Cp.1-3 Passionate/Scarlet Knight(1)

 煌々と降り注ぐ月明かりの下、蕭然と流れる御波川の上に架かる彌原大橋を渡り、寝静まった彌原町を訪れた人影があった。

 月光を照り返す白金色の軽装の貴族服を身に着けた、細身の青年。夜闇に映える白い肌に、髪の色も淡い白金色で、夜に光る眼光は獲物を射殺す鷹のように鋭い。そして、その腰には意匠の施された白金の洋剣サーベルを提げていた。

「この近辺で間違いないのですね、エルシア様」

『あたしのカンに文句でもあるっていうの、ティム?』

「滅相もございません」

『よろしい』

 彼は、言葉を呟きながら、夜闇の中に赤い火の粉のような光を振りまき、粛然と歩いている。一人であるにも関わらず、まるで彼にだけわかる誰かと会話をしているかのように。

『他はおいても、まずはあの子に会わなくちゃ。あたしの最高の好敵手にね』

「ええ。私もその方にお会いできるのが楽しみです。相手の方もできる者であればよいのですが」

 彼の内にいる声が待ちきれない時が迫るとばかりにうずうずしている。その心に呼応するように、ティムと呼ばれた青年も心が高揚するのを感じていた。この人と心を一つにすることの何という喜びか。

『さあティム、進むのよ! あの子の――ルミナの下を目指して!』

「仰せのままに。我が忠誠と愛の主――灼蘭エルシア様」

 夜闇を染める火花の光を振りまきながら、白刃の騎士と紅蓮の姫は剣を交わす相手を探して歩き続ける。

 来るべき脅威が、拓矢と瑠水に迫りつつあった。


「…………」

「…………」

 拓矢と奈美が、向かい合って、顔を赤らめて俯いて固まっている。

 お互い、意識してしまって、うまく言葉が出てこない。

 その様子を、両サイドから幸紀と由果那が、時折視線を交わして呆れと悶々とした感情を共有しながら、こちらも簡単に言葉を出せずに見守っていた。こちらは双方、焦れている。

「彼女がいる」という拓矢の衝撃の告白からの成り行きで奈美の想いが完全に拓矢に知られてしまってから一週間。こんな状況が多い。

(ど、どうしよう……何を話せば……)

 一番可哀想なのは奈美である。奥手な性格ゆえに積極的なアプローチはなかなかできなかったものの、拓矢に精一杯の想いを寄せ、また拓矢からも好意を受け取ってきたつもりだった。いつか、いつか必ず自分から伝えようと思っていた。

 その「いつか」がまだまだ遠いことだと思い込んでいた油断が、彼女の敗因だった。あの時、その余裕はあっけなく裏切られて彼女はハートブレイクされることになり、そしてさらに悪いことに、そのタイミングで勢い余った由果那の口により、自分の想いが明かされてしまった。人を憎むことができない奈美は由果那を責める気持ちは持ち合わせなかったが、あまりにも残酷な運命の悪戯を、この時ばかりは恨まずにはいられなかった。

(ごめんね奈美、あたしのせいで……んもぉ~拓矢ーッ! 何とかしろぉーっ!)

 その様子を最も痛ましく思っているのは由果那だった。彼女は付き合い始めた頃から続く奈美の淡い想いを知っており、昔馴染みに女同士ということで奈美の恋愛相談相手をずっと務めてきた。彼女にしても、拓矢に女や色事は無縁だろうと高をくくっていたのが失策であり、こんな結末になることは予想だにしていなかった。

 また、彼女にとっては、あまりのことに頭に血が上って、最も大事なことを激情に任せて自分の口から暴露してしまったことが最大の失敗だった。奈美のことを思うが故の行動だったとはいえ、そのさらに先の彼女のことを考えれば、悔やんでも悔やみきれなかった。そして同時に、こんな状況を生み出した拓矢に向けてのフラストレーションが募りつつあった。

(やれやれ……どうする、拓矢?)

