Cp.1-2 Sunlight White(7)
「タク」
「何、姉さん?」
「今日は何だか……いつもより豪華ね?」
その日の夕食の用意を見た乙姫の、第一声がそれだった。
「そうかな」
白いエプロンを外しながら、拓矢はさらりと乙姫の微妙に訝しげな言葉を受け流した。
今は亡き拓矢の母、優子直伝の腕を振るった彩り豊かな料理が、ほかほかと湯気を立てて大皿に載っている。拓矢は幼い頃から料理が好きで、事あるごとに母親に色々なレシピを教えてもらっていて、現在は仕事で忙しい乙姫に変わって夕飯を作ることが多くある。昔から今に至るまで料理にあまり精通しなかった乙姫にとって、拓矢の料理や家事の心得は、仕事に出なければならない彼女にとって心底ありがたいものだった。
そして同時に、乙姫は拓矢の作る料理で彼の状態がわかるという不思議な特技を身につけていた。見た目、量、味――それらから彼女は拓矢の心理を測ることができるようになっていた。
「いただきます」
向かい合ってテーブルに就き、二人は両手を体の前で合わせる。
大皿から料理を取り分けて、口に運ぶ。キャベツと赤と黄のパプリカを合わせた炒め物に、野菜のたっぷり入ったポトフ。帆立の貝柱と茸のバターソテー、そして主菜は赤唐辛子のピリッと効いた牛肉のスパイス炒め。
あり合わせの簡素なものながら、どれも文句のない出来だった。赤・緑・黄と彩が揃って目にも楽しく、味加減も絶妙で、乙姫は普段は嗜まないワインが恋しくなるほどだった。
そして、その料理から彼女が導き出したもの――、
「タク」
「ん、どう? おいしいかな?」
「うん、すごくおいしい。いつもよりも冴えてるみたいね。さすがだわ」
「そっか。よかった」
「今日、何かいいことでもあったの?」
「え……」
乙姫の問いに、ささやかな上機嫌だった拓矢の頭が冷まされる。
「こんな豪華なの、何か嬉しい事でもなければ作らないでしょ。その割には今日は奈美ちゃんも来てないみたいだし……言い方が悪いけど、ちょっと変な感じ。何かあったの?」
乙姫は、少し心配そうに訊いた。
拓矢の料理が美味いのはいつものことではあるし喜ばしいことなのだが、今日は特に冴えているように乙姫は感じた。そしてこれは「何かいいことがあった」という判断に繋がった。しかし心配そうな口調になったのは、その「何か」――拓矢の変化の兆しには注意しなければならないことを知っていたからである。
拓矢はその言葉を聞くと、席を立ち、電気ポットに水を入れ、湯を沸かし始めた。そして席に戻ると、少し俯いた後、顔を上げて、乙姫の瞳をじっと見た。
いつになく真剣そうな意志が宿ったその目は、何かを伝えようとしているように乙姫には感じられた。乙姫もまた、彼のその意志に応え受け止めるように、その強い視線を見つめ返した。
見つめ合い、思惑を交わし合うわずかな間の後、やがて拓矢が口を開いた。
「姉さん」
「なあに?」
「僕のこと、信じてくれる?」
拓矢は唐突に、そんなことを言った。
乙姫は一瞬戸惑ったが、すぐに気を取り直した。彼がそんな言い方をするからには、何か思うところがあってのことだ。であるならば、乙姫は拓矢の様子を見る保護者として姉として、拓矢のどんな話でもまずは聴くつもりだった。
「うん。もちろん。信じるよ。あなたのためになるならね」
乙姫は表情をやわらかくして、声に強さを含ませた。彼女のその受容の姿勢に安堵したような目になった拓矢は、ふと視線を隣にチラと投げた。そして、乙姫に向き直ると、
「話したいことがあるんだ。ちょっとわかりにくい、難しい話なんだけど……」
「いいよ、聴くよ。話したいなら話してみなさい。聴いててあげるから」
「……ありがとう。じゃあ――」
そう前置きをした後、拓矢は彼にあった変化――異世界の天女の存在のことを話した。
彼女の魂が自分の中に一つとなってあること。今も彼女は自分の隣にいること。自分は神に選ばれたらしいこと。そして、使命なるものに協力しなければならないこと。
乙姫は口を挟むこともなく、時々首肯しながら最後までその話を聴いていた。
そして、拓矢があらかた語り終わった頃、乙姫はやや言いにくそうに言った。
「――ねえ、タク。その話、本当に本当なの?」
彼女は拓矢の話を妄言として否定も、戯言として拒絶もせず、彼自身の真実として受け入れる心構えだった。しかし事が事だけに、そう訊かずにはいられなかったようだった。
拓矢は自分の常識外れな話がひとまず否定されなかったことにほっと胸をなでおろした。
「本当だよ。これから、彼女を紹介するから。姉さん、少し、僕の言うとおりにして」
