Cp.1-2 Sunlight White(6)

 常に見られている。その事実は、思っていた以上に難しい問題のようだった。瑠水に自分にとっての害意がないのは明白だし、どころか彼女は自分のどんな要求をも受け入れてくれそうな献身と純粋さがあるのはわかったが、互いの節度を守るためにも、改めて彼女との接し方をよく考えなくてはならないと拓矢は思った。

 自分の想いが全てまかり通る状況では、自分の制御なしには堕落してしまいそうに感じられた。彼女にかかって堕落するのも魅力的なようにすら感じてしまったが、それは、彼女の言葉を借りるなら、「善」ではない気がした。

 風呂場から出た後、少し気持ちを落ち着けるために、一旦姿を隠してもらった間に、拓矢は体を拭いて服を着替え、深呼吸を一つして、冷静さを取り戻した。そして改めて、

『瑠水』

 瞳を閉じて、頭の中に光を纏う天女のイメージを浮かべて、心から心に、呼びかけた。

 拓矢の意識が澄んだ光で満ちる。同時に、その体から光の粒が弾けるように空間に放たれた。弾けた光は目の前に束ね合わされ、青い光を纏う乙女の輪郭を形作っていくのが見える。

 拓矢は暗闇の中、意識の内でイメージをはっきりと掴み、輝きを放つその心に向けて、もう一度想いを送った。想念の元に束ねられた光は想像の姿形を成し、鮮烈に煌めく色彩を纏い始める。

 大渦のような光の明滅が鎮まった時、拓矢の目の前には青い光の天女――煌めき透き通る月光のドレスを纏った瑠水が、夕暮れの闇の中に瀟洒な姿を現していた。

「心の中って、窮屈だったりしない?」

 姿を現した瑠水に、拓矢は気になっていたことを訊いた。瑠水は驚いたような顔を浮かべた後、ふふ、と笑った。

「そんなことはありませんよ。あなたの心はとても快適です。海のように深く、暗くて、広くて穏やかで、冷たいけれど温かい心」

「そ、そう?」

「ええ。あなたの心は…」

 瑠水は拓矢の疑問や心配を解消させるために、説明しようとした。

 が、その前に拓矢は自分の用件を話すために、瑠水に遮るように声をかけた。

「あ……瑠水」

「何でしょう?」

 話を遮られた瑠水は小首を傾げて、拓矢の方を見た。それを見た拓矢は言った。

「これから夕飯作るんだけど」

「はい」

「お茶……飲む?」

 彼女にお茶が飲めるのか、という点を、拓矢はあえて抜かして訊いていた。

「――はい。ぜひ、ご相伴させてください」

 瑠水は少し呆気にとられた顔をした後、拓矢の意図を汲み、ニコリと微笑んで頷いた。


 白崎家宅は二階建ての一戸建てで、現在は拓矢と乙姫の二人暮らしである。元々四人家族で住んでいた一戸建ては、二人には少々広い。

 一階のリビングはダイニングとキッチンと繋がっていて、拓矢はここで料理をしたりお茶を淹れたりする。仕事のある乙姫と一緒に暮らすようになってから、そうした家事は主に拓矢の担当になった。

 冷蔵庫の中の食材を確認する間にポットでお湯を沸かし、紅茶を淹れてカップに注ぎ、瑠水に出す。紅茶にしたのは瑠水の容貌からのイメージによるものだった。

 自分の分もカップに入れると、拓矢は瑠水を自分の向かいの席にレストランのボーイよろしく椅子を引いて座らせてから自分も席に着いた。彼女は自分では椅子を引くことができないためだ。拓矢はその奇妙な感覚を受け入れ始めている自分にふと気が付いた。

 しばし二人は紅茶の深い琥珀色を眺めながら、無言でいた。拓矢は何をどう話せばよいのか思案しており、瑠水は湯気を立てる紅茶の色合いと香りを興味深そうに観察していた。

 悩んだ末、拓矢は無難そうな、しかし自分の目的にも合致したことを口にすることにした。

「瑠水ってさ、その……体が、ないんだよね?」

 すると、予想に反して瑠水は少しすねたような顔をした。

「失礼な。体はここにありますよ。さっきもあんなに触れあっていたではないですか」

「え……え?」

 困惑する拓矢。その様を見て瑠水はごめんなさい、と小さく笑って謝った。

「あなたの言おうとしていることはわかります。この世界における《体》、物理的肉体という意味なら、確かに私は持っていません。けれど、あなたが見ている私の体は、霊体としての体は確かにここにあるでしょう?」