 他方、幸紀は拓矢の側からこの状況を見ていた。彼にしても、奈美の気持ちについては彼女の様子や由果那の言動などから察しをつけていたものの、やはり拓矢のことだから奈美が後れを取るようなことはないだろうと思い込んでいたのは否めなかった。

 その上で、彼は拓矢がこの状況にどういう態度をとるのかということを気にしていた。幸紀も拓矢の側にずっとついていながら、彼に彼女ができたという大きな変化を全く見抜けなかったのは不覚と言わざるを得なかったが、事実は事実として認めた上で拓矢の出方を見るつもりだった。奈美の真剣な想いを知った上でそれをうやむやにしようとするようなら、友として少し叱ってやらなければならないとも考えていた。彼はそんなことはしないと信じてはいたが。

 三人に共通していたのは、「拓矢に彼女ができるはずはない」と思い込んでいたことだった。本人にしてみれば失礼なことかもしれなかったが、それは事実だった。なぜなら、それは当の拓矢自身にとっても予期せぬことだったのだから。

 そんな三人の思惑を知ってか知らずか、拓矢はこの状況に対し何ら有効な行動を起こせず、ただ奈美を前にして戸惑うより他なかった。彼の場合さらに、この四人の空気の他にもう一つ悩みの要素を含んでいたのである。すなわち、「彼女」こと瑠水である。

 この修羅場一歩手前の状況の中、当の瑠水は拓矢の隣で微笑を浮かべながら、風にそよぐ柳のように平然としていた。

 彼女はあの時、拓矢の心の中でその一連の事を聞いていた。そして奈美が拓矢に恋心を抱いていることを知った上で、彼女の心は微塵も揺らぐことはなかった。奈美を文字通り敵として見ていないそれは、過小評価とも違う、彼女と拓矢の間にある絆――愛に対する文字通りの絶対的な疑いの無さだった。むしろ状況をよくわかっていなかったとも言える。

 困惑する奈美。苛立ちを募らせる由果那。出方を窺う幸紀。そして余裕の瑠水。

 四者四様のプレッシャーに取り囲まれた拓矢が委縮してしまうのも、無理のないことだった。

 ちなみにこの期間、奈美はすっかり拓矢の前に顔を見せること自体を憚ってしまったため、彼女からの毎朝の弁当も貰えなくなっていた。彼女の心理からすれば、平気な顔で弁当を渡せるほど平静でいられないのは拓矢もわかるのだが、おかげで昼が若干寂しい。

 そんな煮え切らない微妙な膠着状態が続くこと一週間。

 ばん、と勢いよく机を叩いて、ついに由果那が痺れを切らした。

「拓矢ッ‼」

「は、はいっ!」

 怒気も露わに名を呼ばれた拓矢がビクッとする。由果那の勢いは止まらない。

「いつまでグズグズを続けるつもり⁉ あんたは――」

「まあまあ待て由果那。まずは拓矢の話を聴こうぜ」

 由果那のその攻勢を幸紀がなだめる。由果那はキッと幸紀を睨んだ。

「何よっ! いつまでたってもこの調子じゃ、奈美が可哀想でしょ!」

「奈美のためにもだよ。拓矢がどういう状況なのかわからないと、この調子は変わらないだろ? ちゃんと話を聴いてやろうぜ。二人の友好回復のためにもさ」

「むー……わかったわよ。その代わり、うやむやにしたら承知しないんだからねッ」

 幸紀の説得もあって、由果那は何とか激情を鎮め、話を聴く体勢を整えた。それを見た幸紀も、準備はできたぞ、とばかりに拓矢の方を見る。

「っていうわけだ、拓矢。お前にも秘密にしておきたいことがあったって当然だとは思う。ただ、事が事だ。お前が事情を話してくれれば、俺達もある程度見方を変えられるかもしれん。奈美のためにも、話せる限りでいいから話してくれないか。その……彼女のことについてさ」

 そして、すまなそうな口調で拓矢に語りかけた。

 何について話せばいいのか、今更わからない拓矢ではなかった。

 拓矢が瑠水とそれに関わることについて話すのを躊躇していたのは、その存在と状況があまりにも現実離れしすぎていたからだった。異世界の天使と契約を交わし使命を果たすことになった、などと身近な人からいきなり言われたら、その相手はどんな思いをするだろうか。

