……わかりました、負けを認めます。お願いだから、もうこれ以上ここで傷を広げないで』

 瑠水は悔恨と焦りに追われながら、拓矢のために即断で敗北を認めた。もはやこの戦いに勝機はおろか何の望みもない。完全な敗北だった。

『ふふ、それじゃあ今日は挨拶代わりってことで、この辺りでおさらばね。また会いましょ、ルミナ。次に会う時はそこの彼共々、もっと強くなってなさいよね』

「再びお目にかかれる時を楽しみにしています。……エルシア様の温情に感謝するんだな、青の命士。次に刃を交える時は、容赦はないものと思え」

 完全勝利を告げると、ティムは赤い光の翼を纏い、屋上から飛び去って行った。

 拓矢は必死の思いで重い体を動かし、幸紀に叫ぶように呼びかけ続けた。

「ユキ! ユキ‼ いやだ! 死なないで、ユキ!」

 出血こそないものの、幸紀はいくら呼んでも反応しなかった。

『拓矢、落ち着いてください!』

「だって、ユキが……ユキが……!」

『今から私の力を使って彼の精神を治癒します! 言うとおりにしてください!』

「え……?」

 切迫した声で、瑠水は混乱した拓矢を制するように告げた。

『彼の体に手を当てて、傷を治すように念じてください!』

「……!」

 拓矢はその言葉に縋るしかない。言われたとおりに、幸紀の胸の上に両手を当て、思念を送る。

(頼む……頼むから、死なないで……目を覚まして、ユキ!)

 拓矢の涙する祈りにも似た強い想いを介して、瑠水が自らの力を注ぎ込む。

『《捧げしは我が悲哀(los enies liomery)、注がれよ彼の慈愛(cruant she fiomelie)。涙の禍根を救いたまえ(la ackshed kaimas craveryz)》

 蒼聖碧流フル・エリミエル形相エイドス慈悲ケセド』・治癒術ヒール――《癒瘡の浄水(シェル・フィリオ)》!』

 瑠水の唱える詞と共に青い光が拓矢の腕から溢れ出し、幸紀の体に流れ込む。それがどのような効能を持っているのか拓矢は知らなかったが、今はその言葉を信じるしかなかった。

 やがて、奈美が保健室の先生を呼んで幸紀の様子を見、由果那が呼んだ救急車が駆けつけた頃には、垂れ込めていた暗い雲の千切れた間から、紅く燃えるように光る緋色の空が覗いていた。

 


 それからしばらくのことは、拓矢の中でほとんど記憶に残っていない。体と心共に限界を超えた疲労で疲れ切っていた上に、状況があまりにも慌ただしすぎて、まともにものを考えられる状態ではなかった。ただ、幸紀の死への恐怖と、自分達は負けたのだという虚ろな感慨、そして瑠水の自分と同じかそれ以上の憔悴の模様だけが、その時の拓矢の心を黒い靄のように埋め尽くしていた。


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