 そして、拓矢の感じている疑問を解こうとするべく、説明を始める。

「私達彩姫は、この世界における物的実体ではない、存在の表象としての体――霊的実体である霊体を持っています。存在そのものである魂の形態がそのまま姿となって現れているといったところですね。そしてこの体はこの現在界マテリアラでの認識上においては仮象に過ぎません。ですから、私がこの世界における物に直接干渉できないことは、それによって説明がつくはずです。わかりますか?」

「う……う、ん。何となくだけど」

 微笑みながら語る瑠水に、拓矢はどうにか頭の中で整理をつけようとする。

 瑠水は肉体を持たない霊的存在であり、その体は外的な姿を表すだけの霊体であるため、そのままではこの世界の物体には触れられない。ただ、彼女の本体である「魂」を重ね合わせている自分は、彼女の魂の姿を現す瑠水の霊体を、肉体に触れるように感覚することができる。

「じゃあ、その……ものを食べたりとかは、できるの?」

 拓矢が気になっていたのはそこだった。お茶を出した理由の一つもそこにある。

 拓矢は、この異次元から来た姫がどういう存在なのかを、自分の中で把握しようとしていた。それは、彼女に協力するためにも、その存在の特異さを知っておく必要がある、という現実的な判断から――というわけではなかった。

 単純に、拓矢にはこれまでに女性と交際した経験がないのである。そんな初心な少年がその上、初めてできた彼女(のような存在)が普通には触れることもできない異次元人とくれば、どう接すればいいのかもわかろうはずがないというものだった。要するに、拓矢は瑠水とどう接すればいいのかを考えていたのだ。

「少し、詳しい説明が必要なようですね」

 その内心を知ってか知らずか、瑠水は、心得たとばかりに口を開いた。

「先程お話ししたように、私はあなたの次元における肉体を持たないので、この世界のものをあなたのように直接食べたりすることはできません。それに私は魂の存在なので、この世界の食物から栄養成分を摂る必要はありません。ですが、私も私の方法でこの世界のものに触れることはできます」

「う、うーん……どういうこと?」

 そして、再び謎かけのようなことを言ってくる。混乱しかける拓矢は続きを促した。

「先に話したように、私はあなたの存在を依代としています。それは、あなたの体に私の魂が宿っている、言い換えれば私はあなたと心身を一つにしているということです。そしてそれゆえに私は宿主であるあなたの肉体の持つ、物質世界の次元感覚センスを借りることができるのです」

「次元感覚を、借りる?」

「ええ。次元感覚というのは、あなたならば物体の存在するこの現在界マテリアラ、私ならば霊体の存在する幻想界アニマリアというような、私達それぞれの『属する世界の次元』のものを感覚できる認識能力のことです。そして、私があなたと存在の本体である魂を融合させたことによって、私は霊質世界の存在でありながら、あなたの持つ物質世界の次元感覚能力を自分のものとして仮象的に借りて用い、この世界の物体に霊体として触れることができるのです」

 瑠水はそう言うと、肉体として存在しないはずの手で目の前に置いてあるティーカップを手に取り、紅茶に口をつけた。目を閉じて、静かに唇で熱い紅茶をついばむように少しずつ口に含み、小さく喉を動かしている。紅茶は彼女の中に収まっているようだった。彼女がティーカップを手にした時、紅茶の色と同じ紅い色の光の影が軌跡を残したのが拓矢には見えた。

 ティーカップから口を離すと、ゆっくりと目を開けて瑠水はにこりと微笑んだ。

「とても美味しいです。温かくて、ほっとしますね」

「今のは……?」

「この紅茶の『温かさ』と『水』の霊質アニマ、そしてあなたがこのお茶に込めた心遣いを味わわせて頂きました。霊的生命である私は物質的成分ではなく精神的成分を栄養とします。このような形なら私も食事にお付き合いすることもできますよ」

 瑠水は簡単そうに言うが、拓矢の中には謎が残っている。今の現象、「実体」を持たない彼女がカップを持つことができたのはなぜか。そして、彼女の飲んだ紅茶はどこに行ったのか。言い方は悪くなるが、それは幽霊が石を手に取れるのか、といったような疑問だった。

 瑠水はそれを知ってか知らずか、続けて拓矢に説明する。

「遍くこの世界にある存在には、物質マター霊質アニマという二つの性質があります。あなたのような人間で言えば、外部性である肉体に当たる物質と、内部性である魂に当たる霊質――この二つの性質は、あなたの体に魂が宿って生体機能である精神が機能しているように、異なる性質でありながら互いに連関して私達の存在を形成しています。あなたは物質主体の世界であるこの現在界マテリアラの存在であり、私は霊質主体の世界である幻想界アニマリアの存在です。私達の属する次元領域は元々そのように二分されたものですが、霊質世界の存在である私が物質世界の存在であるあなたの中に存在を融合させたことによって、私達はお互いの属する次元の認識能力を共有することができるようになっているのです。あなたが私に、私があなたに触れることができることは、その次元感覚を共有する仕組みによるものです」

 話しながら、瑠水はその言葉を実証するように、ティーカップに手をかけた。

「そして、あなたの肉体の物質性を借りることで私はこの世界の存在に触れて感覚することができますが、同時に私は霊体であり、私が触れるものはあくまで霊質としてのものです。ですから私がこの現在界のものを食べたり触れたりするような時、私はそのものの物質ではなく、そのものの霊質に触れているのです。私が干渉できるのはそのものの霊質であり、私が手に取り飲んだのは、私の霊質次元に変換された、紅茶の霊質実体アニマとでもいうようなものです」

「う、うーん……?」

 さすがに難しい説明でわかりにくかったが、しばらく頭を悩ませた後、拓矢は理解できた限りのことを伝えた。

「つまり、瑠水は魂の存在だから、僕らみたいな物としての肉体を持ってないけど、この世界のものの『魂』に触れたり感じたりできる、『霊としての体』は持ってる……ってことかな」

「その通りです。私は魂の共有を介して霊的に触れ合うことのできる存在ということですね。私はあなたと同じ次元の物体である肉体を持ってはいませんが、そういう意味では触れられる体をちゃんと持っているのですよ」

 瑠水はそう言うと再びカップを持ち上げて淑やかに微笑んだ。肉体を持たない霊体の彼女は、カップの「影」を手に持ち、その中にある紅茶の「精」を飲んでいたのだった。

 彼女は今、彼女なりの方法で紅茶の味や温かさを実際に感じている。その不思議な特性は十全な理解は難しいが、彼女も彼女なりに触れたり食べたりできるということだけは一応わかった。

「拓矢、手を貸してください」

 瑠水はそんな拓矢に確信を与えるように、そっと鏡に触れるような形で手を差し出してきた。

 拓矢は自らの中の疑問の答えを確かめるように、同じようにしてその手を重ね合わせた。

 ぎこちない手指に絡む、冷たく、なめらかでたおやかな感触。やはり、

「ね? 触れているでしょう?」

「うん……触れている」

 拓矢は恐る恐る口にする。儚いその感触に、掻き消えてしまうことを恐れているかのように。

 瑠水は拓矢のそんな不安を和らげるように、そっと合わせた手の指を拓矢の手に絡めた。彼女の手から感じるやわらかい感触に、拓矢の胸に甘く切ない思いがじわりと広がった。

「私に触れている感触を感じられるのは、あなたに私の魂が同化し、あなたと存在を同じくしているからです。一心同体――あるいは、二心同体といったところでしょうか」

 拓矢に確信を与えるように繋いだ手に力を込めながら、瑠水は自然な調子で言う。

「私を感じることができるのは、私の依代であり感覚の元であるあなたと、あなたと私の魂と通じ合える者だけです。それ以外の者には、私の姿を見ることも声を聞くことも、触れることもできません」

 以前言っていた、「信じる人にしか彼女の存在はわからない」という説明と同じものだろう。ようやく、彼女の存在とその認識についての難解な仕組みが少しずつ馴染んできたように思った。

 胸を高鳴らせる拓矢を眺めながら、瑠水は絡める指にそっと力を込めた。そして、

「拓矢」

「なに?」

「私の手から、何を感じますか?」

 やわらかく、しかしどこか探るような色を帯びて、拓矢に問いかけた。

 拓矢は、重ねた瑠水の手から感じるもの、流れ込んでくる思いを、素直に言葉にした。

「細くて、すべすべしてて、冷たくて、なめらかで……とても気持ちいい。けど……」

 肉体のない彼女には体温はなかったのかもしれない。けれど拓矢はその冷たい手に確かに優しい温もりを感じていた。拓矢は、彼女の手のその朧な温度になぜか胸がじんわりと切なくなった。

 しかし、拓矢が感じていたのはそれだけではなかった。

(けど……何だ、この感じ。胸の中が濁るような、体の芯を揺さぶられるような……)

 繋いだ手から、深い水底のような暗い澱みのような思いが流れ込んでくる。拓矢はそれが瑠水の心の奥にある何か――彼女の言っていた「揺らぎ」であることを悟った。

 瑠水は拓矢のその理解を読み取り、申し訳なさそうな弱い微笑みを見せた。

「おそらくそれが、以前お話しした存在の分裂――私とイリスの心のズレのようなものです。今は私の状態も安定していて、イリスは私を脅かすことはないようですが、私と彼女の思惑が異なりながら共存している以上、存在の齟齬は避けることができません。私達のこの存在の状態を何とかしない以上、この罅は少しずつ深くなっていくでしょう」

 訥々とつとつと語る瑠水の言葉は、陽が落ちて夜に向かう空のような暗い色を帯びていた。

 拓矢はそれで今更ながら、瑠水の話した彼女の状況と、彼女の言う使命の必然性を理解した。

 今はまだ、彼女もその中にいるというイリスも落ち着いているために、取り立てた異常は起こっていない。だが彼女の危惧する通り、彼女の心にあるそのズレが亀裂のように大きくなっていった時、何が起きるのか。

 瑠水はおそらく、それをある程度自覚できているようだった。今、繋いだ手からは、瑠水の心の底にある震えのようなものが伝わってきていた。

 瑠水とイリス――同じ存在の中で起きる齟齬と分裂の果てに待つもの。

 それは、自我の崩壊。自分が何者で、何を見て、何を愛しているのかわからなくなる。

 自分の大切にしていた全てを見失うこと――それは、死よりも怖いかもしれない。

 その時、拓矢は、瑠水の魂の震えが自分のそれに重なるのを感じた。

「ねえ、瑠水」

 そしてその時、拓矢の口から呼びかける言葉が零れ落ちていた。

「何でしょう?」

 瑠水は問いかけに自然に応える。その様子に、拓矢は不可思議な胸の重みを感じた。

 今、自分は彼女を求めようとしている――そう感じた思いが、その問いを発させていた。

「その……何で、君は僕を選んだの?」

 それは、自らの踏み出す一歩を見定めるような問いだった。

 瑠水はそれを聞いて、こちらの胸が痛くなるほどに悲しげな顔で問い返してきた。

「迷惑、でしたか……?」

 悲しげに細められた瑠水の眼差しは、痛ましいほどに拓矢の胸の中に沁み込んできた。

 違う。決してそんなつもりじゃない。その想いが、矢継ぎ早に拓矢に口を開かせた。

「そうじゃないんだ。ただ、僕に逢うためだけにこんな大変な目に遭うことになるなんて……辛くないのかな、って、思って」

 瑠水と手を重ねたまま、拓矢は言った。

 辛くないはずはないと思う。自我の分裂に苛まれる状態に加えて、魂を分けたような仲の姉妹と命がけで戦わなければならないなんて、普通に考えたら。

 けれど、瑠水がそんなになってまで自分の元に来ることを選ぶだけの想いがきっとあったことも、拓矢にはわかった。彼女はそれを承知と覚悟の上で、自分の元に来ることを選んだのだろう。こんな、血を分けた姉妹と殺し合うような状況を認めてまで。そこまでさせるだけのものを彼女が持っていることは、彼女の重ねる手から感じる心の震えから伝わってくる。

 命を懸けた戦いに飛び込んで、存在を危険に晒してまで、僕に逢いに来てくれるなんて。

 だから――そこまで想ってくれる彼女に果たしてちゃんと応えられるか、自信がなかった。

「君に協力するのが嫌ってわけじゃないんだけど……ただ、僕は、君に相応しいほど強い人間じゃないと思うんだ。何かあった時、君の力になれるのか……自信がなくて」

 拓矢は、素直にそう言った。彼女の力になりたいという意思は確かにあったが、使命というものが実際にどういうもので、何が起こるかわからない以上、不安はあった。

 心の闇に沈みそうだった拓矢は、瑠水が重ねた手にそっと力を込めたことで我に返った。

 瑠水の方を見る。彼女は、拓矢の懊悩を見通したように微笑みかけていた。

「そんなことはありません。拓矢は、強いですよ。とても」

「え……」

 瑠水が真っ直ぐな視線と共に自然に口にした言葉に、拓矢は疑いの念を抱く。

「そんな……僕のどこが」

「私は、知っています。あなたは、過去にとてつもなくつらい経験をしている」

「!」

 瑠水の、間を置かず続けて口にした言葉に、拓矢はびくりと身を竦ませた。

「とても……命の意味を見失うくらい、とてもつらい出来事だった。あなたはあの時、魂の支えを失って、死へと心を任せようとしました。あなたはあの日からずっと、その記憶に怯えて、震えていた。ずっと……そのあまりに深い傷跡を、いつになっても忘れられないで」

「っ……」

 過去の傷痕を抉られた拓矢の胸が、痛みを伴う感情に侵食されていく。

 思い出したくない過去だった。一瞬、瑠水の口を塞ぎたいとまで思った。

 だが、繋いだ手から伝わる瑠水の切実さに、拓矢は何とか苦しい思いを堪えた。瑠水は、拓矢の胸の内のそんな動きを感じ取り、拓矢を勇気づけるように強く微笑んだ。

「けれど、あなたはそれでも、生きることを選んだ。自分に関わる大切な人達のために、死と絶望の誘惑を克服して、あなたは精一杯に生き続けた。これが、強さでなくて何でしょう?」

 そう言って、瑠水は拓矢の勇気を讃えるように、もう一方の手をそっと拓矢の繋いだ手に重ねた。

「私は、あなたのその強さを信じています。強さとは、人を傷つける力や人と比べる力のことだけではありません。死に立ち向かい、生きることを選ぶあなたの強さは、私の信じる命士イクサに相応しい力です。あなたのその強さは、必ずあなたの望む願いを導く力になると私は信じています」

 力強く語っていた瑠水は、それに、と、少し口調を明るいものに変えた。

「私は、力や強さだけであなたを選んだわけではもちろんないですよ?」

 そう言うと、瑠水は心に秘めてきた秘密を打ち明けるように話した。

「私は、私自身の愛と共に、あなたに強く望まれ愛されたからこそ、あなたの下へ来たのです」

「え……」

「憶えていませんか? 夢の中で、私がずっと、あなたを呼んでいたのを――」

 瑠水が口にしたその言葉と共に、拓矢の心にあった、遠く淡い記憶が蘇った。

 深い悲しみに沈む海の中、奈落へと落ちる自分に囁きかけ、手を差し伸べてくれた、光の乙女。彼女が、自分を包み込み、癒し、光の中へ導いてくれたことも。

 いや……あの夢だけじゃなかった。

 絶望の中に沈んだあの日からずっと、重く沈んだ心の奥に、目の前の彼女と同じ光を――息苦しい心に呼吸をさせてくれる希望のような光の存在を、抱くように感じていたことも。

 はっきりと、思い出せる。拓矢は、その記憶が現在に繋がったことを感じた。

「……やっぱり、あの夢の中の子は、君だったんだ」

 拓矢は、目の前にいる瑠水を――夢から出で現れた救いの天使を感慨深げに見た。

 僕が、心の奥で、ずっと逢いたいと望んでいたのは――この子だったんだ。

 瑠水が握った手にそっと力を込め、少し悪戯っぽい笑みを見せた。

「私は全てを承知の上で、あなたに逢うためだけに生まれて、ここに来たのですよ。なのにあなたにそんなことを言われては、私は立つ瀬がありません。だから、そんな悲しいことを言わないでください」

「うん……ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。謝るよ」

 首を垂れる拓矢に、瑠水は、ふふ、と悲しげな瞳を潤ませながら微笑んだ。

「あなたは、ずっと私を心の底で望み続けていてくれました。あなたに望まれて、私は生まれたのです。私が生まれた場所には、あなたがいました。私は、ずっとあなたに逢いたかった」

 そして、愛おしそうに繋いだ手の指を深く絡める。拓矢は胸が熱くなるのを感じた。

「私は、私を望んでくれたあなたを愛しています。だから……今ここであなたと結ばれて、こうして心を融け合わせていられるのが、私はとても幸せなのです。たとえ私がこのままではこの心を失ってしまうとしても」

 そう、恍惚と悲愴を浮かべた表情をして言う瑠水。その心に満ちる熱く愛おしい思いが繋いだ手から流れ込み、拓矢は心が切ない感情に滲むのを感じた。

 瑠水は、拓矢の手を離さないようにぎゅっと指を絡め、強く願うように言った。

「お願いです、拓矢……あなたのそばにいさせてください。私には、あなたしかいないのです」

「…………」

 自分をはっきりと求める、必要とする瑠水の言葉を聞いたその時――拓矢は自分の胸の内、魂の奥に、確かな何かが生まれたのを感じた。

 自分は、彼女に必要とされている――自分は、彼女のために生きている。その想いは奈美や乙姫や幸紀や由果那に対するそれらと全く違わない強さと自然さで、拓矢の心に刻まれた。

 拓矢は、絡められた瑠水の手を、自分からそっと包み返した。

 幻想でも構わない。彼女はここにいる。それでいい。

 瑠水と、一緒にいたい。僕は彼女を信じたい。

 目の前にいる天使は、美しくて、どこか儚げで、なぜか懐かしくて、そして愛おしくて。

 まだ、彼女の使命というものの実感はわからなかったけれど。

 拓矢の中で、その想いはどうしようもなく強くなり始めていた。

 

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