 しかし、今や拓矢はそんなことも言っていられない状況にあった。成り行きとはいえ、事は自分にも友人達にも大きく関わる状況だ。このまま不明瞭な状態を続けるのは、この場の誰にとっても良くない。それに、いつかは話さなければならないことでもあった。

『瑠水……話しても、いいかな』

『私のことなら心配はいりません。後はあなたの意志と、彼らの器次第です』

 瑠水に語りかけ、了解を得る。拓矢はそれを聞いて、心を固めた。

 自分の言い方のせいで、いらぬ誤解と予期せぬ展開を招いてしまった。まずはその誤解を解くべきだし、この機にちゃんと話しておくべきだろう。自分に起きた変化――異世界の存在のことを。

 理解してもらえるだろうかという不安は、この際小さなことになっていた。彼らを信じる。大きなことは独りで抱え込まない。自分にとって大切なことなら、どんなことでもちゃんと話すべきだ。それが、自分を助けてくれる彼らとの――大切な人達との「約束」だった。

 小さく決心するように頷き、拓矢は意を決して口を開きかけた。

 その時。

(‼)

 ゾクリと、全身が総毛だった。

 自分だけではない。それは瑠水の感覚でもあった。

『瑠水……?』

 心の中で身を震わせた姫に、拓矢は恐る恐る問いかける。

 瑠水が、神経を研ぎ澄ませているのがわかった。

 何か、来る。

 拓矢と瑠水のその予感は、すぐに現実のものとなった。


 全く不意に、教室のドアが開けられた。

 そしてそこに、見慣れない青年が立っていた。

 薄い白金色の金髪に、日本人離れした白い肌、そして白い瀟洒な貴族服。今は忘れられた時代の西洋の貴族のような格好で、腰には白い細鞘の洋剣を提げている。背丈や年の頃は若者の境を越えない面影を残しているが、その眼光は獲物を見据える狩人のように鋭く迷いがない。そして何より、全身から熾火のような静かに燃える威圧感を放っていた。

 突然の異邦者の出現に、拓矢達のみならず、教室にいたその場の全員が呆気にとられていた。

 その青年は、そのまま教室に足を踏み入れ、拓矢の前まで来て、足を止めた。

 拓矢は戸惑った。こんな、おそらく外国の、それも剣を提げているような知り合いはいない。

 だが、拓矢はこの男の全身に纏われた静かな威圧感に圧せられていた。それも単に気圧されているというだけではない。心が――その中にいる瑠水が、ざわついていた。

 青年は、座っている拓矢を品定めをするかのようにじっと見つめていたが、やがて、ふん、と憮然とした目をして鼻を鳴らし、

「どうやら此奴のようです、エルシア様。見たところ敵になりそうもありませんが」

 突然、一人のはずながら、まるで誰かと話しているかのように言った。

「‼」

 拓矢は驚愕した。この男の態度、覚えがある。まるで自分と同じような。

 それを確認するまでもなく、瑠水は既に交信していた。

『来たのですね……エルシア』

 相手の中にいる、もう一人の存在――彩姫と。

『ハァイ、ルミナ! やっとあなたが降りてきたってわかったら、いてもたってもいられなくて探しに来ちゃったわ。どお、やっと出逢えたお相手の中は?』

 その声と同時に、青年の体から赤い炎のような光の揺らめきが立ち上り、その揺らめきの中から赤い髪の乙女が姿を現した。鋭く長いストレートのツインテールと、気の強そうな目の瞳の色は、見惚れるほどの白い肌に照り映える鮮烈な真紅の煌き。胸元と胴を覆い足元に広がる逆咲きの薔薇の花のような深紅のドレスを纏うスラリとした背丈のある体や堂々と立つ自信の溢れる身のこなしとも相まって、燃え盛る炎の花のような激しく凛とした印象を与えてくる。

 冷静で怜悧な印象の瑠水とは対照的な、情感豊かで陽気な声。

 拓矢はその声を聞いた。耳ではない、今では彼に備わっている器官で。

 どうやらもう、間違いなさそうだった。

「瑠水……この人は」

『ええ……この人は紅蓮彩姫フェルニ=イリア灼蘭エルシアを宿した者。私達と同じ候補者……彩命士イクスです』

 瑠水が今までにないくらいの切迫した声色で告げる。

 目の前に、使命の現実が立っていた。



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