そして乙姫は、拓矢の言うがまま、目を閉じた。
瞼の裏、心の奥、拓矢と乙姫、互いを想い合う二人の心が繋がった。
同時に、乙姫はもう一つ、心に何か――誰かの心が繋がる感覚を感じた。
そうして乙姫が目を開けた時、拓矢の隣に、オーロラのような幽玄の光を纏う乙女の姿が、蜃気楼のように滲んであるのが、見えた。
乙姫の感じた夢見のような感覚は、拓矢が瑠水に感じたものと同質のものだった。
「――そういう事なので、私には拓矢の助力が必要なのです」
瑠水が、自分の存在を乙姫に確かに認識させるのも兼ねて、改めて自分と使命のことについて説明していた。乙姫は言葉を挟まず、あくまで冷静にその言葉を聞いていた。
話を聞き終えると、乙姫は真剣な表情で瑠水を見た。
「ねえ、瑠水ちゃん」
「はい」
「あなたのことは大体わかった。こうして見えて話ができてるって以上、ちゃんと存在してるってことも認める。完全に理解できているわけではないけれど、拓矢があなたに少なからず惚れ込んでるっていうのなら、私はあなた自体についてとやかく言うつもりはないわ」
拓矢が決まり悪げに俯いたのを目に入れながら、でもね、と乙姫は続ける。
「私は拓矢を危ないことに巻き込みたくないの。あなたの都合のために、拓矢が危険な目に遭うようなことがあるのなら、拓矢の意志があるとしても、易々とはいそうですかっていうわけにはいかないわ。保護者としても、姉としてもね」
そう話す乙姫は、いつになく真剣な表情をしていた。
「タク。あなたは、その危険をわかった上でこの話を受けようとしてるのね?」
乙姫の試すような視線に、拓矢は圧されながらも正直な気持ちを口にした。
「……うん。まだ何が起きるのかわからないけど、瑠水は、僕以外に頼れる人がいないみたいなんだ。放っておけないし――放っておきたくない」
拓矢の瞳には、それまでの彼にはなかった確たる意志が宿っていた。乙姫は彼を見守る者として、その成長を認めると同時に、それを許容するべきかを見極める。
「瑠水ちゃん。あなたは拓矢の安全を保証できる?」
そして、彼を巻き込んだ当事者である瑠水の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「使命の性格上、何事もないとは言えません。危険が迫ることも有り得ます」
瑠水は、微かに表情に憂いを漂わせたが、強い意志を秘めた瞳で乙姫に答えた。
「ですが、私は何があっても拓矢を失うわけにはいきません。拓矢は、私がこの存在に代えても守ります」
瑠水の言葉に、僅かな間、乙姫は二人とそれぞれの思いを宿した強い視線を交わしたが、やがて乙姫は参ったとばかりに体の力を抜いた。
「どのみち、その様子じゃもう変更は効かないんでしょう?」
「はい。一度契られた魂の契約は、どちらかの存在が終局的に果てるか、契約者の意志の合致がなければ解除されることはありません。それに私は、拓矢から離れるつもりはありません」
そう決然と語る瑠水に、乙姫は半ば諦めたように小さくため息を吐いた。
「そっか……はぁあ。まさかタクの初めての彼女が異世界のお姫様なんてなあ。お姉ちゃんは思いもしてなかったよ」
「ご心配、痛み入ります。私は私の存在を懸けて拓矢を守ります故、どうかご安心を」
何の衒いもなくそう言い切った瑠水の言葉に、乙姫はいい意味で呆れるほかなかった。
「そうね、わかったわ。拓矢が決めた人なら、私はとりあえずあなたを認めるよ、瑠水ちゃん。何かあったら私にも話してちょうだい。私は拓矢の保護者だから。あなた達を守るわ」
保護者である乙姫にしてみれば、拓矢に関わるいかなる危険も排除するべきであった。それでも瑠水のことを認めたのは、彼女の存在が拓矢にとって無視できないものであるというのを認めたからだった。無理に引きはがせば、拓矢の心が乱れる――そんな気もしていた。
拓矢が彼女を選んだことを尊重した上で、乙姫は彼らを守ることにした。弟が自分の意志で選んだ彼女なら、それを認めて見守るのが、乙姫の自らに課した役目だった。
自分の意志と選択を尊重し折れてくれた乙姫に、拓矢は瑠水と共に感謝を告げる。
「ありがとう、姉さん」
「はい。よろしくお願いします。お姉様」
「お姉様、か……ふふ、何だか不思議な感じね」
瑠水のその呼び方に乙姫は何か思うところがあったらしく、ふふ、と小さく笑った。
「タクも選んだ以上、この子のことは大事にするんだよ? 男の子として、ね」
「ね、姉さん……」
そして拓矢に、年上の女性からの少年への
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます